松江では、「そば」を変体仮名で「楚者゛」の字母で記す例は、滞在中に見当たらなかった。「すし」はどうか。「鮓」が見つかった。こうした食べ物の表記もやはり西日本らしい。
「月極」には「月極め」、そして「月決」「月決め」もあった。一方、「板金」を素材に即して改めた「鈑金」は、日本中どこででも見かける集団文字(位相文字)だ(「鈑」にはもともと黄金の延べ板という字義はあった)。
「一畑」を鉄道名などでよく見かける。出雲市の一畑寺(いちばたじ)からのものだそうだが、つい「いちはた」と読みそうだ。音読みをする漢字と和製漢字とが熟合している。
松江では、
を見た。横線がちで目立たない略字のようで、印象に残りにくいようだ。改めて見ると違和感を呈する人が多い。略される「戔」が右ではなく下にあるからか。しかし、こうして確かにあるし、戦前には漢字政策の案にも登場していた。「賤」にも「賎」の字体がJIS第2水準に採用されている。
松江市内では、観光地でないところばかりを回ったのだが、「馬」偏の字の「駅」や「駐」(車場)という字で、「れっか」が「一」、「/」と続けられたり、2点や3点だけとなっていたり、「ノ一」と省かれている省略形がとてもたくさん目に付く。東京の比ではなく、街中に溢れていた。なぜなのか。テレビで、「軽自動車」の「軽」を「」と旁のみで記すのは、熊本だけだとするバラエティー番組があったそうだが、それも頻度や比率の問題にすぎないのだろう。
このように「馬」偏の列火が省略される傾向が大きいと感じた。深読みすれば、県名として強く意識されているであろう「島根」の「島」と形を明確に区別する必要が感じられてのことだろうか。その3画の「山」の部分よりは簡便、容易にしようという心理が無意識に働いているのか、また近くの鳥取の「鳥」とも関連するのかなど、あれこれ考えたくなる。高頻度の字との差別化のほか、いい意味で田舎なので車も多いが、限られた駅が生活の中心地、要所となっているように見え、頻用されるがために略されがちなのか。手書き由来の略字文化がまだよく残っていると見るべきかもしれない。
どこかでもらった市内の観光ガイドマップを眺めていたら、島根大学の「附属中」と「付属小」とがすぐ隣に並んでいた。
バス停でも「附属中学校」だ。それぞれが創立した年に違いがあって、当用漢字の補正資料という新聞業界が主導し、紙面に採用した書き換え案と関係しているのだろうか。
そこの校長先生を経験された方のお話を聞いて下さった方がいた。すると、大したことと思っていないようだったそうだ。話題に上る「豆富」(豆腐)と違って、気づきにくいのは、フゾクの方が抽象度の高い語だからであろう。おそらく教育的な配慮によるものではなかろうか。学年配当は現在、「付」が小学4年生、「附」は中学生だ。小学校で習わない字を校名に用いるのは不適という判断があったのではなかろうか。また、「付属幼稚園」もあった。履歴書では、不統一に書かれているのだろう。それが正確だからだ。
そもそも同じ中学、小学校でも、現実には看板や地図によって、「附属小」「付属中学」のように両方の字が混在し、また入り乱れていたので、その教育上の効果は不明だ。小学校の校門には、なんと「附属小学校」という掲示も釘で打ち付けられていた。この2字は、常用漢字表以前の当用漢字表から存在している。「こざとへん」の付く「附」は、「日本国憲法」に出自をもつものといわれる。常用漢字表の改定の際に、この字について取り上げてみたところ、一方が「つく」、もう一方が「つける」という使い分けがあったという説明を頂いた。辞書ではそれらしいことが書かれているが、そうでないことも書かれている。一般にはまず意識されていないことである。「附」には附属マークがついているとも言われるが、「寄附」「附則」などもあって、それらにも世上で両様の表記が混在してしまっている。これは、島根県だけの問題ではない。大学生には、「附属」と「付属」が頭の中で混ざって「属」「付」などと書き誤ってしまう者がいるくらいなのだ。