モノが語る明治教育維新

第35回―双六から見えてくる東京小学校事情 (13)

2019年4月9日

前回ご紹介したように、明治初期の「体操」は子どもにとっては興味が持てず、大人からは軽んじられるようなものだったと述べた内田魯庵(ろあん)ですが、運動場で繰り広げられた遊戯については下記のように語っています。

「相撲や戦争ごっこ、殊に戦争ごっこは私の学校では盛んで、毎日全校生徒が二軍に分れて猛烈な叩き合ひや組討をした。毎日怪我人の二人や三人を出し、余り目に余ったので校長先生から差止められた事もあった」(「明治十年前後の小学校」,  『太陽』第33巻8号増刊号) 

ケガ人を日常的に出すような荒々しいものではありましたが、子どもたちが全身全霊を傾けて遊びに熱中していたことが伝わってきます。しかも「運動場の強者はイツデモ教場の弱者であったから相撲や戦争ごっこに強い者が必ずしも威張らなかった」と、子ども同士の中で自然とバランスの取れた社会が形成されていたといいます。

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魯庵の通った「松前学校」は、向柳原1丁目(現・台東区浅草橋)にありました。双六には、戦争ごっこではありませんが、元気に「目隠し鬼」をして遊んでいる場面が描かれています。この目隠し鬼は「当て鬼」ともいわれ、鬼が布で目を覆い、他の子は「鬼さんこっち 手の鳴る方へ」と手を打ってはやし立てながら逃げます。地域(学校)によって、鬼がタッチしたただけで負けが決まるところ、捕まえた子の頭や顔、衣類を撫でまわし、その子の名前を言い当ててはじめて鬼役が交代できるところ、とルールはそれぞれでした。

本所林町(現・墨田区菊川)の「中和学校」では、「子とろ子とろ」という遊びの最中です。

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一人が鬼(左にいる洋装の少年)、一人が親(先頭の袴をはき帽子をかぶった少年)となり、他の人はすべて子となります。鬼が「子捕(と)ろ子とろ、どの子をとーろ」と言いつつ、一番後ろの子を捕えようとします。それに対し、親は両手を広げ後ろの子を守りつつ、連なった子と一緒に「サアとっちゃーみーさいな」と、右往左往しつつ鬼の襲来をかわします。後ろの子が捕まれば、捕まった子が鬼となり、鬼役だった人が親となります。この遊戯の歴史は古く、平安時代に始まったといわれています。元は地獄の獄卒(死人を責めさいなむ鬼)に連れ戻されそうになる罪人を地蔵菩薩が守るといった仏教の教えを、遊びに転化したものです。

このように、男子は専ら遊びを通して体力を養い、ルールを守ることや人との付き合い方などを自然と学ぶことが多かったのです。

一方、女子はというと…… 元園町(現・千代田区麹町)の「麹街女学校」では、「遊歩」の時間に手まりをしています。

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この頃は体操と遊びがはっきり分かれていたわけでなく、この「遊歩」も体操と同じように勉強による疲れをいやし、身体を養う時間としてとらえていました。特に女子の体操は、何事も控えめが美徳とされる封建的な道徳観にしばられ、廃止する学校も少なくありませんでした。手まりなどの簡単で手軽な遊戯は、現代から見れば運動量も少なく物足りなく思えますが、当時はひ弱な女子の身体を養うには適切な運動として捉えられていたのです。

絵図では、手前の二人が床にひざまずいてまりつきをしています。ゴム製が普及する以前のことなので、ゼンマイの綿やこんにゃく玉などを芯にして、糸を幾重にも巻き付けて作る昔ながらの糸手まりをついているのでしょう、あまり弾んでいるようには見受けられません。手まりはお手玉と並んで長い歴史を持つ女児の伝統的な遊びですが、まりをつきながら歌う手まり唄は、東北から九州まで各地で歌い継がれています。東京では「ひとつとや」の数え歌、「向こう横丁のお稲荷さん」の手まり唄などが流行りました。こういった伝統的なわらべ歌に親しむことは、「唱歌」の教授法が分からず音楽教育が欠けていたこの時代[注1]に、音感やリズム感などを自然と身につけるいい機会でもあったのです。

欧化が進む学校の中でも、子どもの遊びの世界には、「目隠し鬼」に「子とろ子とろ」、そして「手まり」としっかり江戸の文化が継承され、息づいていたことが伝わってくる風景です。

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  1. 『学制』には、下等小学教科15番目に「唱歌」と記されていますが、「当分之ヲ欠ク」と但し書きがされています。

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筆者プロフィール

唐澤 るり子 ( からさわ・るりこ)

唐澤富太郎三女 昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。 平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長 唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/ 唐澤富太郎については第1回記事へ。 ※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

『図説 近代百年の教育』

編集部から

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。