『日本国語大辞典』をよむ

第70回 一袋のソラマメの楽しみ

筆者:
2020年5月24日

ソラマメをスーパーマーケットなどで見かけるような季節になった。ソラマメはフライパンで煎って、塩で食べるのがおいしいと思っているが、これは人それぞれだろう。

今までうっかりしていたことがある。今回買ったソラマメはビニール袋に入っていたが、それに「蚕豆」というラベルが貼られていた。『日本国語大辞典』の見出し「そらまめ」には次のようにある。

そらまめ【空豆・蚕豆】〔名〕(1)マメ科の一年草、または越年草。原産は北部アフリカおよび南西アジアとされている。ヨーロッパには有史以前に伝わり、今では世界各地で栽培されている。日本へは一七世紀頃中国を経て渡来したと思われる。高さ四〇〜八〇センチメートル。茎は中空で四稜(りょう)がある。葉は偶数羽状複葉で一〜三対の小葉からなる。春、葉腋(ようえき)にきわめて短い総状花序を出し、二〜四個の蝶形花をつける。花は大きく、白または淡紫色で、紫墨色の大きな斑を持つ。莢(さや)は長楕円形、空に向かって直立するのでこの名がある。三〜五個の種子を含み、熟すと黒変する。種子は楕円形で扁平、へそが長い。未熟の種子は煮て食べ、よく熟した種子は、いり豆、甘納豆、煮豆、餡(あん)や味噌(みそ)・醬油(しょうゆ)などの原料とする。茎・葉は家畜の飼料や緑肥になる。漢名、蚕豆・南豆。とうまめ。やまとまめ。しがつまめ。野良豆。学名はVicia faba《季・夏》*羅葡日辞書〔1595〕「Naucio〈略〉Soramameno (ソラマメノ) ツブ メダツ トキ、フタツニ ワルル」*多識編〔1631〕三「蚕豆 曾良末米(ソらまめ) 異名胡豆」*浮世草子・傾城禁短気〔1711〕三・一「指の不束になるを厭ひて食(めし)は焚かせず大和豆(ソラマメ)の漬た小買しにはやらず」*物類称呼〔1775〕三「蚕豆 そらまめ 東国にて、そらまめといふ 西国にて、たうまめ 出雲にて、なつまめ〈略〉〈空豆とは其実の空に向て生る故になつくとかや〉」*俳諧・新類題発句集〔1793〕夏「そら豆やしとろに花の小紫〈作者不知〉」*小学読本〔1874〕〈榊原・那珂・稲垣〉三「豌豆(ゑんどう)、蚕豆(ソラマメ)、刀豆(なたまめ)、藤豆(ふぢまめ)、隠元(いんげん)、大角豆(ささげ)の如きは、皆別種に属す」(略)

見出し直下に2つの漢字列「空豆」「蚕豆」があげられているので、「蚕豆」は特殊な書き方ではないことになる。「蚕」字は、常用漢字表に載せられている。しかしそこで与えられている訓は「かいこ」である。拙著『日日是日本語』(2019年、岩波書店)でも話題にしたが、漢字列「蚕豆」はどうして「ソラマメ」と結びつくか、ということがまずある。

常用漢字表は「蚕」の後ろに丸括弧に入れて(常用漢字表の表現では)「康熙字典体」の「蠶」字を示している。一般的な「感覚」では「蠶」が旧字で、「蚕」が新字ということになるだろう。ところが、大きな漢和辞典などで調べてみるとすぐにわかるが、「蚕」と「蠶」とはもともとは別字だった。これは実は調べてみなくてもいわば当然といえば当然のことで、「蚕」は「天+虫」と分解できるが、「蠶」字には「天」という「パーツ」は含まれていない。つまり字を構成する要素がかなり異なる。共通するのは「虫」だけだ。そうすると「蠶」と「蚕」とはもともとは別の字だろうと推測するほうが自然なことになる。とにかく、両字は別字で、「蚕」の字義は〈みみず〉だった。これをストレートに「蚕豆」にあてはめると、ちょっと大変なことになる。ところが、中国においても、「蚕」と「蠶」とが通用していたことがわかる。それは中国、明の万暦43(1615)年に刊行された『字彙(じい)』という辞書において、「蠶」を「俗作蚕非」(俗に蚕に作るは非なり)と述べられているので、中国においてすでに「蠶=蚕」という使われ方をしていたことがわかる。したがって、日本において「蠶=蚕」であることも奇異なことではない。

次に「ソラマメ」という植物と漢字列「蚕豆」との結びつきである。中国語「蠶豆(サントウ)」が日本の「ソラマメ」にあたる、ということだ。植物学的にみて、どの程度「同じ」なのかはわからないので「あたる」と表現しておく。「蚕」という字をみて、もともとの字義が〈みみず〉であることがわかる人はほとんどいないであろうから、それはいいとして、しかし常用漢字表の和訓が「かいこ」であることは多くの人が知っているはずだ。それで、「蚕豆」という漢字列が「ソラマメ」にあてられていることに、(今はやりの表現を使えば)「違和感」を感じる人は多くないのだろうか。いや、筆者も何も思わずに買ってきたのだから、そこまでみている人はいないのだろう。

さて、先に引用した『日本国語大辞典』の記事においては、幾つかの文献の使用例があげられている。その中に、1631(寛永8)年に刊行されている『多識編』という、本草学的な辞書があった。『日本国語大辞典』は「蚕豆 曾良末米(ソらまめ)異名胡豆」というかたちで使用例をあげている。『多識編』には版本が複数あるが、寛永8年に出版された本が『日本国語大辞典』が示しているかたちにちかい。そこには「X豆 曽良末米 異名 胡豆」(巻三、三丁表)とある。「X」は「替」の下に「虫」を左右に並べたかたちで、この「X」は表示しにくい。そのために、『日本国語大辞典』は「X」のかわりに「蚕」字を使ったのだろう。そして「曽」の右側に「ソ」と振仮名が施されている。『日本国語大辞典』の「ソらまめ」という、いささか変わったかたちは、おそらく版本の状況に対応させようとしたものであろうが、それが読者にはいささかわかりにくいように感じる。「ソらまめ」の「ソ」を誤植と思う人もいないとはいえないだろう。しかしまた、漢字を電子的に扱うことは、十年前ぐらいと比べても飛躍的に簡単になっている。それでもなお、江戸時代の本をそのまま電子的に表示することは難しいということだ。こういうことも『日本国語大辞典』をたんねんに読んでいくとわかる。

それはそれとするが、筆者が気になったのは、引用全体での漢字字体の使い方だ。筆者がなぜ写真版を確認しようと思ったか、といえば、「蚕豆」とある一方で「曾」字が使われていたからだ。「曽」は2010(平成22)年の改訂で常用漢字表に加えられた。したがって、『日本国語大辞典』第2版が出版された時点では常用漢字表に載せられていない漢字であったので、「曾」字がそのまま使われていると推測できるが、気になって確認したくなったからだ。さて、確認して何がわかったかといえば、『多識編』では「蠶」字を使いながら「曽」字を使う、という、これまた(予想もしない、とまではいわないが)いささか予想しにくい漢字使用をしていた。おもしろいか、おもしろくないか、といえば筆者にとっては文句なく「おもしろい」。しかしまた、やはりなんでも丁寧に調べてみないといけない、という思いを強くした。

ソラマメはこれから料理して食べるが、食べる前にこれだけ楽しむことができた。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。