鈴木マキコ(夏石鈴子)さんに聞く、新明解国語辞典の楽しみ方

【対談】『新解さん』と『新明国』その2

筆者:
2021年5月13日
その1から続く)

どうやって新明解国語辞典を引いているか

鈴木:そうです。それでは、いい機会なので、どうやって引いたらいいのか、こつがあるので、これは原稿にも書くつもりですが、先に少し簡単にお話ししておきます。

山本:お願いします。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

(1)知っている言葉を引こう

鈴木:みなさんは辞書を引くときに、「あいすみませんが、この言葉を知らないのでひとつお教えくださいませんでしょう」と教えを乞おうと下からお願いするような気持ちになるのではないでしょうか。それはだめです。今すぐやめてください。まず、大事なことは自分がよくよく知っている言葉を引いてください。どうしてかというと、自分の意見はこれ、それをこの辞書はこのように説明している、そこで落差があったり同感したりすることで、辞書と心の交流が生まれるのです。ここで、今、あなたが辞書とつながりました、という感じです。

山本:まず、辞書とつながることが大事ということですね。

鈴木:そうです。「文春オンライン」にわたしの記事が出た時に、社内の年下の人が読みましたよ、って来てくれたので、あなたならどんな言葉を引くの? って聞いたんです。そしたら「スキャンダルですかね、スクープかな」って。

山本:文春だけに。

鈴木:はい。やはりその人がどんな生活をしていて、何に興味があって、何を知りたいかで、引きたい言葉って全然変わる。わたしは「スクープ」なんて全然引いたことがない。でも、彼女はそういう部署で働いているからこそ「スクープ」なんです。ということで、「スクープ」はなんて書かれていますか?

荻野:(朗読)

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

鈴木:新聞社だけでなく出版社もがんばっていますので、九版ではぜひよろしくお願いします。週刊文春と書いてくださってもけっこうです。

山本:言葉も時代と社会のあり方によって、その指し示すものが少しずつ変わってくる、という良い例ですね。

(2)宇宙人になろう

鈴木:それでは引き方の2番目です。次は、「宇宙人になろう」です。

山本:? 宇宙人ですか……

鈴木:そうです。宇宙人になってみます。たとえば「建物」。今この現代に暮らす日本人で、「建物」が何か知らない人はいない。みなさん、イメージはしっかりできます。

荻野:(朗読)

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

鈴木:普通そこまで書けないですよ。感動する。でも、みなさん知っていてイメージできるから「建物」は引きません。「建物」を引いてみようなどとは宇宙人になってみないとできないのです。

山本:確かによほど特殊な機会でもなければ「建物」を引いてみることにはならない。

鈴木:だから、みんな努力して、せめて心を宇宙人にしてもらいたい、と思うのです。宇宙人は「建物」という言葉を知りません。「虫」もそうです。

荻野:(朗読)

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

鈴木:美しいですね。感動する。「湧くようにして生まれて来」ですよ。こうは書けない。

山本:「蒸す」が語源とも言われていて、それもイメージさせます。

鈴木:心が宇宙人だったら「虫」を引けます。地球のことを何にも知らない宇宙人になる訓練をして、これらの言葉を引けるようになると上級者です。

山本:向田邦子さんになりきるのは失礼ですが、宇宙人になるのは許されますね。

鈴木:はい、許されます。問題ありません。決して失礼ではありません。

(3)人に聞けない言葉を引こう

鈴木:まだあります。三つめ「人に聞けない言葉を引こう」。例えば「ぶす」。

山本:確かに聞けない。

荻野:(朗読)

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

鈴木:「義理」ですよ。こうは書けない。だから、新解さんは義理に流される人ではないのですね。

人に聞けない悪い言葉を引いてみると、実にうまく書いてある。説明が上手で感心します。ほかにどういうのがあるのか調べてあるので、あらためてみなさんにご紹介します。

(4)台所で料理しているお母さんに聞けない言葉を引こう

鈴木:「人に聞けない言葉を引こう」にちょっと近いですが、次は「台所で料理しているお母さんに聞けない言葉を引こう」です。

山本:人に聞けない、ではなく、親に聞けない言葉ですか?

