タイプライターに魅せられた男たち・第58回

黒沢貞次郎(11)

筆者:
2012年11月1日

1928年11月17日、黒沢は緑綬褒章を授与されました。カタカナ・タイプライターの製作とその事業が、衆民の模範として認められたのです。この頃、黒沢は、逓信省の島田新次郎や鈴木寿伝次らと共に、遠隔タイプライターの開発をおこなっていました。東京中央電信局では、すでに、モークラム・クラインシュミット社の『テレタイプ』を、カタカナ縦書きに改造した「和文印刷電信機」を運用していました。島田は、これを国産化したいと考えていたのです。それに向けて、黒沢は、逓信省出身の技術者である松尾俊太郎を、黒沢商店に迎え入れていました。

モークラム・クラインシュミット社の「和文印刷電信機」
モークラム・クラインシュミット社の「和文印刷電信機」

1932年7月、黒沢商店を含む6社は、逓信省から「和文印刷電信機」の設計書提出を依頼されました。当時の日本は、五族協和の夢と、満洲国への期待で沸き立っていましたが、それは同時に、アメリカと敵対する可能性を強く孕んでいました。そこで、「和文印刷電信機」の国産化に向けて、逓信省が動きだしたのです。期限は1932年12月末。黒沢は、松尾と共同で「和文印刷電信機」の設計をおこないつつ、まずはカタカナ・タイプライターの完全国産化に挑みました。「和文印刷電信機」のキー配列は「和文スミス」と全く同じだったので、「和文スミス」を国産化できれば、「和文印刷電信機」の国産化にもかなり寄与するはずです。すでに「和文スミス」の部品は、全て蒲田工場で生産できるようになっていました。あとは、スミス・コロナ社の特許に抵触しないよう、設計を少しだけ変更すれば、国産のカタカナ・タイプライターは十分、実現可能でした。

1933年1月、「和文印刷電信機」の設計書を提出した黒沢商店に対し、逓信省は試作機の製作を依頼しました。期限は1933年12月末です。黒沢は、「和文印刷電信機」の試作に合わせて、純国産カタカナ・タイプライター「アヅマタイプ」(AZMATYPE)を完成しました。デザイン的には「和文スミス」を改良したものですが、部品製造も組立工程も、全て日本国内でおこなったのです。

アヅマタイプ(AZMATYPE)
アヅマタイプ(AZMATYPE)

1933年12月26日、黒沢は、「和文印刷電信機」の試作機を、逓信省の島田に提出しました。しかし、島田は納得しませんでした。試作機は、長時間の動作に耐えられなかったのです。耐久性に欠けていたのです。タイプライターと印刷電信機とでは、必要とされる耐久性に、かなり大きな差があったのです。しかし、他社は試作機すら作ることができていません。「和文印刷電信機」の国産化は、黒沢商店に賭けるしかありませんでした。島田は、黒沢と共に、さらなる耐久性を持つ「和文印刷電信機」の開発を、続けていくことにしたのです。

黒沢貞次郎(12)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。