地域語の経済と社会 ―方言みやげ・グッズとその周辺―

第206回 田中宣廣さん: 多くを教える大切な方言メッセージ

筆者:
2012年6月16日

平成の大合併で現在は宮古市になっている,以前の田老町(たろうちょう)に,摂待(せったい)という名の地区があり,三陸鉄道北リアス線「摂待」駅があります。駅前は「摂待野菜直売所」となっていて,すぐ前の国道45号線に向けて「品質最高!!摂待のおいしい野菜いかがですか!!『よっとがんせぇ~!!』(寄ってください)」のメッセージが掲げられています【写真1】。実は駅前というより駅下です。摂待駅付近は高架(駅部分は高い盛り土)の上に位置し,階段で地上に降りるとそこが野菜直売所です【写真2】。

【写真1】摂待野菜直売所のメッセージ
【写真1】摂待野菜直売所のメッセージ(クリックで全体表示)
【写真2】摂待駅と直売所の位置関係
【写真2】摂待駅と直売所の位置関係(クリックで範囲拡大)

東日本大震災の津波で摂待川の河口水門は完全破壊,海岸から約360m上流の下摂待集落は壊滅し,犠牲者も出ました。重量約143トンの巨石が約450m流されてしまったことはニュースになりました。ただし,直売所のある上摂待地区は無事でした。現在は,農業を基軸に,震災で大損害を受けた漁業の再生にも取り組んでいます。

 東日本大震災の被害は,地震や津波のほか,福島第1原子力発電所の事故も深刻な状況です。実は,昭和50年(1975年)に,この摂待地区に原子力発電所建設の話がありました。地元漁業者たちの反対や地区選出の国会議員の意見もあり,結局この話はなくなりました。青森県から茨城県の東日本太平洋側で,原子力発電所または関連施設の存在しないのは岩手県だけですが,こういう経緯でした。もし摂待に原発が…(恐)

今回の方言メッセージは,上で述べた原子力発電所立地や事故のことがなければ,日本の村のどこにでもある,平凡なものとして見られていたことでしょう。この研究でも,国道脇の商業メッセージの一例として扱われていたものです。しかし,大震災のあとは,とても意義深い用例となっています。この方言メッセージが今もなお意味をなしていることはとてもありがたいこととなっています。先人たちがあのとき適切な選択をしたくれたお陰で,今も,ここに野菜が並び,地区の住民の生活が続き,三陸鉄道も復旧し,国道も通行でき,この方言メッセージも活きているのです。今回の資料の取材に訪れた昨年10月に,周囲の山から響いていた狩猟の銃声さえ,この地域に人間の営みが続く証明としてありがたく感じました。

やや色あせているものの,一つの方言メッセージが,これからの社会のあり方や人間の生き方まで私たちに教えてくれる,大切なメッセージとなっていると,私には思えます。

筆者プロフィール

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics

井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。

(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

 

  • 田中 宣廣(たなか・のぶひろ)

岩手県立大学 宮古短期大学部 図書館長 教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。

『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』

編集部から

皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。

方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。