鈴木:想像してください。お母さんが晩ご飯の支度をしています。野菜炒めを作っています。その後ろ姿に向かって子供が「ねえねえお母さん、「ころころ」と「ごろごろ」と「ぽろぽろ」はどう違うの」と言ってご覧なさい。「うるさい! 今忙しい!」と言われるでしょう。「人に聞けない言葉」とはちょっとニュアンスが違います。人に聞けないわけではない。でも、これをお母さんに聞くと「うるさい! 自分で辞書を引きなさい」と言われるわけです。

(5)新しい版を買おう

鈴木:あとは何よりも、新明解国語辞典のいちばん新しい版を買おう、ということです。わたしは改訂版が出ると少なくとも3冊は買います。勤務先、台所、寝室です。家中、新明解国語辞典がごろごろしています。手に取れるところにいつもあります。なぜ、改訂版が出て買わないのか、その理由が分からない。今の時代にいちばん合っている言葉と使い方を教えてくれているのですから。

さらに、辞書の「序」。これが大事です。最初にあるということは、これは新解さんの挨拶で、今回はこのような事情でこういう気持ちで作ったんですよという説明をしてくださっているわけですから、わたしたちはちゃんと身をただして聞くべきなのです。朝礼です。朝礼でお話しくださっているのです。最新版を買って、序を読む。これです。

八版が出ているのに、四版がどうのこうのって言っていてどうするんですか。かつてはそうだったかもしれないけれど、今の時代にそぐわなくなっているから改訂しているのですから。

山本:ぜひ最新版を、まず「序」から読み始めていただきたいですね。

「新解さん友の会」について

鈴木:先ほど、人がどんな生活をしていて、何に興味があって、何を知りたいかで、引きたい言葉は変わる、ということを言いました。前に、北野武さんがあるテレビ番組で新明解国語辞典の「勉強」を引いて、これが面白かったっておっしゃっていて、北野さんってすごい人だな、と思いました。あの方が「勉強」って言葉を引くんだ、と。その時に、前から薄々気づいていたのですが、どういう人がどの言葉を面白がるか、どの言葉を引きたくなるかというのは、すごく特徴的なことなのだとあらためて思ったのです。そうすると、ある人がどの言葉を引くかで、その人のバックボーンが分かるかもしれない、と思ったのです。

わたしは、なるべく心を自由にしていろいろな新明解国語辞典の興味深い言葉を引きたいと思ってるのですが、そうは言っても自分は自分だから、なかなか自分以外にはなれなくて、自分だけの興味では引かない言葉も出てくる。そうすると、いろんな人と仲良くなって、あなたが引いた言葉は何? あなたが面白いと思っている項目は何? と教えてもらいたいなと思いました。

それで、新明解国語辞典のことでインタビューの機会をいただくたびに、わたしの夢は新明解国語辞典でお茶会をすることです、というお話をしたら、え、どういうもなのですか? と聞かれるので、説明するわけです。各自が自分の選んだ言葉のページを広げて、それを回してその場のみんなに見てもらい、ひとりひとり「ははあ」と言って読んで、「結構なお点前です」というわけです、と。そうするとどの取材の人も、「あはは」と笑って、そのお茶会をするときには呼んでください、とおっしゃるわけですが、呼んでくださいと言うだけで、ではやりましょう、と言う方は誰もいない。わたしひとりではできないのです。また、これって義理とかお付き合いとかでもできない。真剣な気持ちでないとできないのです。

山本:純粋に言葉と辞書に向き合わないといけないわけですね。

鈴木:ある時、わたしの本『逆襲、にっぽんの明るい奥さま』の主婦限定の読書会をします、という告知をネットで偶然見つけて、それは田端にあった石英書房さん(*現在は向島に移転)という女性の古本屋さんが読書会の参加者募集をなさってたのです。そこで、「作者ですが、わたしも主婦なのでまぜてください」って申し込んだんです。

