「なぜ外務省を辞めて教育の世界に入ったのか?」ということをよく聞かれる。外務省を辞めた理由は多々ある。ありすぎて書ききれない。だが、教育の世界に入った理由は単純である。フィンランドの教育を見てしまったから――これが最大の理由である。
これまでの「フィンランド紀行」でも紹介したように、フィンランドの教育というのは世間で言われているほどには大したものではない。いや、フィンランド教育に幻想を抱いているのはこちらの勝手であり、このような言い方はフィンランドに対して失礼であろう。フィンランドの教育も日本の教育も、それぞれがそれぞれの問題を抱えて苦しんでいるという点ではまったく同じなのである。
では、なぜフィンランドの教育を見てしまったことが、外務省を辞めて教育の世界に入ることにつながるのか?
話はいったんフィンランドから離れる。
私が外務省に勤めていた当時、つまり冷戦末期から90年代にかけて世界は混沌とした状況にあった。崩壊寸前のソ連の周辺では新たな国がボコボコと生まれ、対等な権利を主張しつつ、莫大な援助を望んでいた。そういう「予想外の国の人々」とやりあっていくうちに、異文化コミュニケーションについて様々な気付きが生まれる。
最初に気付くのは「言わなければ分からない」ということ。当たり前のことではないか――と思われるかもしれないが、「予想外の国の人々」とやりあっていると、その当たり前のことをイヤというほど実感するのである。価値観が大きく異なるのはもちろんのこと、どうやら常識も大きく違うようであり、そこに様々な利害がからんでくると、言ったからといって分かるとは限らないが、少なくとも言わなければ絶対に分からない。「アウンノコキュウ」などというものはどこを探しても見つからない。
次に気付くのは、「とりあえず相手の考えを受け止めるしかない」ということ。相手はシベリアに延々と抑留された末に、ほとんど丸腰でソ連軍と戦いながら独立を勝ち取ってきた人々である。こちらが一生かかっても経験しないようなことを、毎日のように経験してきたのである。相手がわけのわからないことを言ってきたとしても、きっと何か理由があるのだろう。まずは受け止めるしかない。こちらも言いたいことを言いまくるかわりに、相手にも言いたいことを言いまくらせるしかない。
だが、これら二つの気付きには、必ず相反する気付きがくっついてくる。
「言わなければ分からない」のだから、いちいち分かりきった(と、こちらが思っていること)まで言わなければならないのだが、困ったことに言葉ですべてを言い尽くすことは不可能なのである。言葉には限界があるのだ。言葉で言い尽くそうとすればするほど、言葉の限界をイヤというほど思い知るのである。
「とりあえず相手の考えを受け止めるしかない」といいつつも、結局のところ自分の知識と経験と関連づけて理解することしかできない。自分の理解力にも限界があるのだ。受け止めようとすればするほど、「とても自分には理解できない」ということをイヤというほど思い知るのである。
これらの気付きから、最後の気付きが生まれる。
やはり分かり合えないのか?
そう、たぶん分かり合えないのである。それでもなお、国際社会を維持していくためには、そういう人々とも言葉で繋がっていくしかない。言葉で繋がっていくためには「言わなければ分からない」。しかし「言葉には限界がある」……という具合に、無限のループに落ち込んでしまうのだ。
では、この無限のループに落ち込んで困ったのかというと、まったくの逆であった。無限のループに落ち込んでからというもの、「予想外の国の人々」との話が実にスムーズに進むようになったのである。おそらく、様々な気付きを経て、この無限のループに落ち込むことに異文化コミュニケーションのカギがあるのだろう――。
ここで話はフィンランドに戻る。
なぜ、フィンランドの教育に出会ったから、教育の世界に入ることにしたのか? それはフィンランドの教育を見て、びっくりしたからである。なぜ、びっくりしたのか? それはフィンランドの教育では、この無限のループの気付きに基づく教育をやっていたからだ。それも国際理解教育などではなく、ごく普通の国語教育(正確には『母語と文学教育』)でやっていたのである。
なぜフィンランドはそのような教育をやっているのか? 具体的にはどのようにやっているのか? これについては次回以降で紹介することにしよう。