よくじょう【沃壌】〔名〕地味のよく肥えた土地。肥沃な土壌。沃土。*史記抄〔1477〕三・夏本紀「墳とは沃壌なんどと云やうに土がでくるぞ」*黄葉夕陽邨舎詩-前編〔1812〕二・雑詩三首・一「黄薇称㆓沃壌㆒、采色満㆓四疆㆒」*米欧回覧実記〔1877〕〈久米邦武〉一・七「十余町を隔て、一帯の並木をみる、墳衍の沃壌と覚へたり」*温子昇-寒陵山寺碑「考㆓茲沃壌㆒、建㆓此精廬㆒」
よくど【沃土】〔名〕肥沃の土地。地味が肥えていてよく作物ができる土地。また、比喩的に、ものがよく育ったり発展したりする基盤となるところ。*西洋事情〔1866~70〕〈福沢諭吉〉外・三「痩土を耕すと沃土を耕すとは其労逸甚だ異なりと雖ども産したる麦の値は同様なるが故に」*新聞雑誌-一〇号附録・明治四年〔1871〕八月「其草原は沃土(ヨクド)壌野なれば米麦野菜の類を種(う)へ」*蘭学事始〔1921〕〈菊池寛〉六「彼等は、邦人未到の学問の沃土に、彼等のみ足を踏み入れ得る欣びで」*国語-魯語下「沃土之民不材、淫也」
よくせき【沃瘠】〔名〕地味が肥えていることと瘠せていること。地味のよしあし。肥瘠。*続日本紀-和銅六年〔713〕五月甲子「及土地沃塉、山川原野名号所由、又古老相伝旧聞異事、載㆓于史籍㆒、亦冝㆓言上㆒」*一国の首都〔1899〕〈幸田露伴〉「劇はまことに都会の花なり。花はその土の沃瘠に応じ、劇はその都府の善意をあらはすなり」*宋孝武帝-梨花賛「沃瘠異㆑壌、舒惨殊㆑時」
「よく(沃)」から始まる見出しを3つあげてみた。温子昇(おんししょう)(496~547)は、北魏末から東魏にかけての文人、官僚。いずれも中国の文献における使用例があげられており、漢語である。見出し「よくせき【沃瘠】」の語釈に「地味が肥えていることと瘠せていること」とあることでわかるように、「ヨク(沃)」は〈地味が肥えていること〉である。中国も日本も、農業によって生活を支える文化といえるだろう。そういう文化においては、土地の状態は重要な意味をもつ。したがって、そうしたことにかかわる語彙が整っていると思われる。
さて、見出し「よくじょう【沃壌】」の語釈末に類義語としてということであろうが、漢語「沃土」が置かれている。「沃壌」「沃土」の下字をつなげると「土壌」という漢語ができあがる。これが今回のタイトル「漢字のしりとり」だ。見出し「よくせき【沃瘠】」の語釈末には「肥瘠」が置かれている。「沃瘠」「肥瘠」の上字をつなげると「肥沃」という漢語ができあがる。では見出し「肥瘠」「肥沃」をみると語釈はどうなっているだろう。
ひせき【肥瘠】〔名〕体や地味などのこえていることと、やせていること。肥痩。*松山集〔1365頃〕貽独醒老書「無㆓善悪㆒以㆓父祖㆒、則務而倡㆑之、不㆑則如㆔越人視㆓秦人之肥瘠㆒也」*六如庵詩鈔-二編〔1797〕二・別養払菻狗、一旦失之。踰年復還。感紀其事「別久肥瘠似㆓少異㆒、遇㆑我跳躍鳴嗚嗚」*東潜夫論〔1844〕王室「土地の肥瘠、海路の迂直」*布令字弁〔1868~72〕〈知足蹄原子〉四「肥瘠 ヒセキ フトルヤセル」*米欧回覧実記〔1877〕〈久米邦武〉一・一八「土壌は肥瘠甚だ差あり」*書経注-禹貢「田之高下肥瘠」
ひよく【肥沃】〔形動〕土地がよく肥えているさま。*捕影問答〔1807~08〕前「気候和適、土地肥沃、諸穀・野菜を産し、海辺には魚塩の利あり」*明治月刊〔1868~69〕〈大阪府編〉二「土地皆肥沃にして気候人に宜し」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉五・九「其気候温暖にして土地肥沃なるに由て」*私の詩と真実〔1953〕〈河上徹太郎〉フランクとマラルメ「恰も肥沃(ヒヨク)な高原から広漠たる平野へ流れ出る水の如く」*論衡-率性「肥沃墝埆、土地之本性也」
「ヒセキ(肥瘠)」「ヒヨク(肥沃)」ともに中国の文献での使用例があげられており、漢語であることがわかる。現在も使う「ヒヨク(肥沃)」には19世紀以降の使用例しかあげられていない。「ひせき(肥瘠)」の語釈末尾には「肥痩」が置かれているので、見出し「ひそう」もあげておこう。
ひそう【肥痩】〔名〕「ひせき(肥瘠)」に同じ。*経国集〔827〕一三・奉和搗衣引〈巨勢識人〉「不㆑知肥痩異㆓於今㆒、寛窄仍准別時襟」*運歩色葉集〔1548〕「肥痩 ヒソウ」*山鹿語類〔1665〕二一・器物の用を詳にす「人の身体肥痩時にかはり、軽重年々にたがふもの也」*広益国産考〔1859〕一「土地に厚薄あり、山川に肥痩あり」*南史-王元謨伝「短長肥痩、皆有㆓比擬㆒」
「ヒセキ(肥瘠)」の他に「ヒソウ(肥痩)」もあるのだったら、今度はこの2つの漢語の下字をつなげて「そうせき(痩瘠)」という語はないのだろうかと思って調べてみると、ありました、ありました。
そうせき【痩瘠】〔名〕(形動タリ)やせていること。また、そのさま。*文芸類纂〔1878〕〈榊原芳野編〉五「上代の痩瘠を改めて、新に豊肌流麗の風を創す」*ヱマルソン〔1894〕〈北村透谷〉六・七「カアライルは痩瘠たる蘇国の野に於て、戦ふべき為に生れたり」*古今注-鳥獣「鳧雁自㆓河北㆒渡㆓江南㆒、痩瘠能高飛、不㆑畏㆓繒繳㆒」
ここまでやってきた「漢字のしりとり」は、つきつめていえば、2つの漢語の上字と下字とをつなぐと別の漢語ができるということだから、当たり前といえば当たり前のことだ。しかし、こうやって「漢字のしりとり」をしながら、「じゃあこういう語はあるだろうか」と考えながら、辞書を調べてみるというのもおもしろいかもしれない。そして、これは「漢語の理解のしかた」、つまり日本語を母語としている人々がどうやって漢語を理解しようとしたか、ということにかかわっている、と考える。