山本:びっくりしたでしょうね。

鈴木:はい、びっくりなさっていました。でも、「どうぞ、どうぞ」と、受け入れてくださって伺ったのです。そうしたら、石英書房さんとお友達の4人くらい、たぶん夏石が来るからと声を掛けてくださったんだと思いますが、集まってくださって、この本のどこが良かったとか、こうだったとか、いろいろとお話ができて、とても楽しくて、またありがたかった。それで、みんなで雑談をしていたときに、わたしは隙あらば自分の夢をしゃべって、どうにか実現したいものだから、新解さんのお茶会のことを話したのです。自分の好きな項目を開いて、みんなで回して、「けっこうなお手前でした」としたいんですよ、と言ったら、石英書房さんが「それならうちでやりましょう」と。

山本:はじめて「やりましょう」と言ってくださった。

鈴木:それで、本当にやったんです。

それは人をしぼった会で、どうしてしぼるのかというと、その人がどういう言葉を引くか、ということはすごくセンシティブなことなので、「あの人、あんな言葉を引いて、いやだ」なんて思われることになるといけないので。そこで、気の置けないひとだけにして、心を開放して、どんな人がどんな言葉を引いてもけっこうです、それでどうしてその言葉を面白いと思ったのかを説明してください、としました。

また、「恋愛」を引いた人と「星」を引いた人のどちらが優れているのか、とそういうことではない。較べない。この較べない、ということが一番の会の目的でもあって、「あなたが面白かったことを教えて」というただそれだけなのです。だから参加者も、「え、わたしこんなことを言っていいのかしら」というしょんぼりした態度ではなく、正々堂々、自信満々「これが面白いんだ」という態度で臨んでほしい。

ということで、石英書房さんのお知り合いの、やはり本に関わる関係の方が多かったのですが、集まって、自由にやって、とても楽しかったのです。それで、いろいろな言葉が出たのですが、すごく衝撃があったものが二つありました。

山本:衝撃ですか。

鈴木:まずひとつは、「頻尿」。大学を出たばかりの男の方でしたが、びっくりしたのです。

山本:若い方ですからね。わたしくらいの年ならともかく。

荻野:(朗読)

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

鈴木:わたしが、どうしてまだ若いのに、この言葉を、と聞いたら、「僕は頻尿なんです。新解さんは頻尿に違いない。実にビビッドな語釈だ」と言うのですよ。

山本:実に実感をともなって理解されたということでしょうね。

鈴木:たとえば、頻尿じゃない人が読んでも、それほどは響かないはずです。

山本:でも、頻尿の人にはビビッドに響いた。

鈴木:もうひとつは、「糅(かて)」。その方は、なにか事情があって、自分のおばあさんと暮らしていたそうで、そのおばあさんが「糅」で「糅飯(かてめし)」を作っていたからその言葉を知っていたということだそうで、わたしは知らなかった。

山本:なじみがないですよね。

荻野:(朗読)

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

鈴木:これは「おしん」の大根飯ですよ。五目ご飯とは違う。おいしくするためではなくて、お米が少ないから、かさを増やす目的のものです。わたしは「かてめし」というものが生活の中になかったので、その言葉を出されたときに全然分からなかったのですが、この方はおばあさんとの生活の中にあって、それで出てきたのです。

山本:そのように、言葉にその人の人生の一側面があらわれているわけですね。

鈴木:山本さんも、気になる言葉の話をしてませんでしたか。カップ味噌汁がどうのと。

山本:「浮き具」ですね。カップ味噌汁の具の袋に「浮き具」とありまして、「浮き実」は辞書に見出しがあるのですが、「浮き具」はないな、と。そこで調べ始めたら、「浮き実」のことを「浮き具」とも言うというのは分かりましたが、水泳の道具にも「浮き具」があるぞ、ということで、ずいぶん漂流しました。でも、これは、まあ仕事しているだけと言えば仕事なのですが、いわば人生の一側面でしょうか。

鈴木:それは仕事柄も含めた山本さんという人の特徴が出ているのです。普通の人だったら、そんな袋の言葉を見ても、何も引っかからないと思います。

山本:そうすると、仮に今わたしが新解さん友の会のお茶会に呼ばれると「浮き具」を候補にあげたいわけですが、そもそも辞書に載っていないので気になったわけで、まだあげられない。困ったとなるわけです。

