鈴木マキコ(夏石鈴子)さんに聞く、新明解国語辞典の楽しみ方

【対談】『新解さん』と『新明国』その1

筆者:
2021年4月30日

話し手:  鈴木マキコ(夏石鈴子)[作家・新解さん友の会会長] × 山本康一[三省堂辞書出版部]

鈴木マキコ(すずき・まきこ)

作家・新解さん友の会会長

1963年東京生まれ。上智大学短期大学部英語学科卒業。97年、「夏石鈴子」のペンネームで『バイブを買いに』(角川文庫)を発表。エッセイ集に『新解さんの読み方』『新解さんリターンズ』(以上、角川文庫)『虹色ドロップ』(ポプラ社)、小説に『いらっしゃいませ』『愛情日誌』(以上、角川文庫)など。短編集『逆襲、にっぽんの明るい奥さま』(小学館文庫)は、盛岡さわや書店主催の「さわベス2017」文庫編1位に選ばれた。近著に小説『おめでたい女』(小学館)。

山本康一(やまもと・こういち)

三省堂辞書出版部部長。

1966年高知県生まれ。東京大学文学部卒業。国語辞典を中心に多くの辞事典の編集に携わる。担当した辞典は、『大辞林』『新明解国語辞典』『例解小学国語辞典』『新明解類語辞典』『必携用字用語辞典』『コンサイスカタカナ語辞典』など。NPO法人こども・ことば研究所講師。

朗読・カメラ:荻野真友子[編集部]

『新明解国語辞典』の略称は「新明国」。実際に三省堂社内では長くそのように呼び慣わしています。しかし、1996年に刊行されベストセラーとなった赤瀬川原平さんの『新解さんの謎』(文藝春秋刊)以来、世の中では「新解さん」という呼び名が大きく広まりました。その『新解さんの謎』に「SM君」として登場し、この本の誕生のきっかけとなったのが、鈴木マキコさん。鈴木さんは中学生の時に出会って以来、長く『新明解国語辞典』を引き続け、夏石鈴子として『新解さんの読み方』『新解さんリターンズ』を執筆、また「新解さん友の会」会長としての活動も続け、第八版が出た直後には早速「文春オンライン」に記事を書いてくださいました。読者と版元というそれぞれの立場から、これまでなかなかお話しする機会が持ちづらいことがありましたが、ぜひ一度お話しをうかがいたく、このたびお声掛けし、対談を引き受けていただきました。「新解さん」誕生のきっかけ、その読み方のコツ、楽しみ方、「新解さん友の会」とは何か、赤瀬川原平さんとの出会い等々、3回に分けて対談を掲載いたします。また、その後は、鈴木さん自身による「新解さん」の解説記事を予定しています。どうぞお楽しみください。

プロローグ: 迷惑ですか

鈴木:今回、三省堂のみなさんが11月に文春オンラインに書いた記事を読んでくださって、お声掛けくださったことにすごく驚いたし、とてもうれしく思いました。ありがとうございます。

というのも、わたしは新明解国語辞典が大好きでずっと読んできて、好きすぎるので、三省堂の方と変に親しくなってはいけないとずっと思っていたので、あえて距離を取っていました。

でも、こうやってお声掛けくださったことがとてもうれしかったし、もうひとつ心に決めていたのですが、いつか機会があればお話しさせていただければと思っていたことがあります。それは『辞書になった男』(文藝春秋刊)という本の中で、三省堂の編集部の方の言葉として――「私たちは辞書を『人格化』して見ていません。国語辞書は『人格』を押し出そうと思って作られているわけではないんです。だから『新解さん』と呼ばれることには、本当に迷惑しています」と強い語調で言われた――とありまして、わたしはこのことに関して、ご迷惑をかけたり、お嫌な気持ちになっていたとしたら悪いと思ったのですが、でもこのことについては一度ご説明させてもらいたいという気持ちがありました。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

