出典
公孫丑(こうそんちゅう)・上・孟子(もうし)
意味
言葉では説明しにくい。
原文
敢問、何謂二浩然之気一。曰、難レ言也。其為レ気也、至大至剛、以レ直養而無レ害、則塞二于天地之間一。
〔敢(あえ)て問う、何をか浩然(こうぜん)の気を謂(い)う。曰(いわ)く、言い難し。その気為(た)るや、至(きわ)めて剛、直を以(もっ)て養いて害(そこ)なうこと無ければ、則(すなわ)ち天地の間に塞(み)つ。〕
訳文
(孟子(もうし)の弟子の公孫丑(こうそんちゅう)が、あるとき孟子に尋ねた。)「おして、お尋ね致しますが、何を浩然(こうぜん)の気というのでしょうか。」孟子は答えて言った。「説明しにくいものだ。その浩然の気というものは、きわめて大きく、きわめて剛健で、正しく素直な気で、これを傷つけないように養っていけば、宇宙全体といったいになったような心の境地になるものである。」
解説
本来「曰(いわ)く言い難し」という一句の成句があったわけではない。右の原文でもわかるように、「曰く」は〈……と言った〉という動詞であり、その下の「言い難し」は、発言を示す、「 」に入る部分である。「『説明し難い。……』と言った」という部分が一句として定着してしまった、かなり変則的な成句である。これは孟子(もうし)の弟子公孫丑(こうそんちゅう)が、孟子に何ものにも動かされぬ安定した心、すなわち不動心をもつにはどうしたらよいかと尋ねたのに対し、孟子は、「自分はそのために浩然の気(=のびのびとしてとらわれぬ心)を養っているのだ」と答えて、公孫丑が、「では浩然の気とは、どんな状態を指すのか」と尋ねたところ、それは「なかなか言葉では説明し難い」と言ったのである。その「言った」と「説明し難い」が一緒になってしまって、一つの成句となったのである。日本でいつごろから、一つの成句として用いられるようになったのかは、明らかでない。