鈴木:そういうことを、友の会では話し合うのですが、たとえばわたしの場合は、別居して、やり直そうとしたけれど結局離婚して、その後に旦那が死んでしまって忙しいとか、別のメンバーはお母さんの介護で手が離せないとか、みんな忙しくてなかなか開けないまま時間が経ってしまっています。でも、生活の中で出会い、立ち上がってくる言葉というのはその時々で変わってきますよね。開けないまま時間は経っていますが、みんなの出会う言葉は蓄積されているはずで、そういう意味では今はそれぞれが地下活動をしているのです。

山本:次に会うときまでの蓄積の期間ですね。

鈴木:今度までにみんなしっかり調べて用意しておこうね、というのがずっと続いています。

山本:今度開催したときには、その間のそれぞれの生活や人生が言葉となって出てくるわけですね。

鈴木:そういうことです。それを出し合って、みんなで喜び合い、褒め称え、認め合うんです。今から、それを楽しみにしています。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

「友の会」の「友」とは

鈴木:「新解さん友の会」の「友」は、いわば「夏休みの友」の「友」であって、新解さんにとって友なのかというのは分かりません。

山本:「夏休みの友」とは、小学校の夏休みに持たされる宿題の冊子ですよね。つまり、「新解さん友の会」は、新解さんのファンクラブというわけではないということですね。

鈴木:そうです。ファンクラブではありません。

山本:「新解さん友の会」はいわば「夏休みの友」のようにみなさんの傍らにあって、日々生活の中で忙しいやいろいろ大変なことがあっても、常にその時々の気になる言葉を引き、記録していき、次に集う日のために備えている、そういうものだと。

鈴木:そうなんです。そのように言葉だけで、自由にしゃべって、笑って、時間を過ごせる、それがわたしはすごく楽しいなと思えるのです。

山本:ぜいたくな時間ですね。

鈴木:知的じゃないとできない。でも、義理で参加してはいけません。自由な心で、自分で言葉を見つけてきて、発表できることが必要で、そういうふうに打ち解けて話をするためにも会員限定なのです。今、SNSで知らない人とどんどんやりとりするようなことがありますが、あれは危なくないんでしょうか? わたしは、とてもこわいです。

山本:危ないから、すぐ炎上するのではないでしょうか。

人間とは「言い訳」をするものである

山本:『新解さんリターンズ』の362ページに「よく新解さんは、人間臭い辞書だと紹介される。わたしは「辞書を引く」ということ自体、大変人間臭いことだと思う。」とあります。つまり、「人間とは辞書を引くものである」ということでしょうか。

鈴木:わたしは、新解さんだけ引いているように思われているかもしれませんが、新聞を読むのもすごく好きです。よく読むと新聞には、へんてこりんな事件がいろいろある。多くはとんまな事件やいやらしい事件なんですが、その時に捕まった人は必ず言い訳をする。

わたしは常に「人間とは何か」を考えているのですが、それはなぜかというと、わたしが「文藝春秋」の編集部にいたときに、表紙画の高山辰雄先生の絵を頂戴に上がるという役目がありました。高山先生は常に「人間とは何か」を考えてらっしゃる。わたしはそれまであまり「人間とは何か」なんて考えたことがなかった。ところが高山先生は人間どころか「アメーバの心が知りたい」とおっしゃる。

びっくりするでしょう? こんなにびっくりしたことないんです。毎月、先生のお宅に伺って、「先生、いじわるって何の役に立つんでしょうね」なんて話をするんですが、そうしながら、先生はなぜ「人間とは何か」を考えながら絵をお描きになるんだろうということを考える。わたしが考えたって、答えは出ません。考えたら答えが出るだろうというのはとても浅知恵で、考えていることだけでいいのかなと思えるようになり、そういう目で新聞を読むと実におかしい。

山本:答えに期待せずに、考えていることだけでよい、という姿勢ですか?

鈴木:はい。そうするとあるひとつの真実として、人間とは何か?――言い訳をするものであると。その言い訳を探すために新聞記事を読むと実におかしいんですよ。それで、それらを集めてスクラップブックに貼り付けている。全然何の役にも立たないのですが。

山本:この記事にある「恋愛物語に感化された」――まさにこれが言い訳ですか?