「本当に迷惑しています」と書いてあったので、「新解さん」についてのわたしの2冊の本の角川の担当者に「三省堂が新解さんと呼ばれていることをすごく迷惑と思っているようだ」と伝えたら、「えーっ!」と驚いて、それは驚くと思います。文藝春秋で働いている人間が、三省堂から出している新明解国語辞典に関する文庫をKADOKAWAから出しているわけですから。わたしとしては、これだけ特徴があり、ある種独創的なところのある辞書を世の中に出しておいて、こんな風に言われるのは迷惑です、というのは少し勝手じゃないの、とも思いました。

確かにわたしは「新解さん」と言ってしまいましたが、例えば山本さんに対して、「山本さん」「山本君」「山ちゃん」「山さん」など人によっていろいろな呼び方をすると思うのです。それである時、「山本さん」とお呼びしたら、隣にいる山本さんの奥さんから「夫がそんなふうに呼ばれるのは迷惑だ」と言われたような感覚を受けたのです。

また、同じ本の先ほどの箇所の後に、「新解さん」という呼び名で親しまれたことで、日本で一番売れる辞書になったという点はあるのでは、という趣旨のことを著者が言ったところ、それはまったくの勘違いで「新解さんブーム」の前から売れていて、初版ですでに100万部売れる辞書であったのだと反論された、とのことが書かれていますが、わたしの本や赤瀬川原平さんの本を読んでいただければ分かっていただけると思うのですが、赤瀬川さんもわたしも、「新解さん」と呼んだことで日本で一番売れる辞書になってよかったでしょうなどとはひと言も言っていません。

山本:もちろんその通りです。それを言っているのはあくまでその本で、編集部に取材に来られた著者の方であり、主幹の山田忠雄先生のことを「新解さん」その人であると見立てたり、「新解さん」ブームをあおって日本で一番売れるようになったように言われたので、それは誤解であるし、もしそういう誤解が広がって、われわれが面白本を目指して作っているのであるというように思われることがあれば、それはこの辞書にとって困ったことである、というように申し上げたのです。鈴木さんや赤瀬川さんがそのように思っているとはまったく思っていません。

鈴木:わたしたちは、この辞書のことを笑いものにしようとか茶化そうとかなど、1ミリも思っていません。本当にこの辞書が大好きだし、大切に思っているのです。

山本:わたしも、赤瀬川さんの『新解さんの謎』と夏石鈴子さんこと鈴木さんのお書きになった『新解さんの読み方』『新解さんリターンズ』をしっかり読めば、そのことはちゃんと分かるし伝わると思っています。ですから、このたびはいかに鈴木さんが新明解国語辞典を愛情深く見ているかをしっかり伝えられる機会になれば良いなと思っています。

なぜ「新解さん」と呼ぶことになったか

鈴木:赤瀬川さんとお話をしているなかで、最初は「この辞書は」とか「この新明解国語辞典は」とか確かに言っていましたが、どんどんこの辞書について話が深まっていって、そうするとそのうち「この人は」とか「この新解さんは」と変わってしまったんです。親しみを込めて。これは人格を感じるということではなくて、そのものなのです。全部が好きなのです。それで愛しくなって、そう呼んだのです。

呼び方と言っても、たとえば「おじさま」「おじちゃま」「おじちゃん」といろいろあるけれど、「新解さん」の「さん」は「おじさん」の「さん」に共通なのです。「新解さま」「新解くん」「新解ちゃま」ではない。「新解さん」なのです。それでもっと言うと、この「さん」は「こっくりさん」の「さん」に近い。「こっくりさん」は「さん」でしか呼びません。それが一番ぴったりなのです。だからわたしの中では「新解さん」の「さん」は「こっくりさん」の「さん」に一番近く、その次に「おじさん」の「さん」です。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

受け取る人の自由

鈴木:わたしとしてはそうなのですが、でも、それははっきり言って他の方にとってはどうでもいいことです。言葉というものは、自分の口からいったん出て、世の中に出て行ってしまえば、もう自分から離れて独立していってしまいます。

