長保元年正月3日、定子と共に参内する際、清少納言は木守(こもり)という者に雪山の見張りを言いつけました。木守とは庭木番を意味する呼称で、職曹司の土塀のあたりに住みついている身分の低い男です。そして7日まで宮中に滞在して里下がりした後も、何度も従者を職曹司に遣わし、木守に雪山を守るよう注意させていました。
賭けの決着日は1月15日でした。14日の夜になって大雨が降り、雪山が消えるのではないかと清少納言は夜も寝ずに嘆きます。その狂ったような様子を女房たちは笑います。無理やり起こされ雪山の様子を見に行かされた下人の報告では、まだ座布団の大きさくらい残っていて、木守がしっかり守っているということでした。清少納言はうれしくなって、明日の朝になったら、消え残っている雪のきれいな部分を取って盆に小さな雪山を作り、それに和歌を添えて定子にお目にかけようと思います。
早朝、清少納言は下人に命じて雪を取りに行かせます。しかし、下人は空の入れ物を手に提げて戻り、雪はすっかり無くなっていたというのです。昨夜まで残っていたはずなのに、そんなことがあるものか、と清少納言は納得できません。雪は残っていたかという定子からの仰せ言には、自分が賭けに勝つのを妬んだ誰かが取り棄ててしまったのだと返事をしました。
1月20日に定子の御前に参上した清少納言は、このことをまず申し上げ悔しがります。せっかく素晴らしい歌を詠んでお目に掛けようと思っていたのにと憤慨する清少納言。そんな彼女を見て、定子は大笑いしながら真相を話します。残った雪山を取り棄てたのは実は定子だったのです。驚き、嘆く清少納言に対して、定子は、お前が勝ったのも同然なのだから用意した歌を披露せよと言います。しかしとてもそんな気分になれません。一条天皇も、清少納言は定子のお気に入り女房だと思っていたのに、この一件でわからなくなったなと口を挟みます。
さて、定子はなぜ、雪を取り棄ててしまったのでしょうか。これについては、定子の清少納言に対する深い配慮を読み取る解釈がされています。すなわち清少納言がもしここで一人勝ちしてしまったら、他の女房たちの反感を買うのではないか。かつて同僚女房たちからスパイ容疑をかけられ、仲間外れにされた経験のある清少納言です。定子サロンの中にその火種がまだ残っているかもしれない。そこで清少納言の今後の立場を慮り、後宮をまとめる主人の立場から判断してとった行動だったという解釈です。
確かにそのような考え方もできるでしょう。定子後宮が置かれた社会的立場は依然厳しく、女房たちの心中には不安や焦燥感が常に渦巻いていたはずです。ここでは清少納言の方も、あえて笑われ者役を演じているように見えます。サロン内の平穏を保つために笑いが有効であることを、定子も清少納言も心得ていたのではないでしょうか。また、作者の立場から考えると、不如意な生活の中でも屈することなく明るい雰囲気の定子サロンを描くことが、社会に対して中宮定子の存在をアピールすることになったと思います。
清少納言が正月休暇を終えて再出仕した時、定子は天皇と同席していました。長保元年正月3日から少なくとも20日までの2週間以上の期間、定子が内裏にとどまって、一条天皇と共に過ごしたことが示されています。雪山の段は、笑われ者を買って出た清少納言自身の話の顚末に、一条天皇と水入らずの一時を過ごす中宮定子の姿がしっかりと書き留められている章段なのです。