鈴木:そうです。そういうスクラップブックが何冊もあるのです。わたしは新解さんのことが大好きだけど、新解さんのことだけやっているわけでもないのです。人の言い訳も集めている。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

山本:もちろん、作家として小説もお書きになっている。でも、たしかに、そういう目で見ないと新聞記事の中の言い訳は読み飛ばしてしまいそうですね。

自由について

鈴木:そうです。だからわたしは言い訳を探すために新聞を読んでいます。新聞記者の方からすれば、ちょっと止めてくださいよ、ということになるかもしれないのですが、わたしが取っている新聞ですから、どのように読もうが、それはわたしの自由。

それで言うと、わたしは今「和らく会」という作り帯の作り方を勉強する会に行ってるんです。今日のこの半幅帯もわたしが古い着物をほどいて、作りました。今日の対談用にと思って。わたしにとって自由であるということはとても面白いことなのです。自由について、和らく会の先生のおっしゃったことが、とても心に響いています。

帯の結び方に、時代劇で町人のおかみさんがしている結び方で、角出しという結び方があります。これは普通は袋帯などではしないことになっています。上等すぎるからです。でも、この会の先生でおひとり、どんな帯でも、わたしは角出しが好きだからそうします、という先生がいらっしゃいます。よく似合って素敵なのです。通常の着物のルールでは袋帯は角出しにはしないということに対して、その先生は「あら、わたしが角出しにしても、どなたにもご迷惑は掛けていないわ」と言って、角出しにして締めていて、かっこいいのです。わたしは、自由とはそういうことではないかと思います。

実は、わたしが新解さんについての本を出したときに、嫌な手紙がいっぱい来ました。こんな事はすでに言っている人がいるとか、それはラジオで前に言われていたのを真似しただけだろうとか、こんなに好き勝手に言っていいのかとか、お前の本は赤瀬川さんのように面白くないとか。わたしは、赤瀬川さんのように素晴らしい才能は無いですから、あんなに面白くはできない。わたしの本は、一生懸命調べている研究発表なのですから。そんなふうにいっぱい責められました。

でも、わたしが心の中で思っていたのは、「わたしが自分のお金で買った辞書をどう読もうと、それはわたしの自由でしょう」ということです。今もそう思っています。新解さんという呼び方にしても、そんな呼び方をしていいのか、と言ってくる人がいっぱいいました。でも、わたしが新解さんと呼んで、それがどれだけ世の中に広まったとしても、それはもうわたしの手を離れている。呼びたい人はそう呼んでいるし、呼びたくない人は呼んでいないわけでしょう。わたしは何もよその人に、「絶対に新解さんと呼べ」とは言ってないのです。

押しつけてはいないし、決めつけてもいない。それはなぜかというと、わたしは人から押しつけられたり、決めつけられたりするのが大嫌いだから。だから人にもそうしない。わたしは自分で楽しんでいる。自由に。だからよその方にも何も押しつけない。ですから、わたしに嫌なことを言うのをやめてください、それ、無駄ですよ、と言いたい。

なぜ、新解さんについて書くことになったか

山本:赤瀬川原平さんの『新解さんの謎』の後に、『新解さんの読み方』をお書きになり、さらに『新解さんリターンズ』をお書きになったわけですが、そういうことがあったのですね。

鈴木:赤瀬川さんに『新解さんの謎』を書いていただいた後にちょうど新明解国語辞典の第五版が出ます。それで五版はどのように変わったのかを書いてくれないか、という注文が赤瀬川さんのところに行ったそうなのですが、赤瀬川さんは「僕は新明解国語辞典に詳しいわけではなくて一番良く分かっているのは鈴木さんですから、鈴木さんに書いてもらったらどうですか」とおっしゃったそうなんです。

1冊目の本が当たったのですから、きっと2冊目も当たる。わたしだって、赤瀬川さんがお書きになるなら、いくらだってお手伝いします。それを事も無げに人に振るというのは、赤瀬川さんというのは本当に無欲かつ清廉潔白で、すごい人だと思いました。