わたしが「文藝春秋」の編集部にいたときに、「ぞうさん」の作詞をなさったまど・みちお先生の取材(「文藝春秋」平成6年3月号掲載)で、こんなお話をうかがったことがあります。――「ぞうさん」の歌は「おまえの鼻は長いね」と子供の象に誰かが言っている。でも、きっとその誰かというのは自分の鼻は長くない。自分の鼻は長くなくて、子供の象に「おまえの鼻は長いね」と言っている。たぶんそれは褒め言葉ではなくて、「変なの」とか「普通じゃないね」とかのニュアンスで言っているのだろう。でも、子象はそれを言われたときに、すごくうれしがるんです。「そうだよ。ぼくの鼻はとっても長いんだよ。ぼくの大好きなお母さんといっしょなんだ」って喜ぶんです。この歌は、象が象であることを喜ぶ歌なんです。――と、先生はおっしゃるんです。

わたしはその説明を聞いたときに、「でも先生、わたしはこの歌を聴いて、今まで一度もそう思ったことないです」と言ったら、先生は「それはそれでいいんです。作り手がどんな気持ちでそれを作ろうと、世の中に出してしまえば、それは受け取る人の自由なんです」とおっしゃって、わたしは「うわ、なんて強いのだろう」と思いました。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

それで、わたしは版元で働いていていろいろな書き手の方を見ているし、原稿を書いて本も出していますし、一緒にいた夫の荒戸源次郎は映画の仕事をしていました。そうすると小説でも映画でも、すごく評価してくれる読み手や観客もいれば、逆に一生懸命作ったものをぼろかすに言う人もいます。作り手というのはその両方を受け取る人なのです。そうやって覚悟して、「実社会」に立ち向かっていくものなのです。

だから辞書もそうだと思います。わたしは辞書を神聖なものと思ったことは一度もありません。たとえば年表のように、事実をそのまま羅列するものとは違って、ある言葉や物事について、どのように説明し表現するかは、辞書ごとにお家芸のようにそれぞれのやり方があって、絶対に同じというものはないのではないでしょうか。

山本:同じ言葉なのになんで辞書によって説明が違うんだ、というお問い合わせやお𠮟りをいただくことがありますね

鈴木:わたしは「週刊文春」の編集部にもいたことがあります。

山本:今をときめく「文春砲」ですね。

鈴木:編集部に読者の方からお𠮟りの電話がいっぱいいっぱい来るんですよ。つらいんですが、「申し訳ございません。担当者に申し伝えますので」としか答えられないわけです。心の中では「怒ってもしょうがないのにな」と思うと同時に、「人々というのは怒りたいものなのだな」というのもまた一方で真実なのだと思うわけです。

そして、だいたいそう言ってくる方は男の方で、4月5月に特に多い。それはなぜか? 3月にリタイアした方が家でぶらぶらしている。それまでは会社で下の人にぶつけていたのですが、部下も、もういないし、奥さんに言うわけにもいかないから、自分では、ある権威があると思っているところに電話するわけです。なんなんでしょうか、これは?

また、「この字はなんて読むの」というのもありました。本に書いてあって自分が読めないから版元に電話して聞く、とは、何ですか、その不勉強で怠け者の精神は? なぜ自分で調べないのでしょうか。

山本:調べたけれど、分からないので、というのなら分かりますが。

鈴木:でも、文句は言えないですよね。自分で辞書引いてください、とは言えないですよ。でも心の中ではかっかしてます。それがおもてに出るとうるさいだろうな、と思います。だから、自分のことも含めて、ひとびとに言います。いちいち怒ってはいけない、と。怒っても無駄です。誰も言うこと聞かないですから。小説や映画や辞書を作っている人はもっと強い信念をもって作っているのです。怒られるかもしれないことは百も承知でやっているわけでしょう。「百も承知だ!」と。それを言うともっと怒られてしまうかもしれませんが。

山本:怒っている人に対して怒っても、余計に長引きます。そこはきわめて冷静に対応したいところです。

鈴木:例えば「はまぐり」です。新解さんには、はまぐりが「食べる貝として、最も普通で、おいしい」と書いてあることに皆さん怒っているでしょう? わたしはコンビニに行って、探してみたら、アサリとシジミのインスタント味噌汁はあったんですけれど、やっぱりハマグリはないんですよ。だから、ハマグリは普通というよりも、やはり高級な食材だと思います。たとえばわたしが山本さんを接待するとして、料亭にお招きしてシジミのお吸い物が出てきたら、接待されている気がしないと思うんですよね。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

