前回でふれた市民講座のディクテーション(書き取り)で、「未必の故意」の次に問題になった法廷用語に、「反抗の抑圧」がある。「ハンコーノヨクアツ」と聞いて、参加者は、「犯行の抑圧」と書き、「反抗の抑圧」と書けた人は一人もいなかった。日本語には同音異義語が多いが、「ハンコー」もその一つ。よく使われる「反抗」「犯行」「反攻」から、歴史的な場面で出てくる「藩校」「藩侯」「半髪」、出版関係の「版行」「頒行」、字を見たら意味がわかるがあまり使われない「反航」といろいろある。
裁判員制度に関する市民講座だったので、参加者は、「裁判」という図式を頭に入れて、多くの「ハンコー」という語から裁判に関連のある「犯行」に絞ったようだ。参加者が描いていた「犯行の抑圧」のイメージは、「犯人の犯罪行為を抑えつけた」程度のことであろうか。
『やさしく読み解く裁判員のための法廷用語ハンドブック』では、「暴行や脅迫によって、肉体的あるいは精神的に、抵抗できない状態にすること。被害者が抵抗したけれども、最終的には抵抗を封じられた場合も含む」と解説している。さらに、「「反抗」とは被害者が抵抗することで、「抑圧」とは加害者がその抵抗をおさえることを指します」との説明も加えている。
日弁連の「法廷用語の日常語化に関するプロジェクト」の会議で、言語関係の外部学識委員は、「反抗の抑圧」の用語について、「一体誰が何をしたのだろうか」と混乱してしまった。なぜならば、「反抗」には、「従うべきものとされてきたものに逆らう」というマイナスのイメージがあるので、被害者が加害者に襲われて抵抗することが、なぜ、「従うべきことに逆らう」ことになるのか。一方、「抑圧」には、「自由の抑圧」や「市民の抑圧」のように、「本来認めるべきものを抑え込む」というイメージがあるので、「やってはいけないこと」(反抗)と「本来認めるべきものを抑え込む」(抑圧)とは、日常語の感覚では、くっつけて一つの表現にできない。
そこで、「反抗の抑圧」を市民感覚で理解しやすい「抵抗を抑え込むこと」に言い換えたらよいのではないかという意見が、言語関係の委員から出された。刑事法の委員や弁護士委員によると、「反抗の抑圧」には、「被害者の抵抗を無理やり抑えつける場合」だけではなく、「被害者がこわくて抵抗しようという気がおきず、結果として抵抗行動がなかった場合」も含まれるので、日常語の「抵抗を抑え込む」だけでは不十分な言い換えになるとのことであった。
このように、37回開かれた会議では市民の発想と法律家の発想が交錯し、裁判員の参加する裁判さながらの「法廷用語の日常語化に関するプロジェクト」であった。