国語辞典の記号が分からない――と言う人の念頭にまず浮かぶのは、漢字表記欄に書いてある「×」「▽」などの記号でしょう。「×隘路(あいろ)」「▽校倉(あぜくら)」などの印の意味が分からないまま(気にしないまま)使っている人は多いはずです。
学習国語辞典の漢字表記を取り上げた時(第16回)、学習漢字は無印、学習漢字でない常用漢字は「○」、それ以外は「×」、などの記号が使われていると説明しました。そして、これらの記号は、どの漢字から覚えればいいかという指標になると述べました。
一般向けの国語辞典の場合は、学習漢字かどうかまでは示さないものが多数派です。むしろ、ポイントは、「常用漢字か、そうでないか」「常用漢字の音訓表で認められた読み方か、そうでないか」を示すことにあります。
『三省堂国語辞典』の場合で言うと、常用漢字は無印、それ以外の漢字は「×」をつけています。また、常用漢字表にある字でも、音訓表に示されていない読みは「▽」をつけています。つまり、「×隘路」の「隘」は「あまりなじみのない漢字」、「▽校倉」の「校」は「読み方がむずかしい漢字」というくらいに思っておけばけっこうです。
この記号が何の役に立つかと問われれば、やはり、どの漢字から覚えればいいかという指標になると、繰り返しておきます。文章を書いて生活する人ならば、常用漢字表にない字を避けるために辞書で確認することもありますが、一般には、自分の使いたい字を自ら制限する必要はありません。「×」や「▽」の記号は、ことばを覚えるための手がかりとして使うほうが便利です。
ことばを覚えるための記号といえば、英和辞典の方式が思い浮かびます。英和辞典では、「***important」「**relative」「*comparative」のように、どの語を優先して覚えればいいかが星の数で示してあります。受験勉強では、これがたいへん役に立ちます。
国語辞典でも、星をつけたりして重要度を示すことがありますが、これは全部で数千語程度で、主に学生や日本語学習者に向けたものです。一般の利用者にとっては、星の数はあまり問題になりません。むしろ、そのことばが常用漢字で書かれるかどうかといった情報のほうが、ことばの重要度を知る材料としては有用です。
「各書各様」の表記欄
私の経験を話します。もう以前のこと、ある人の書いた原稿に「株主総会で、取締役の定数削減等が大宗(たいそう)を占めた」という部分がありました。その筆者に「大宗って何ですか」と尋ねたところ、「大宗、知りませんか。主要な部分ということですよ」と言われました。勉強不足を大いに恥じた次第でした。
国語辞典では「大」「宗」は無印、つまり、常用漢字です。常用漢字で書くことばなのに知らなかったことがショックで、いまだに強く印象に残っています。私にとっても、常用漢字か否かは、ことばを覚えるときの指標のひとつになっています。
漢字表記欄の記号は、こんなふうに役立てることができますが、必ずしも注意されていないのはもったいないことです。これは、ひとつには、国語辞典によって使う記号がまちまちで、読者に一定のイメージが定着していないためです。
たとえば、「一蓮托生」という熟語(常用漢字以外の字を含む)を、それぞれの国語辞典がどんな記号を使って示しているかをまとめると、次のようになります。
一×蓮×托生……『三省堂』『岩波』『新選』『集英社』『学研現代新』
一▼蓮▼托生……『明鏡』『現代国語例解』『大辞林』
一△蓮△托生……『旺文社』
一〈蓮托〉生……『新明解』
一[蓮(托生……『新潮現代』
まさに「各書各様」です。これだけならともかく、ある辞書で使われている記号が、他の辞書では別の意味で使われることがあるので、話はややこしくなります。たとえば、「×」は、『旺文社』では「あて字」の意味です。また、「△」は、『岩波』『集英社』では「常用漢字にない読み方」の意味です。読者の誤解を招くおそれがあります。
国語辞典ごとに考えがあってのことなので、記号を統一することは簡単ではありません。当分は、このまま行くしかなさそうです。
ただ、常用漢字以外の字を「×」で示すのは、そろそろやめてはどうかと思います。バツ印は、「使ってはだめ」というメッセージを含みます。「×」は、制限色の強かった当用漢字の時代のなごりです。何か別の中立的な印を考えたほうがいいでしょう。