山本:肝臓をいたわってくれているのかなとは思います。シジミに含まれるオルニチンが肝臓にいいらしいので。

鈴木:でも、やはり接待だったら大きいハマグリが出てきてほしい。それで、ここでプルプルと電話して、「こら、ハマグリは普通じゃないだろう」と怒るでしょうか? わたしはまたひとびとに言いたい! ――ひとびとに言うよ――、さて、考えてみましょう。なぜ、ここで「普通」となっているのか?

その理由は「1 新解さんの出身は九十九里」「2 お母さんが海女」「3 夏休みのアルバイトでハマグリ焼きの仕事をした」…――だから、この人にとっては、ハマグリというのは普通なんですよ。そういう環境で育った。 ―― まだあります。語釈に「殻は なめらか」とことさら書かれているのに気がついているでしょうか。確かに、ハマグリの殻はつるつるです。そして他の貝は溝が刻まれていたり、それこそでこぼこしています。なぜ、どうしてもハマグリが普通で、殻がなめらかであることを伝えなければならないのか、その理由が、「4 新解さんは人形師である」です。ハマグリにきれいなおひな様を描いたものがあります。あれを作っているのです。だから、ハマグリの殻がなめらかであるというのは大変特徴的なことで、きちんと伝えなければならない、ということなんです。

ハマグリが普通だ、という記述を見つけたら、それは書いた人のバックボーンを探すヒントがここにある、と思わなければだめなんです。

山本:そのように思うと、怒るのではなく、楽しめるということですね。

鈴木:みんな楽しみたいですよね。――楽しんでください。

山本:楽しむのはもちろん大変けっこうですが、「辞書」の側からも少し説明させてください。

「最も普通で」とは、最近は採れなくなっていますが、かつては全国各地で採れて、古くは『古事記』をはじめとして古典にもよく現れ、また貝合わせという遊びにも使われ、今でもひな祭りにはお吸い物にするなど、長きにわたって日本の生活や文化に他のどの貝よりも深く根ざし、身近にあるということです。

「おいしい」というのは、高級料亭でも料理として出るわけですからそのとおりですよね。そういうふうに読んでいただければ、なにも変なところはないはずです。「はまぐり」という言葉とそれの指し示すものが、どのように文化・伝統の中に息づき、わたしたちの生活の中にどういうふうに立ち現れているのか、を活写するにはこの上ない記述なのではないでしょうか。

ある意味、国語辞典には、客観的で無味乾燥な事実の羅列のみではなく、人が生活の中で出会う事象を主観的にどう感じるか、という文化的な視点と記述があるべきだと思います。つまり、ハマグリは文化伝統の上で最も身近であるということです。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

鈴木:解釈や受け取りが全然異なるのはしょうがないことです。

山本:短い記述の中にそれだけの情報を託しているわけですが、それをどう読むかは、先ほどのまど・みちお先生のお話のとおり、それは読者に任されているし、読者の自由ですね。

鈴木:編者や編集部はいい辞書を作る一心で一生懸命やって、それでこのかたちになって、それを世に問うているわけです。怒られるのも百も承知、いろいろ隙も残っているのも百も承知、でもそれも含めて新明解国語辞典になっているわけで、そしたら読者はそれを受け止めていけばいいのです。みんな怒らないで、認めようよ、と思うのです。 あのー、うちの子はずいぶん手強かったんです。

山本:え? どういうことでしょうか?

