『日本国語大辞典』をよむ

第43回 役に立たないもの

筆者:
2018年9月23日

りぎゅう【犛牛】〔名〕「ヤク」に同じ。

りぎゅうの尾(お)を愛(あい)するが如(ごと)し (「犛牛」は、仏教の慣用読みで「みょうご」とも読む)牛が役に立たない自分の尾をいとおしむように、人が無意味な欲望から逃れられないさまをいう。

ヤクはインド北西部、パキスタン北東部、中華人民共和国の甘粛省やチベット自治区など、標高の高い場所に住むウシの一種で、その尾の毛が、日本では甲や槍などにつける装飾品として武士に愛好された。仏教の僧侶が使う払子(ほっす)にもヤクの尾の毛が使われている。そのことからすれば、「犛牛の尾」が役に立たないわけではないが、とにかく上のように言われることがあった。

実際にどうか、ではなく、「役に立たない」ということを言語でどのように表現するか、ということであるが、いろいろな表現がある。

あしの裏(うら)の目薬(めぐすり) 見当ちがいで役に立たないことのたとえ。尻に目薬。

あらそい=終(お)わり[=果(は)てて]の乳切木(ちぎりぎ) (「乳切木」はけんかなどに用いる棒)争いが終わったあとに、棒を持って来るということで、時機に遅れて役に立たないことをいう。諍(いさかい)果ててのちぎり木。喧嘩(けんか)過ぎての棒ちぎり。

いもがらのたいぼく【芋幹大木】 方言 〔名〕 体が大きいだけで役に立たないこと。また、その人。独活(うど)の大木。

うどの大木(たいぼく) ウドは茎が長大に生長するが柔らかくて役に立たないことから、身体ばかり大きくて、ものの役に立たない人のたとえ。

うまれたあとの早(はや)め薬(ぐすり) (子が生まれてから、出産を早める薬を飲む意から)時機をはずして役に立たないことにいう。いさかい過ぎての棒ちぎり木。

かごかきに肩(かた)の無(な)いようなもの ある事をするのに一番たいせつなものが欠けていて、役に立たないことのたとえ。

かざしもに笊(ざる) (ざるを風下に置いて、風を防ごうとしても、効果がないというところから)労多くして功少ないこと、役に立たないことをいう。

ぎょくし【玉巵】〔名〕 玉で造ったさかずき。また、美しいさかずき。玉杯。

ぎょくし当(とう)無(なし) 玉の杯に底がないこと。すばらしく見えて役に立たないもののたとえ。

「足の裏の目薬」はたしかに役に立たない。「膝に目薬」とか「耳に目薬」とか、いろいろな表現が考えられるが、その中で「足の裏」ということだ。目からは遠い位置にあることがポイントだろうか。「独活の大木」は筆者の子供の頃にはまだよく使われていたと記憶する。

「風下に笊」は、風上に笊を置いたとしても、風下に置いたとしても、笊で風は防げないはずだから、全然効果がない、ということなのではないだろうか。その「全然」が説明にあった方がいいように思う。

筆者は高知大学に勤めていたことがあったが、高知には底に穴があいている杯や、置くことができないような形状をしている杯があった。底の穴を指でふさぎ、すぐに注がれた酒を飲む、あるいは杯を置かずにどんどん飲むということのようだが、なかなかすごい。底がすべて無いのでは杯としての「役には立たない」だろうが、役に立つか立たないかには、「価値観」がかかわっているはずだ。

いえば言(い)わるる大鋸屑(おがくず) 理屈をつけて言いまわせば、おがくずのように役に立たないものでも、有益なもののように言うことができる。どんなつまらない事にも道理をつければ、つかないことはないということのたとえ。鋸屑も言えば言う。

おがくずも取(と)り柄(え) 無用のおがくずでさえ、どこかに取り用うべき点がある。世の中に全然役に立たない物というのは存在しないということのたとえ。

「おがくずのように役に立たないもの」とか「無用のおがくず」とか、おがくずも散々な言われようであるが、そうしたおがくずも、理屈をつければ有益なもののように言えるし、実際に探せば何か取り柄がある、ということで、これは「価値観」を変えるということを表現している。生きたエビを輸送する時にはおがくずに入れるのではないだろうか。だから、実際におがくずも使い道があるはずだ。

かす【糟・滓・粕】【一】〔名〕(1)液体をこしたあとに残った不純物。おり。おどみ。(2)酒のもろみを醸(かも)し、液汁をこして残るもの。酒のかす。(3)よい所を取り去ってあとに残ったもの。くず。つまらぬもの。のこりくず。不用なもの。(4)人をののしっていう語。(略)

(3)や(4)から、「かす」が「役に立たない」あるいは罵りの気持ちをあらわす接頭語として使われるようになる。

かすでっち【糟丁稚】〔名〕取るに足りない丁稚。役に立たない丁稚。丁稚をののしっていう語。

かすとねり【糟舎人】〔名〕取るに足りない舎人。役に立たない舎人。

かすほうし【糟法師】〔名〕役に立たない法師。法師をけなしていう。

「から(空)」も同じように使われる。

からじょう【空錠】〔名〕(1)鍵を用いないで取手を回すなどしてあける錠。そらじょう。(2)見かけだけで役に立たない錠。そらじょう。

からせんぎ【空詮議】〔名〕(「から」は接頭語)実際とかけはなれていて役に立たない相談や議論。

からせんさく【空穿鑿】〔名〕(「から」は接頭語)むだな穿鑿。役に立たないことをあれこれ調べあげること。

からだめ【―駄目】〔形動〕(「から」は接頭語)まったく役に立たないさま。また、きわめて良くない状態であるさま。

からりくつ【空理屈】〔名〕(「から」は接頭語)実際の役に立たない理屈。くうり(空理)。

 言語表現にはどういう観点からとらえているか、という「観点/視点」がかかわり、どういう「価値観」を背景にしているか、ということもかかわる。つまり表現者の思想や思考を反映する、あるいは「してしまう」といった方がよいかもしれない。「役に立たない」ことにかかわる表現、というと、「そんなネガティブな表現を検討してもしかたがないんじゃないですか」と言われそうだ。しかし、「ネガティブ」とは何か? というところから考えてみることも時には必要だ。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。