学生:先生、過去分詞の一致について質問があるのですが。
先生:ん? どんな質問かな。
学生:助動詞が être のときは過去分詞が主語の性数と一致しますが、avoir のときは過去分詞が変化しませんよね? 例えば、« Ils ont mangé des crêpes. »「彼らはクレープを食べた」とか。
先生:そうだね。
学生:でも « ont mangé »「食べた」の直接目的語の crêpes が前に置かれたときには、過去分詞 mangé は女性名詞複数の crêpes に一致しなくてはならないのはなぜですか? 例えば、関係代名詞を使って « les crêpes qu’ils ont mangées »「彼らが食べたクレープ」となったときとか。
先生:うん、確かに変な規則だよね。« ont mangé »「食べた」の直接目的語は、前に置かれようと後ろに置かれようと crêpes「クレープ」なのに、それが前に置かれたときだけ過去分詞が直接目的語と性数一致しなきゃならないんだからね。不合理的な規則だけど、歴史文法で考えると、なぜこんな具合になったのかわかるかもしれないよ。まず過去分詞の用法の確認から始めよう。過去分詞は単独で形容詞的にも用いられるのは知っているよね? 例えば、« une ville détruite par la guerre » は「戦争によって破壊された町」だし、« un livre composé de cinq chapitres » は「5章で構成された本」という意味になる。
学生:過去分詞が名詞を修飾して、受け身の「…された」って意味で使われますね。
先生:うん、分詞というのは動詞と形容詞の両方の性質を分け持っていることから、この名前がついたんだ。分詞は本質的に動詞から派生した形容詞で、名詞や代名詞を修飾する働きをもっているんだ。
学生:それはわかります。でも私が聞いているのは、過去分詞が助動詞 avoir と一緒に使われるときの話なんですが。
先生:avoir と過去分詞を組み合わせた複合形は、古典ラテン語の時代から確認できるんだ。ラテン語文法ではフランス語の過去分詞にあたる品詞は完了分詞と呼ばれているんだけどね。avoir の語源にあたる habeo と完了分詞を組み合わせるとき、古典ラテン語では habeo が「持つ」という意味の他動詞として使われていて、直接目的語を伴っていた。つまり、完了分詞は、この直接目的語につく形容詞として直接目的語と性数一致していたんだ。古典ラテン語の « habeo epistolam scriptam »「私は書かれた手紙を持っている」という一文を例に挙げると、scribo「書く」の完了分詞 scriptus が、女性単数の名詞 epistolam「手紙」に性数一致して、scriptam になっている。現代フランス語で表現すると « J’ai la lettre écrite » という感じかな。ただ、時代が下るにしたがい、動作のほうに意味の重点が移ってきて habeo「持つ」の意味が薄れ、完了分詞は habeo と結びついて完了した動作を示すようになる。これがフランス語の avoir と過去分詞の組み合わせの複合時制に発展していくんだよ[注1]。
学生:へぇ、複合時制で使われる過去分詞と、形容詞として使われる過去分詞には、そういうつながりがあったんですね。
先生:中世フランス語のテクストでは、直接目的語の位置にかかわらず、過去分詞は性数一致することが多いんだ。
学生:それは過去分詞が、本質的に名詞や代名詞を修飾する形容詞だったからですね。でも、どうしてそれが現代フランス語のように、直接目的語が前に置かれたときだけ性数一致するようになったのでしょうか。
先生:君は、中世期のヨーロッパで、どんなふうに本が作られていたか知っているかい?
学生:なんですか、突然……。活版印刷術がなかったので、本は手で書き写されていたんですよね。
先生:そう、修道院の写本工房の修道僧たちが、読み上げられたテクストを羊皮紙の上に手書きしていたんだ。ディクテみたいにね。その様子をちょっと思い浮かべて欲しいんだよ。
学生:大変な作業だったでしょうね。修道院は暗くて寒かっただろうし。
先生:まず、読み上げられたのが « Les pieds que Jésus a lavés »「イエスは足を洗った」という文だったとする。修道僧は単語をひとつひとつ聞いた順番に書き写していく。「ん、最初は les pieds「足」ね。あ、それをイエス様は洗ったわけだ。それじゃあ lavé「洗った」には « les pieds » に合わせて複数の -s をつけておかなきゃな」という具合に。
学生:何の問題もないですよね。« lavés » は、その前に出てきた « les pieds » と性数一致して複数形になるわけですね。
先生:でもね、最初に読み上げられたのが、« Jésus a lavé... »「イエスは洗った」だとしたら、修道僧はどうすると思う? 「イエス様が洗ったんだ。でも、何を洗ったんだ? まぁいいや、何を洗ったかは、このあとに出てくるはずだから。とりあえず « Jésus a lavé » と書いておくか」と考えながら作業を続けるよね。
学生:そうか。直接目的語がわかるまでは、過去分詞を性数一致させることができませんね。
先生:ところがね、« Jésus a lavé... » のあとに何が読まれたかというと、« avant la fête de Pâques »「復活祭の前に」だったんだよ。
学生:あれ!? 直接目的語じゃなかったんだ。
先生:その後に続いたのが、« sachant que son heure était venue »「彼の最後のときがやってきたことを知っていたので」。その後が、« lorsque le diable avait déjà inspiré au cœur de Judas Iscariote »「悪魔がイスカリオテのユダの心にすでに吹き込んでいたときに」。
学生:あれ、なかなか « Jésus a lavé » の目的語が出てこない……。
先生:さらに、« fils de Simon »「シモンの息子」。これは、その前のユダのことだよね。そして « le dessein de le livrer »「彼を引き渡すという計画を」、これは « inspiré » の目的語みたいだ。それから、« sur les bords du lac de Tibériade »「ティベリアス湖のほとりで」といった具合に続いた挙げ句、ようやく « les pieds »「足を」という « Jésus a lavé » の直接目的語に到達する[注2]。
学生:ようやく « Jésus a lavé » の直接目的語、イエスが何を洗ったのかが判明するわけですね(笑)
先生:でも、« les pieds » が聞こえてそれを書き写したときには、修道僧はそれに « lavé » を一致させなきゃいけないことは忘れてしまっていた。この後に続くテクストも書き写さなきゃいけないし。それで « lavé » には -s がない。
学生:それが直接目的語が過去分詞の後ろにあるときは、過去分詞は変化しないという現代フランス語の規則になった理由なんですか? 本当ですか?