鈴木:上の男の子ですが、何もかも自分の好き勝手をして育てるのが大変だったのです。わたしには、簡単ではなかった。担任の先生との面談のときに、先生の前で「もうわたしはこの子の親をやめたい」と泣きながら言うんです。そうすると先生は、「いえいえ、お母さん、そんなことはできないんですよ。それにこれでもずいぶん落ち着いてきたんですよ」っておっしゃるのです。

あれは4年生のときでした。先生が「鈴木さん、○○君は4年生になってずいぶん落ち着いてきました」とおっしゃるので、わたしは目をきらきらさせながら「先生、なにがありましたか?」とうかがったところ、「最近は靴下はいてます」って。

そんな子でしたから、いつもいつも周りに謝りっぱなしで本当に大変だったのですが、あるときに思ったのは、この子はこの子で思うところがあってやっていることだから、もう口出ししたり、怒ったりするのをやめよう、と思ったのです。そうすると、それから少し変わってきました。それにしても、本当にへとへとになって、そういうときは新明解国語辞典で「親」「子供」「家族」などの言葉をよく引きました。

新明解国語辞典との出会い

鈴木:わたしが新明解国語辞典を引き始めたのは13歳のときでした。父が、わたしの13の誕生日に、うちの団地の近所の福岡書店にぶらっと行って買ってきたんですが、このうしろの見返しのところに「祝誕生 父より」と書いてあったんです。わたしは父が嫌いだったので、「父より」をインク消しで消したんです。

父は酒乱で、家族に暴力を振るう人でした。ご飯を食べていて、なにか気に入らないことがあると、急に箸で額を叩いてくる。でも、何に怒っているのか分からないんです。そうすると、結局子供だから自分の身を守るために顔色をうかがうようになる。そうすると今度は、子供のくせに親の顔色を見やがって不愉快なやつだ、とまた殴られる。どうやっても殴られるんです。そういううちの子が13歳の誕生日に辞書をもらって、しかもその辞書に「祝誕生 父より」と書かれていると、「なんだこれ」と思いますよ。

それで、中学2年生になったときにクラス替えがあって、辞書を学校へ持って行ったところ、同級生の移川達也君と池田茂君が「鈴木、辞書貸せよ」と言うので「いいよ」って言って貸した。そしたら、「時をおいてだぜ」とか「竿のようにだぜ」とか言っている。「人の辞書で何してるんだよ」って思って、うちに持って帰ったら、自分が引いた覚えがない赤線が引いてあった。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

一緒に暮らしているけれど、いつも怖くてまともに顔も見たことのない父にもらった辞書に、なにか変なことが書いてあるらしい、ということで、心がこつっと動いたんですね。

それで、あるとき学校で使う「白墨」はなんて書いてあるのかな、と思って引いたら、用例に「赤い白墨」とあった。わたしは「性交」や「陰茎」よりも、この「白墨」に惹かれました。ちょうど、歴史の教科書に法隆寺建立の際の職人さんが描いた落書きの写真が載っていて、それに通じるものを感じたのです。そして、ああ、この辞書には「白墨」だけではなくて、ほかにもきっと何かある、と思った。こっそり、何かやっているな、というのを確信したんですね。13歳で。「白墨」からなんです。

「口答え魂」の芽生え

鈴木:父は大酒を飲んで寝て、訳も分からず殴ってくる、そんな父でしたから、とても口答えなんかできませんでした。そんな父からもらった辞書には、なにか変なことが書いてあって、それを引くことで「なにそれ」と辞書には口答えできる。こうして、わたしの中の「口答え魂」がむくむくと育っていったのです。

山本:「白墨」に「赤い白墨」という用例を示しているのは、白いものだけを指すのではなく、色が違っても「白墨」というのだということを示す工夫なのですが、読み方によっては「変なこと」に感じられたということですね。その場合の「口答え」というのは、今風に言うと「ツッコミを入れる」ということになるでしょうか?

鈴木:いえ、子供だったから、つっこむ、ということでもなく、「えーっ、そうかなあ?」という感じでしょうか。反抗するのではないけれど、………そう、「言うこときかない」ということです。親は子供に「言うことききなさい」と言うでしょう。でも、辞書は、わたしが何を引いて、どのように思っても、怒りませんし殴ってきません。わたしは実生活では決して親に逆らってはいけない、常に言うことをきいていなければならない、そういう状態でした。そんな中で、わたしは唯一辞書を引くことで自由にものを考えたり、反発したり、言い返しをしたり、口答えしたり、実際に口には出しませんし、字にも書かなかったけれど、心の中でそういうことをずっと鍛錬してきた気がします。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

