出典
荘子(そうじ)・秋水(しゅうすい)―荀子(じゅんし)・正論(せいろん)―後漢書(ごかんしょ)・馬援(ばえん)伝―淮南子(えなんじ)・原道訓(げんどうくん)
意味
世間知らず。ひとりよがり。狭い世界に閉じこもっているものには、広い視野や考え方はできない。「井蛙(せいあ)には以(も)て海を語るべからず」が本来の句。
原文<荘子(そうじ)>
北海若曰、井蛙不レ可三以語二於海一者、拘二於虚一也。夏虫不レ可三以語二於冰一者、篤二於時一也。曲士不レ可三以語二於道一者、束二於教一也。今爾出二於崖涘一、観二於大海一、及知二爾醜一。爾将可三与語二大理一矣。
〔北海(ほっかい)若(じゃく)曰(いわ)く、井蛙(せいあ)には以(も)て海を語るべからざるは、虚に拘(かかわ)ればなり。夏虫(かちゅう)には以て冰(こおり)を語るべからざるは、時に篤(あつ)ければなり。曲士(きょくし)には以て道を語るべからざるは、教えに束(つか)らるればなり。今 爾(なんじ)は崖涘(がいし)を出(い)でて、大海を観(み)、及(すなわ)ち爾の醜を知れり。爾将(まさ)に与(とも)に大理を語るべし。〕
訳文
(黄河(こうが)の神。河伯(かはく)が初めて海へ行って、その大きいのに驚き、北海(ほっかい)の神である若(じゃく)に、「今まで黄河がいちばん大きいと思っていたのに、こんなに広いものがあるとは知らなかった。」と言った。)北海の神の若が言った。「井戸の中の蛙(かわず)には、海のことを話してもわからない。それは蛙が狭い環境にとらわれているからである。夏の虫には氷のことを話してもわからない。それは彼らは季節というものは夏だけだと思いこんでいるからだ。視野・見識の狭いものには、真理を説いてもわからない。それはその人たちがありきたりの教えに縛られているからだ。今、あなたは狭い川の岸を出て、大きな海を見た。それであなた自身の愚かさを自覚したのだ。だからあなたには、大きな真理について語ることができるようになった。」
解説
「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」という句は、日本で、右の故事をもととしてできた句である。類句は多く、『淮南子(えなんじ)』原道訓(げんどうくん)には「井戸の中の魚とは大きなことは語れない。」とあり、『後漢書(ごかんしょ)』馬援(ばえん)伝には、陳囂(ちんごう)が、自分と同郷の友人公孫述(こうそんじゅつ)が高官となっていることを知り、馬援を使者として、旧好を伝えさせたところ、公孫述は今の権勢に誇り大威張りしていた。そこで馬援は帰って来て陳囂に「公孫述は、井戸の中の蛙にすぎません。」と報告した、とある。各書に類句がみえるところより推すと、古代に広く流行していた諺(ことわざ)だったとも思われる。
類句
◆夏虫(かちゅう)には氷(こおり)を語(かた)るべからず◇坎井(かんせい)の蛙(あ)◆井蛙(せいあ)には以(も)て海(うみ)を語(かた)るべからず◇井底(せいてい)の蛙(あ)◆蝉雪(せみゆき)を知(し)らず◆夜郎自大(やろうじだい)