先生:実はこのエピソードは、ベルギーのフランス語教員と歴史学者が書いた『正書法の間違い』La Convivialité : La Faute de l'orthographe[注3]という戯曲からとってきたものなんだけどね。でも中世のテクストを見ると、直接目的語に性数一致していない過去分詞の例もかなりあるんだ。中世フランス語は現代語よりも語順が自由で、韻文では韻律や脚韻の都合で直接目的語が過去分詞に前置されたり、後置されたりすることがあったのだけれど、過去分詞と直接目的語が離れていると一致が行われない例が多いみたいだね[注4]。
学生:現代のフランス語のような規則になったのは、いつ頃からなのでしょうか?
先生:中世フランス語の段階で直接目的語と過去分詞の一致はかなり不安定だったのだけど、直接目的語が後置されたときに過去分詞を性数一致させない例は11世紀後半の最初期からあって、時代が下るにつれ一致させない用例が珍しくなくなっていく。でも16世紀の文法家には、後置された直接目的語にも過去分詞を一致させるべきだと主張する人がいるね[注5]。たとえば、プレイヤッド派の詩人ロンサール Pierre de Ronsard (1524-1585) の有名な詩『カッサンドルへのオード』Ode à Cassandre (1545) の中に、その一例があるよ。
Mignonne, allons voir si la rose | 愛しき人よ、見に行こう、 |
---|---|
Qui ce matin avait déclose | 今朝、日の光をうけて |
Sa robe de pourpre au soleil, | 緋色の衣を開いた薔薇の花を |
これを見ると、過去分詞 déclos(不定詞はdéclore「開く、あける」)が、後置された直接目的語 Sa robe に合わせて déclose となり、性数一致しているのがわかるね。ただ、こうした用例はあるけれど、当時の実際の運用では過去分詞が助動詞 avoir と一体化していて、後置された目的語に過去分詞が性数一致することは多くはなかったんだ。
学生:前置された直接目的語に過去分詞が性数一致するというのは、ずっと維持されてきたんですね?
先生:この規則は16世紀前半の大詩人クレマン・マロ Clément Marot (1496-1544) が推奨し、その後、ラムス Petrus Ramus (1515-1572) やヴォージュラ Claude Favre de Vaugelas (1585-1650) といった大きな影響力を持った文法家たちに支持され、定着したんだ。でもこの規則が守られていない例は、近代以降の大作家たちのテクストにけっこうあるんだけどね。例えば、Bon usageには次のような用例が紹介されているよ[注6]。
La vénération que j'ay toujours eu pour les Ouvrages qui nous restent de l'Antiquité (Racine, Iphigénie, Préface, 1674) 古代から我々に残された作品に対して私が常に持っている敬意
J'ai lu des Vers de vous qu'il n'a point trouvé beaux (Molière, Femmes savantes, IV, 2) 私はあなたからの詩を読みました。あの方はその詩にはまったくいいところがないと言っていましたが。
As-tu vu la tête qu'il a fait (Proust, À la recherche du temps perdu, t. I, p. 226) あいつがどんな顔をしたのか見たか?
先生:ただ最後のプルーストの例は小説の登場人物の台詞で、口語慣用表現としてはよく耳にするけどね。
学生:この文法規則の歴史的経緯のお話はとても興味深いのですが、それでも直接目的語が前置されているときだけ過去分詞を変化させるっていうのは、不自然で不合理なルールに思えます。形容詞としての過去分詞が、それにかかる名詞に一致していた名残といっても、いまでは過去分詞を性数一致させるのは正書法の上での慣習に過ぎないじゃないですか。
先生:実はさっき紹介した戯曲『正書法の間違い』の作者たちもそういうふうに考えていて、こんな無意味な規則を学校で教えるなんて馬鹿馬鹿しいじゃないかと風刺しているんだ。文法家のあいだでも、このルールについては昔からいろいろ議論があって、実は1901年2月26日に公教育・美術大臣が出した省令では、直接目的語が前置されていても過去分詞は無変化のままでいいということになったんだ[注7]。でもフランスの作家たちは、この単純化の要請には従わなかったんだよね。言語に限らないことだけど、人間は必ずしも合理性に基づいて選択したり、行動したりするわけではなくて、たとえ不合理であっても歴史のなかで定着した慣用や伝統に固執してしまうものなんだよ。
[注]