「僕は詳しくないから鈴木さんにお願いしてください」とおっしゃる。わたしはその時に「鈴木さん、書きなさい」と言われたので書いただけです。是が非でもわたしが書きます、と言ったわけではありません。それで、2冊目の方は、五版から六版になるときに御社の当時の社長さんが「鈴木さん、新明解国語辞典を応援してください」とおっしゃって、「本をまた書いてください」と言われたので、書きました。ただそれだけです。

山本:書いてくださって、ありがとうございます。

鈴木:でも、その次はもう書かない、と思いました。なぜかというと、ちゃっかりした人が勝手にいいように使うからです。ずるいですよ。あの頃、テレビですごく話題になって、ずいぶん取り上げられて、広がったのです。でも、赤瀬川さんやわたしの本に書いてある言葉だと断るものはほとんどありませんでした。たしかに、辞書を見れば載っていますよ。でも、それを発見し、そこに至るまでは簡単じゃないんです。

山本:まさに話題だけが一人歩きして、それを見つけた人の苦労はもちろん、その内実まで骨抜きにされるようなことだったのではないかと思います。わたしたちも、「変な辞書」だという風評だけが勝手に膨らまされていくように思えて、気になりました。

鈴木:そうです。物笑いにするだけで、敬意を欠き尊敬の気持のかけらもない、失礼な番組がいっぱい出てきました。赤瀬川さんやわたしの本から勝手に使って、クレジットも出さない、仁義も切らない。テレビはど厚かましいにも程がある。自分は何も調べないで、調べた人間を見つけていいように使うだけです。

その時に思ったのです。いいですか、ちょっと言わせてください、――挨拶はしましょう、仁義は切りましょう、敬意は払いましょう、著作権使用料も払いましょう――。ぜひ、よろしくお願いします。ところが、現実は逆で、挨拶もしない、クレジットも出さない、御礼も言わない、でした。ひどいですよ。

だから、もう新解さんの本を書くのをやめたのです。ずるい人たちにいいように使われたくない、わたしはあなたたちのネタ提供者ではない、ですよ。この前の文春オンラインの記事は、そういう意味では久しぶりに書きました。でも、担当者から「思ったよりビューが伸びませんでした」と言われてがっかりました。

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

(写真左は『新解さんリターンズ』の際にKADOKAWAの編集者が調査に使った第六版)

文春オンラインと困ったお隣さん

山本:文春オンラインですからね。他の押し出しの強い記事に比べると仕方ないのではないでしょうか。わたしはたいへん面白く拝読しました。

鈴木:それは、ありがとうございます。スクープの前では、辞書は地味な分野ですね。それでも、ゴールデンウイーク前頃にまた書いていいよと言ってもらったので、今度は八版での変化を中心に調査結果を発表したいと思っています。

山本:ありがとうございます。楽しみにしています。ちょっとどきどきしますけど。

鈴木:文春オンラインのビューがぐんっと伸びる、びっくりするような物件もあるので、楽しみにしていてください。あっと驚く物件です。

山本:さらにどきどきしてきました。ちょっと恐いですね。

鈴木:今回こちらで、この対談の後に掲載していただく予定の文章には、全般的な話題、今までのようにあっと驚く語釈とか用例とか、楽しみ方とかに加えて、岩手のさわや書店さんに伺ったときの話題も書きたいと思っています。

『逆襲、にっぽんの明るい奥さま』が2017年に、さわや書店さんでベスト文庫賞をいただきました。それでトークショーに呼んでくださった。そこで新解さんについてトークをしたんですが、その際にさわや書店さんが、「新解さんで引いてみたい言葉はなんですか」という質問を、お客様にアンケートで聞いてくださった。この回答がすごく面白いのです。これをぜひご紹介したいと思っています。

それで、このトークショーの時に、わたしはみなさんに、高額宝くじが当たったら、申し訳ないですが半分は使わせてもらいます、でも半分は復興のために寄付します、と申し上げたんです。そうしたら、みなさん、「がんばれー」って言ってくださったのですが、残念ながらまだ当たりません。今でもその気持ちは変わらないのですが、なかなか当たりません。

山本:早く当たることを願っています。

鈴木:それから、「おつに」の見出しの隣には何があるでしょうか?

