タイプライターに魅せられた男たち・第130回

ジェームズ・デンスモア(23)

筆者:
2014年5月8日

しかし、アメリカン・ライティング・マシン社の資金繰りは非常に苦しく、デンスモアは、レミントンからの特許使用料を、そのまま運転資金に注ぎ込む有様でした。1881年9月30日付のデンスモアからエイモスへの手紙を見てみましょう。

ヨストからの手紙(1881年9月28日付)を、エイモスに転送するデンスモアの手紙(1881年9月30日付)
ヨストからの手紙(1881年9月28日付)を、エイモスに転送するデンスモアの手紙(1881年9月30日付)

この手紙の前半は、ヨストからデンスモアへの手紙(1881年9月28日付)であり、ヨストがデンスモア宛に「100ドル小切手を同封する」旨が書かれています。しかし、後半のデンスモアからエイモスへの手紙(1881年9月30日付)の部分には、小切手は「たぶん事故のため、あるいはそもそも」同封されておらず、また、「Caligraph」の売れ行きも楽観視できない旨が書かれています。実際、デンスモアは、バロン兄弟やショールズのタイプライター特許を出願できないまま、それらの技術を、アメリカン・ライティング・マシン社が開発中の新たなタイプライターに、次々と導入していきました。その一方で、ヨストとデンスモアは、小文字を打てるタイプライター特許を、いまだ取得することができていなかったのです。この時点で、小文字を打てるタイプライターの市場は、ブルックスの「プラテン・シフト」特許、すなわち「Remington Type-Writer No.2」の独占状態にありました。

1882年8月1日、ベネディクトとウィックオフは、E&T・フェアバンクス社のシーマンズ(Clarence Walker Seamans)と共同で、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社を設立し、E・レミントン&サンズ社のタイプライター販売権を独占するのに成功しました。これに対し、ヨストとデンスモアは、1882年8月26日、アメリカン・ライティング・マシン社の資本金を30万ドルに増資するため、コリー・ナショナル銀行のアレン(Timothy A. Allen)とハーモン(Clarence Gillette Harmon)を、それぞれアメリカン・ライティング・マシン社の社長と出納役に迎えました。そして、増資と同時に「Caligraph No.2」を発売しました。デンスモアとヨストにとって、これは大きな賭けでした。

「Caligraph No.2」
「Caligraph No.2」

「Caligraph No.2」は72キーのタイプライターで、大文字26種類・小文字26種類・数字8種類・記号12種類に、それぞれ異なるキーが割り当てられていました。「プラテン・シフト」特許を手に入れられなかったヨストとデンスモアは、72種類の文字を72個のキーに実装するという形で、小文字を打てる「Caligraph No.2」を実現したのです。それでも、可鍛鋳鉄を用いた「Caligraph No.2」は、全体の重さが20ポンド(約9キログラム)に抑えられており、しかも値段は80ドルでした。対するウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社は、「Remington Standard Type-Writer No.2」を発売し、値段を100ドルに引き下げてきました。こうして、小文字を打てるタイプライターの市場は、「Caligraph No.2」と「Remington Standard Type-Writer No.2」の全面戦争となったのです。

ジェームズ・デンスモア(24)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。