『Il Nome della Rosa(薔薇の名前)』といえば、ウンベルト・エーコの小説の名前であるが、今回は花の名前(品種名)を話題にしてみよう。まずはちょっとしたクイズから。
「王昭君」「楊貴妃」「泰山府君」の共通点は? 『日本国語大辞典』のそれぞれの見出しをみてみよう。
おうしょうくん【王昭君】(古くは「おうじょうくん」とも)〔一〕中国前漢の元帝の宮女。名は嬙(しょう)。昭君は字(あざな)。紀元前三三年匈奴(きょうど)との和親のため、呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁し、その地で没した。後世多くの文学作品などに哀話として潤色される。生没年未詳。〔二〕雅楽。〔一〕の故事にちなむ曲。
ようきひ【楊貴妃】【一】〔一〕中国唐の玄宗皇帝の妃。玄宗の皇子、寿王瑁(まい)の妃であったが、玄宗にみいだされ女道士になり、ついで貴妃となった。舞や音楽にすぐれ、また、聰明であったので玄宗の寵愛を一身に集めた。後、安祿山の乱の際殺された。白居易の「長恨歌(ちょうごんか)」をはじめ、詩や小説に多く描かれている。(七一九~七五六)〔二〕謡曲。三番目物。各流。金春禅竹作といわれる。白居易の「長恨歌」による。馬嵬(ばかい)ケ原で殺された楊貴妃を忘れかねている玄宗皇帝は、方士に楊貴妃の魂魄のありかを探すように命じる。方士は天上から黄泉(よみ)の国まで尋ね歩き、常世(とこよ)の国の蓬莱宮に至って太真殿にいることを知る。楊貴妃は形見として玉の釵(かんざし)を与え、方士の求めで七夕の夜玄宗と交わした比翼連理の契りのことばをうち明け、帰ろうとする方士に霓裳羽衣(げいしょううい)の曲を舞ってみせる。方士が釵を携えて帰ると、貴妃は宮殿の中で悲しみにくれる。【二】〔名〕(1)「ようきひざくら(楊貴妃桜)」に同じ。*多聞院日記-天正六年〔1578〕三月朔日「槻坂やうきひと云垣構植之処、開了」*俳諧・犬子集〔1633〕二・花「楊貴妃の花の御悩はあらし哉〈重頼〉」*桜品〔1758〕「楊貴妃(ヤウキヒ)」(2)梅の一品種。*俳諧・そらつぶて〔1649〕春「楊貴妃といふ梅花を見て やうきひの梅にてしりぬわらひかほ」(3)香木の名。分類は伽羅(きゃら)。香味は甘苦鹹辛。六十一種名香の一つ。
たいさんぶくん【泰山府君・太山府君】(「たいざんぶくん」「たいさんふくん」)【一】〔一〕中国で古代から名山として知られる山東省の泰山に住み、人の生命や禍福をつかさどるとされる神の名。本来は道教の神であるが、仏教と習合して、閻魔王の侍者とも、地獄の一王ともされ、また、十王の第七太山王とも混同されるなど、道仏二教で尊崇されるようになった。日本にも古くから伝えられ、ことに平安時代には、延命・除魔・栄達の神として崇信されている。なお、比叡山にある赤山明神はこの神であるといわれ、同じく冥界の支配者であることから素戔嗚尊・大国主命のこととされ、あるいは本地垂迹説でこの神の本地は地蔵菩薩であるともいう。泰山。〔二〕謡曲。五番目物。金剛流。世阿彌作。桜町中納言は桜の花盛りが短いのを惜しんで泰山府君をまつっていると、天女が現われて花を賞し、一枝折って天に昇る。やがて泰山府君が現われて天女を責め、中納言の風雅な心を愛して花の寿命を三七日に延ばす。【二】〔名〕(1)「たいさんぶくん(泰山府君)の祭」の略。(2)サトザクラの園芸品種。花は淡紅色で八重咲きにちかい。若い枝と葉柄には細毛がある。《季・春》*俳諧・毛吹草〔1638〕二「いせさくら ひさくら〈略〉太山府君」*桜品〔1758〕「泰山府君(タイサンブクン)」*随筆・胆大小心録〔1808〕八四「廿日あらせしと云は譌也。〈略〉さくらの中より、今泰山府君と呼と、虎の尾とよぶは、重弁のみならず、色もふかし」
「たいさんぶくん(泰山府君)」は道教の神であるが、広い意味合いで「人」と捉えれば、いずれも「中国の人名」ということになりそうだ。「楊貴妃」は現在でも「知っている」という方が少なくないだろう。「ようきひ(楊貴妃)」「たいさんぶくん(泰山府君)」の語義【一】〔二〕にはいずれも「謡曲」とあり、これらが能の演目名でもあることがわかる。「おうしょうくん【王昭君】」の語釈にはそれがないが、実は「しょうくん【昭君】」という見出しがある。
しょうくん【昭君】〔一〕⇨おうしょうくん(王昭君)〔一〕。〔二〕謡曲。五番目物。各流。作者未詳。古名「王昭君」。唐土の漢王は、胡国との和平のために寵姫(ちょうき)王昭君を胡王韓邪将(かんやしょう)に送る。里人が、嘆いている昭君の父白桃と母王母を慰めに行くと、老父母は昭君の形見の柳を鏡に映す。すると鏡の中に昭君の霊と胡王の霊が現われる。
つまり、「王昭君」「楊貴妃」「泰山府君」はいずれも能の演目名でもある。「ようきひ」の語釈【二】(1)には「ようきひざくら(楊貴妃桜)」に同じ」、「たいさんぶくん」の語釈【二】(2)には「サトザクラの園芸品種」とあり、これらがサクラの名前になっていることがわかる。『日本国語大辞典』の語釈には記載されていないが、実は「王昭君」という名前のサクラもある。したがって、共通点の3つ目は、「いずれもサクラの名前」ということだ。サクラの名前としての「ようきひ」「たいさんぶくん」の使用例として「桜品〔1758〕」があげられている。『怡顔斎桜品(いがんさいおうひん)』は、儒医で本草学者の松岡玄達(松岡恕庵)(1668~1746)が編んだ書物で、サクラ69品種が載せられている。したがって、「ようきひ」「たいさんぶくん」は江戸時代からあったサクラということになる。
広い意味合いでの中国の人物を採りあげた能の演目が少なからずある、ということは、中国の文化と日本の文化との密接なかかわりをあらわしている。その一方で、江戸時代にはサクラの名前にもなっているということもまた興味深い。「ようきひ」は梅の名前にもなっている。
オンライン版『日本国語大辞典』の「全文(見出し+本文)」欄に「桜品」を入れて検索すれば、『日本国語大辞典』の使用例に『桜品』があげられている見出しが10件ヒットする。こういうサクラが『桜品』に載せられているのだ、と感心するのもよし。現在では、インターネットによって『桜品』原本をみることもできる。『桜品』には絵が添えられているので、それをみるのもよし。日本文学における桜について知りたいと思えば、山田孝雄『桜史』(1990年、講談社学術文庫)を読むのもよし。花の名前やサクラを入口にした楽しみかたもさまざまだ。