『日本国語大辞典』をよむ

第58回 上からよんでも下からよんでも

筆者:
2019年5月26日

「上からよんでも下からよんでも……」というテレビコマーシャルがあった。「山本山」という会社名のことであるが、「ヤマモトヤマ」を下からよんだら「マヤトモマヤ」で同じじゃない、という場合は、漢字列ではなく、語形が、ということになる。

「スイドウスイ(水道水)」や「バシャウマ(馬車馬)」、「ヒヒトヒ・ヒイチニチ(日一日)」なども「山本山」同様、三字の漢字列が「ABA」と並んでいる例である。ちなみにいえば、『日本国語大辞典』は「バシャウマ」「ヒヒトヒ・ヒイチニチ」を見出しにし、「スイドウスイ」は見出しにしていない。

さて、ここでは三字漢字列ではなく、二字漢字列を話題にしたい。

あいちょう【愛寵】〔名〕特別に目をかけてかわいがること。寵愛。*日葡辞書〔1603~04〕「Aichô (アイチョウ)。即ち、チョウアイ」*随筆・胆大小心録〔1808〕一五五「ぬかだ姫といふ夫人は、天智の太子と申せしより愛寵ありて、即位の後はかたはら去らず侍りしよ」*花柳春話〔1878~79〕〈織田純一郎訳〉四八「子若し余に従順にして余が愛寵(アイチャウ)を得ば」*漢書-杜欽伝「好憎之心生、則愛寵偏於一人

ちょうあい【寵愛】〔名〕特別に大切にして愛すること。非常にかわいがること。寵幸。*続日本紀-天平宝字八年〔764〕九月壬子「時道鏡常侍禁掖、甚被寵愛」*今昔物語集〔1120頃か〕三・二五「我、大王に寵愛せられて仏法の名字を不聞ず」*色葉字類抄〔1177~81〕「寵愛 チョウアイ」*日葡辞書〔1603~04〕「ヒトヲchôai (チョウアイ)スル」*読本・椿説弓張月〔1807~11〕拾遺・五一回「われ今この海棠を容れて寵愛(チャウアイ)せば、衆人(もろひと)必ず色を好むといはん」*広益熟字典〔1874〕〈湯浅忠良〉「寵押 オキニイリ 寵愛 チョウアイ 同上」*晉書-馮紞伝「承顔悦色、寵愛日隆」

「チョウアイ(寵愛)」の使用例としてまず「続日本紀-天平宝字八年〔764〕」の記事があげられている。一方、「アイチョウ(愛寵)」の使用例は「日葡辞書〔1603~04〕」から始まっている。このことからすれば、「チョウアイ」は古くから使われていて、「アイチョウ」は17世紀ぐらいから使われ始めたという見当をつけることができそうだ。しかし「アイチョウ」は『漢書』で使われており、いわば「ばりばりの」古典中国語であったようにみえる。なぜ、こちらの語形が文献に「足跡」を残していないのだろうか。「アイチョウ」を載せる辞書は「辞書」欄をみるかぎり『日葡辞書』以外にはない。

『日葡辞書』は「アイチョウ」に「文書語」という注記をしている。一方の「チョウアイ」にはその注記はない。そのことからすれば、『日葡辞書』が編まれた時期には、「アイチョウ」「チョウアイ」には何らかの「違い」があった可能性もあるが、ここではその可能性を指摘するにとどめておこう。もっといろいろと調べてみないと確かなことはわからない。とにかく、17世紀ぐらいを考えれば、「アイチョウ(愛寵)」「チョウアイ(寵愛)」2つの語が使われていた。

こういうケースはそれほど多くはないのではないか、と漠然と思っていたが、『日本国語大辞典』をよみ始めて、そうではなく、かなりの数あることがすぐにわかった。上に引用した見出し「あいちょう【愛寵】」においては、語釈が「特別に目をかけてかわいがること。寵愛」と記されており、語釈内に「ちょうあい(寵愛)」が置かれている。ただし、見出し「ちょうあい【寵愛】」の語釈は「特別に大切にして愛すること。非常にかわいがること。寵幸」と記されていて、こちらは語釈内に漢語「寵幸」を置き、「あいちょう(愛寵)」を置いていない。どちらかといえば「チョウアイ」が知られているのではないかと思うが、そうであれば、「チョウアイ」の語釈内に「愛寵」を置くことが「読者」のためには親切のようにも思われる。また、異なる語にまったく同じ語釈を配することはしにくいのかもしれないが、両語の語義は微妙に違うのだと理解する「読者」がいないとも限らない。両語の語義に「違い」はないということであれば、できるだけ似よった語釈を置くということも一案だろう。