あ、ここでご紹介したいのですが、わたしは向田邦子さんが本当に大好きなんです。当時のわたしの新明解国語辞典は二版でしたが、実は向田邦子さんも同じ二版を持っていらっしゃって、その写真がこの「和樂」の向田さんのムックに出ているんですが、向田さんはラジオのお仕事をなさっていたので「ラジオ」を引いたかなとか、スキーや猫もお好きだったから「スキー」「猫」も引いたかな、などと想像しながら、今でもわざと二版を手に取ることがあります。でも、そういう引き方はうっかりすると相手にとって失礼な引き方になるから注意しないといけないと思っています。

山本:失礼というのは、あまり相手のことを、自分の思い込みを優先させて、きっとこうだろうなどと決めつけてはいけない、ということでしょうか?

作り手と読み手

鈴木:その人のことを想像するあまり、先回りして何か失礼なことを思ったり、何かをしてはいけないなと思うのです。それは、わたしがとても向田さんのことが好きで大事に思っているので、そんな風に用心し過ぎているからなのかもしれませんが、二版を引くときは向田さんのことをいつも思っています。

また、わたしの心の中には高倉健が住んでいるので、義理と人情は最優先で、相手のことを勝手に決めつけて、きっとこうだなどと、失礼なことはできないのです。例えば、先日、朝日新聞の夕刊1面に山本さんはじめ編集部の方が取材を受けられた記事を拝見して、ジェンダー関連の項目が挙げられていたのですが、わたしも自分で調査していたところ、発見できていない見出し項目があり、「ああ悔しい」と山本さんに申し上げました。そうしたら山本さんが「それなら今度ほかにもいくつかお教えしましょうか」とおっしゃるものだから、その時わたしがなんと返事したか、覚えていますか?

山本:そんな義理にそむくことはやめてくれ、でしたね。

鈴木:そうです。そちらは作り手、こちらは読み手、お互いに敬意をもって一線を引いて、お互い正々堂々と清潔な関係でいましょう、ということなんです。八百長みたいなことは、わたしはしません。

それで、あらためて三省堂の方にも分かっていただきたいのは、わたしは新明解国語辞典のことを決して笑いものにしているのではない、ということ。本当に心の底から新明解国語辞典のことが好きなのです。本当に好きで、もうこの人がなにをやってもいいんです。あなたがそういう風にしたいのなら、わたしはそれでいいわ、という、人間の女としてどうなんだ、というくらいの境地なんです。だから、他の人が「はまぐりが普通ってなんなんだよ」と言っていても、「この人が普通って言っているのだから、はまぐりは普通です」とうしろで控えているのです。そういう気持ちなんです。

山本:作り手と読み手、それぞれの立場をきちんとわきまえましょう、ということは大変大事なことだと思います。それゆえ、この対談の最初の方で申し上げたように、作り手の側から、この辞書は「新解さん」とも擬人化される辞書で面白いおかしい本なんですよ、と言うわけにはいかない。とは言え、読み手がそれぞれの境遇やいろんな立場で自由に読み、親しみをもって愛称で呼ぶことはなんら差し支えないし望むところだと思っています。

ただ、ひとつ困ったことは、「新解さん」が与えたインパクトがあまりに大きかったせいか、「新解さん」像が一人歩きしているきらいがあって、新明解国語辞典は変な辞書である、面白おかしく作られている、辞書として不完全であり、まともな辞書ではない、などと言われることがあることです。おそらく、そのように言っている方々は赤瀬川さんや鈴木さんの本を実際に読んだことはないのだと思われます。でも、たとえば、高等学校の先生にご紹介する際などに、語釈の意味分析と記述がどの辞書よりもすぐれているところがあり、用例も豊富で前後の語連結もわかりやすく、文章を書く際にもすぐれて役立つし、語法や文法の記述も十分にある、と多くの特長を一生懸命説明しても、「だって変な辞書なんでしょう」とばっさり言われてがっかりすることがたまにある。

