日常生活の中で、いろいろな「物」に接する。現代であれば、テレビでいろいろな「物」を見る。ここでいう「物」は具体的な「物」で、言語学では「指示物(referent)」と呼ぶことがある。つまり指し示す物ということだ。
例えば、「ヒザ(膝)」はわかるだろう。では「膝の裏の部分の呼び名は?」と言われると即答できない人もいそうだ。「そんな場所に呼び名があるのか?」とか、「そんな場所を呼ぶことはないだろう」とか、いろいろありそうだが、「ヨホロ」「ヒカガミ」という名前がある。『日本国語大辞典』には次のように記されている。
よほろ 【膕・丁】〔名〕(後世「よぼろ」「よおろ」とも)(1)(膕)膝のうしろのくぼんでいる部分。ひかがみ。うつあし。よほろくぼ。*十巻本和名類聚抄〔934頃〕二「膕 太素経注云膕〈戈麦反 与保路〉曲脚中也」*宇津保物語〔970~999頃〕楼上上「八九ばかりなるをのこご、髪もよをろばかりにて」*栄花物語〔1028~92頃〕月の宴「御髪(ぐし)などいとをかしげにて、よをろばかりにおはします」*温故知新書〔1484〕「膕 ヨウロ」(以下略)
ひかがみ【膕】〔名〕(「ひきかがみ(隠曲)」の変化した語)ひざの後ろのくぼんでいる所で、すわる時にひっこむ部分。よぼろ。うつあし。ひっかがみ。*多識編〔1631〕五「膕 比加加美(二字目の加に濁点あり)」*訓蒙図彙〔1666〕五「膕(くゎく) よぼろ うつあし 俗云ひかがみ」*書言字考節用集〔1717〕五「膕 ヒカガミ 膝後曲処」*白羊宮〔1906〕〈薄田泣菫〉鳰の浄め「伏葦の臂のひかがみ」*歩兵操典〔1928〕第三八「同時に概ね膕(ヒカガミ)を伸はし全く体の重みを之に移す」(以下略)
「ひかがみ」の「語誌」欄には「膝の後ろ側の名称としては、上代は「よほろくぼ」、中古以降は「よほ(を)ろ」が用いられた。室町期になって「ひっかがみ」、近世にその短呼形「ひかがみ」が用いられるようになったが、同時に「ひざのうしろ」「ひざのうら」といった表現も見え始める」とある。
『日本国語大辞典』が使用例として掲げている文献をみると、「ひかがみ」の「語誌」欄に記されているように、まず「ヨホロ~」という語形があって、室町時代以降に「ヒッカガミ」「ヒカガミ」という語形が使われるようになったと思われる。しかし、「ヨホロ(ヨボロ・ヨオロ)」「ヒカガミ」いずれの語も現代日本語としてはあまり使われていないと感じる。
『日本国語大辞典』を読んでいると「アレの名前か!」と思うことがある。
すかり〔名〕(「すがり」とも)(1)網のように編んだ、数珠(じゅず)のふさ。また、数珠を入れる網の袋ともいう。*後撰和歌集〔951~953頃〕雑四・一二八四・詞書「ある法師の、源のひとしの朝臣の家にまかりて、ずずのすがりをおとしけるを、あしたにをくるとて」*類聚名物考〔1780頃〕調度部一二・釈教「すがりは網をいふ。すがりあみとも俗に云ふ。珠数を入し網の袋ともに落して置わすれしにや。今も俗に珠数袋といふ物有り」(2)物を入れる網の袋。獲物などを入れるのに用いるもの。また、山伏が法螺(ほら)貝を入れている網袋や磯釣りで使う口元に浮子(うき)のついた網魚籠をいう。*御伽草子・諏訪の本地(神道物語集所収)〔室町末〕「たちよせて、大づなをいくらともなくうたせて、すかりといふ物を、人二三人乗ほどにこしらへて」*咄本・聞上手〔1773〕二度の駈「桃太郎〈略〉こんどは龍宮へでもいって見んと、腰には例の黍(きび)団子、すかりに入れて下げて出る。〈略〉『ひとつください、お供もふそう』桃太郎すかりよりひとつだしへとらせければ」(3)積雪量がきわめて多い所での、雪中歩行用具。大型のかんじき。縦七五~九〇センチメートル、横三五~四〇センチメートルの楕円形に、木や竹を曲げて作る。《季・冬》*随筆・北越雪譜〔1836~42〕初・上「故に冬の雪中は橇(かんじき)・繾(スガリ)を穿(はき)て途(みち)を行」(以下略)
語義(1)は語釈に「ともいう」とあり、はっきりしていない点がありそうだ。(2)の山伏が法螺貝を入れている網袋が「アレの名前か!」で、たしかにテレビなどで見る山伏の法螺貝は、網の袋に入っている。そのことにあまり疑問をもったことはないが、その網の袋に「スカリ(スガリ)」という名前があったことには驚いた。
「物」すべてに名前があるとは限らないが、ふだん気づいていない、意識していない「物」にちゃんと名前があることもある。