「二の舞を踏む」という言い方が誤りとされるようになったのはいつごろからでしょうか。パソコンで「二の舞を踏む」を入力すると、〈「二の舞を演じる」の誤用〉と出てきます。『朝日新聞の用語の手びき』(初版、1981年)では〈「二の足を踏む」との混用〉とあって、このころにはよく言われていたようです。しかし、国立国語研究所の「『太陽』コーパス」(戦前の雑誌『太陽』のデータベース)には、1909年の文章で〈西班牙の二の舞を踏まねばならぬ事と……〉とあり、明治時代にはちゃんと「二の舞を踏む」の言い方があったようです。
『三省堂国語辞典』の編集主幹だった見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)も、すでに1960年代にはこの言い方に注目していました。
〈ネバー・アゲン・スクール(朝鮮戦争の二の舞を踏んで、アジア大陸での陸上戦闘に巻込まれてはならないとの戦略思想派)〉(『朝日新聞』1965.3.28 p.1)
このように、「二の舞を踏む」の例を多く収集しています。でも、『三国』には、長らく「二の舞を演じる」の言い方しか示してありませんでした。
「二の舞」とは、「安摩(あま)の舞のあと、それをまねて演じるこっけいな舞楽」のことです。老いた男女の役の演者が、よたよたと舞台を移動します。この動きについて、「演じる」以外の動詞で表現する場合もあったでしょう。
古くは、舞の動きを「踏む」と言うこともありました。御伽(おとぎ)草子の「唐糸さうし」(1700年ごろ)には、〈太平楽〔=舞の名〕をふむ〉と出てきます。今日でも、やはりこっけいな舞の「三番叟(さんばそう)」は、その動作から「踏む」と言います。
昔のことはともかく、「二の舞を踏む」が広く使われるようになってずいぶん経つ以上、これを一概に「誤用」とするのは行き過ぎです。『三国』は、今回の第六版で、「二の舞を踏む」を現代語として認めてよいと判断しました。「二の舞」の項目に「二の舞を演じる・二の舞を踏む・前回の二の舞になる」の3つの用例が入りました。
新聞に、「二の舞を踏む」の表現を避けたのか、〈二の舞いをする余裕はない〉という言い方が出てきました。「二の舞をする」の古い例がないわけではありませんが、それよりは「二の舞を踏む」のほうが一般的ではないでしょうか。