熱心さの爆発

鈴木:変な辞書では決してありません。その先生にはわたしから、差しでみっちりご説明したい。変な辞書ではないんです。新解さんは、言葉を一生懸命説明するあまり通常の人がしない熱心さが爆発してしまうんです。真剣なんです。その一生懸命さを変というのであれば仕方ありませんが、辞書としてどこも変じゃない。ただ、爆発しているところはあります。わたしはそれをわたしの本で「爆発物件」と名付けています。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

新解さんを引いていて時々びっくりするのは、わたしはそこまで教えてもらわなくてもいいんですけど、というのがあって、それでも首根っこをつかまれて「どうだどうだどうだ、これで分かったか、どうだ」という感じの物件に時々ぶつかって、すごくびっくりするのです。それをまたいくつかピックアップしているので、この対談の後に用意する原稿に書くつもりです。びっくりしますよ。と同時に、ありがたいな、そこまでですか、という気持ちになりますよ。こういうのは変なのではなくて、すばらしいと思う。

山本:原稿、楽しみですね。

「ふーん」と「へー!」

鈴木:だいたい、変だと言っている人たちは、新明解国語辞典を実際に読んだのでもなく、赤瀬川さんやわたしの本も読んでもいなくて、ネットやテレビやその辺のものを伝え聞いて言っているだけではないでしょうか。それは偽物ですよ。またひとびとに言いたい――ひとびと、人に聞いて「ふーん」ではなく、自分で実際に引いてみよう。映画でも、人から「あの映画面白い」と聞いても「ふーん」というだけですが、実際に観ると「へー!」となりますよね。だから「ふーん」という人生ではなく「へー!」という人生の方がすてきですよ、っていうのがわたしの実感です。

山本:「ふーん」と「へー!」ですか。

鈴木:「ふーん」と「へー!」の差は大きいのです。

山本:新明解国語辞典についても、人から伝え聞いた噂やイメージで評価するのではなく、実際に引いてみてください、ということですね。

次回は、鈴木さんがどうやって新明解国語辞典を引いているのか、どうやって引けばよいのかについてのお話しに続きます。

筆者プロフィール

鈴木マキコ ( すずき・まきこ)

作家・新解さん友の会会長
1963年東京生まれ。上智大学短期大学部英語学科卒業。97年、「夏石鈴子」のペンネームで『バイブを買いに』(角川文庫)を発表。エッセイ集に『新解さんの読み方』『新解さんリターンズ』(以上、角川文庫)『虹色ドロップ』(ポプラ社)、小説に『いらっしゃいませ』『愛情日誌』(以上、角川文庫)『夏の力道山』(筑摩書房)など。短編集『逆襲、にっぽんの明るい奥さま』(小学館文庫)は、盛岡さわや書店主催の「さわベス2017」文庫編1位に選ばれた。近著に小説『おめでたい女』(小学館)。

 

編集部から

『新明解国語辞典』の略称は「新明国」。実際に三省堂社内では長くそのように呼び慣わしています。しかし、1996年に刊行されベストセラーとなった赤瀬川原平さんの『新解さんの謎』(文藝春秋刊)以来、世の中では「新解さん」という呼び名が大きく広まりました。その『新解さんの謎』に「SM君」として登場し、この本の誕生のきっかけとなったのが、鈴木マキコさん。鈴木さんは中学生の時に出会って以来、長く『新明解国語辞典』を引き続け、夏石鈴子として『新解さんの読み方』『新解さんリターンズ』を執筆、また「新解さん友の会」会長としての活動も続け、第八版が出た直後には早速「文春オンライン」に記事を書いてくださいました。読者と版元というそれぞれの立場から、これまでなかなかお話しする機会が持ちづらいことがありましたが、ぜひ一度お話しをうかがいたく、このたびお声掛けし、対談を引き受けていただきました。「新解さん」誕生のきっかけ、その読み方のコツ、楽しみ方、「新解さん友の会」とは何か、赤瀬川原平さんとの出会い等々、3回に分けて対談を掲載いたします。また、その後は、鈴木さん自身による「新解さん」の解説記事を予定しています。どうぞお楽しみください。