1888年7月25日9時50分、マッガリンとトローブのタイプライターコンテストが始まりました。コンテストは、手書き文書の清書45分と、口述タイピング45分の二本立てです。審判のディーン(Norman F. Dean)、ウィリアムズ(Edwin M. Williams)、ペリン(Buchanan Perin)の立会いのもと、クジ引きをおこない、まずはマッガリンが口述タイピングを、別室でトローブが手書き文書の清書を、それぞれおこないました。コンテストに用いられたのは裁判所記録で、マッガリンにとってもトローブにとっても、もちろん初めての文書でした。
同日10時50分、今度はトローブが口述タイピングを、別室でマッガリンが手書き文書の清書を、それぞれ開始しました。そして、11時35分にコンテストは終了し、審判の判定が始まりました。判定の結果は、マッガリンが、口述タイピング4294ワード、手書き文書の清書4415ワード。トローブが、口述タイピング3747ワード、手書き文書の清書3191ワード。マッガリンの圧勝でした。賭金500ドルは、マッガリンが手にすることとなりました。
マッガリンの勝因は、もちろんマッガリンの方がタイピング能力が高かったからですが、トローブは必ずしもそう考えませんでした。マッガリンが「Remington Standard Type-Writer No.2」を使っていて、トローブが「Caligraph No.2」を使っていたことから、これはタイプライターの差だとトローブは主張したのです。「Caligraph No.2」では、大文字と小文字が別々のキーになっており、どちらも一打で打つことができるのですが、これが逆にアダとなりました。実際トローブは、「Caligraph No.2」のキー配列のうち、小文字に関しては完璧に記憶しており、キーボードを見ずに打つことができたようです。しかし、大文字に関しては、キーボードに目をやる必要があり、それが手書き文書の清書では、大きな差となって現れたと考えたのです。というのも、口述タイピングでは固有名詞を必ずしも大文字化しなくていいのですが、手書き文書の清書では元原稿にある大文字は必ず大文字で打たなければいけません。その結果、大文字のキー配列を覚えきれていないトローブは、手書き文書の清書では、どうしても遅れをとってしまったわけです。
一方、マッガリンが使っている「Remington Standard Type-Writer No.2」では、大文字と小文字が同じキーになっており、プラテンシフト機構を使って打ち分けます。すなわち、まず「Upper Case」キーを押してプラテンを手前に移動させ、次に大文字を打ち、さらに「Lower Case」キーを押してプラテンを元の位置に戻すので、大文字を打つのに3回キーを押す必要がありました。しかしマッガリンは、キーボードを全く見ることなく、これら3つのキーを連続して素早く打つことができたのです。
翌7月26日、パレスホテルに集まった聴衆の前で、マッガリンは、目隠しタイピングの技術を披露しました。これに対しトローブは、敗北を完全に認めたうえで、「Caligraph No.2」を捨てて「Remington Standard Type-Writer No.2」に乗り換えることを宣言しました。
(フランク・エドワード・マッガリン(5)に続く)