少し前には次の見出しがあった。

あいじん【埃塵】〔名〕(1)ちり。ほこり。ごみ。砂煙。塵埃(じんあい)。*後漢書-光武帝紀「旗幟蔽野、埃塵連天、鉦鼓之声聞数百里」(2)わずらい。けがれ。*蔡邕-釈誨「掃六合之穢慝、清宇宙之埃塵

一方「ジンアイ【塵埃】」も見出しになっている。

じんあい【塵埃】〔名〕(連声で「じんない」とも発音する)(1)ちりとほこり。あくた。ごみ。*家伝〔760頃〕下(寧楽遺文)「遂使无上尊像永蒙塵埃」*三国伝記〔1407~46頃か〕五・一四「之に依て塵埃(ぢんアイ)庭に積れば、柴火灯ひ尽たり」*随筆・胆大小心録〔1808〕二一「それまでは行々松の林並たち、鴨川は塵埃流れず、芝居は今の大和大路にたった」*欧米印象記〔1910〕〈中村春雨〉倫敦日記・七月五日「塵埃(ヂンアイ)が多くて、直ぐ靴が白くなるのには閉口する」*荘子-逍遙遊「野馬也、塵埃也、生物之以息相吹也」(2)よごれたもの。わずらわしいもの。俗世間的なもの。*凌雲集〔814〕詠史〈坂上今継〉「陶潜不世、州里倦塵埃」*甲陽軍鑑〔17C初〕品四八「出家道をたて、此寺になをらんと思ふは、人間迷の塵埃(ヂンアイ)なり」*談義本・根無草〔1763~69〕前・一「其由て来る処を尋ぬるに、『皓々の白を以て、世俗の塵埃を蒙らんや』と憤て」*花柳春話〔1878~79〕〈織田純一郎訳〉三八「設(たと)へ君の論説未だ全く世に行はれず身と共に塵埃(ヂンアイ)の中に埋るありと雖ども」*楚辞-漁父辞「安能以皓皓之白、蒙世俗之塵埃乎」

「アイジン」は『後漢書』で使われ、「ジンアイ」は『楚辞』で使われている。そのことからすれば、この両語も古典中国語といってよい。後者を載せる辞書としては『日葡辞書』と『書言字考節用集』とが「辞書」欄には記されている。「辞書」欄に前者を載せる辞書は記されていない。中国語において「AB」の「A」と「B」との語義(=漢字字義)が類義である場合は「AB」と並べても「BA」と並べても、全体の語義はさほど変わらないことが推測される。例えば「塵埃」であれば「塵」「埃」それぞれの語義(=漢字字義)がちかく、どちらを上、どちらを下にしても全体の語義がさほど変わらないのであろう。

語義がさほど変わらない語が2つあった場合、語義差をつけようとして、一方の語が語義を変化させるか、あるいは両方の語ともが語義を変化させる。あるいはどちらかの語が存在価値を失う。この2つのケースがまず考えられる。同じような語義をもつ漢語は日本語の語彙体系内には必要ない。そのために、どちらか一方がよく使われるというようなことが起こりそうではある。しかし、この説明が成り立っていることを証明するとなると、それ相応の検証が必要になってくる。

『日本国語大辞典』をよみながら、今回採りあげたようなケースをずっとメモしている。「ドウモウ(獰猛)/モウドウ(猛獰)」「ユウモウ(勇猛)/モウユウ(猛勇)」「ジンモン(訊問)/モンジン(問訊)」「セイヤク(制約)/ヤクセイ(約制)」「メイヤク(盟約)/ヤクメイ(約盟)」など非常に多い。それらすべての「関係」を検証することはできないかもしれないが、折にふれて考えてみたい。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。