荻野:ありました。「おっぱい」です。

鈴木:「おつに」の隣が「おっぱい」ですよ。いかがでしょうか。思わず、かくっときませんか。わたしはこれを「困ったお隣さん物件」と名付けました。これについても書く予定です。

山本:楽しみです。でも、考えてみれば、これはどの国語辞典にも起きうることですね。そういう目で見たことはありませんでした。お隣さんは選べない。

鈴木:一戸建てを建ててしまった人も、みんなそう言ってるようです。

本の仕掛けについて

山本:辞書の見出しはそれこそ偶然のなせるわざですが、鈴木さんはご著書に、ある仕掛けを仕込むことがあるそうですね。

鈴木:ここにある『おめでたい女』は、カバーをはずして表紙を見てみてもらいたいです。『新解さんの読み方』にも仕込んでます。でも、それは気付いた人だけが分かる仕掛けです。わたしからそれを言って、読者の楽しみを奪ってはいけないと思っていますので、ここまでにしておきますね。

赤瀬川さんの言葉の中で「楽しみというものはそれが分かる人だけのものだし、分からない人に分からせようとする義理の楽しみは、分かったところでもう楽しみではなくなっている」とあるのですが、本当にそうだと思います。わたしは「やばいっすね」「まじっすか」の二つしか言わない猫田君と一緒に働いているのですが、わたしが新明解国語辞典のこれが面白いというところをいくら朗読しても、さっぱり感動しない。

山本:猫田さん、文春オンラインの記事に登場なさってましたが、実在するのですね。

鈴木:はい。実在して、しかも全然感動しない。でも、感動しないから、彼はセンスがないなどとはまったく思わない。この世には、新解さんが分かる人と分からない人がいる、というだけです。それはそれでしょうがない。でも、いつか猫田君があっと驚くものを見つけたいし、それがわたしの野望です。山本さん、『新解さんの読み方』の仕掛けには気がつきましたか?

『新解さん』と『新明国』―鈴木マキコ(夏石鈴子)に聞く、新明解国語辞典の楽しみ方―

山本:はい。不思議なものがあることには気がついていました。でも、そういう意味だとは………。

鈴木:うふふ。

ずっとやっていくこと

鈴木:というように、わたしは辞書を引いているだけではなくて、本も書いたり、他のこともやっていますが、でも辞書を引いていることが全てにおいていろいろプラスに働いていると思う。とは言え、別にプラスだからやっているわけではなくて、本当に好きだからずうっとやっているのです。

わたしが会社に新人で入ったときに、人事の者が「君たちね、何か特技があるでしょう。そうしたら、それは集中してずっとやっておくといいよ」と言ってくれた。そこでわたしは閃いて、「ずっとやっていこう」と思って、それからずっと新解さんを引いています。それで、「文藝春秋」に異動になったときに、自分が一番好きなことを、一番好きな方に書いていただこうと思って出した企画があの企画だったわけです。だから、一番えらいのは、この企画を採用してくれた編集長です。白川と申します。

山本:たしかに、それがなければ、ここまでの繫がりはなかったわけですよね。

鈴木:最初は、巻頭随筆の予定だったのですが、赤瀬川さんが、これは面白いからもっと分量があった方がよい、ということでああなりました。

次回は、赤瀬川さんとの出会いと『新解さんの謎』の誕生、「新解さん」への思い、そして今後への期待など。対談の最後になります。

筆者プロフィール

鈴木マキコ ( すずき・まきこ)

作家・新解さん友の会会長
1963年東京生まれ。上智大学短期大学部英語学科卒業。97年、「夏石鈴子」のペンネームで『バイブを買いに』(角川文庫)を発表。エッセイ集に『新解さんの読み方』『新解さんリターンズ』(以上、角川文庫)『虹色ドロップ』(ポプラ社)、小説に『いらっしゃいませ』『愛情日誌』(以上、角川文庫)『夏の力道山』(筑摩書房)など。短編集『逆襲、にっぽんの明るい奥さま』(小学館文庫)は、盛岡さわや書店主催の「さわベス2017」文庫編1位に選ばれた。近著に小説『おめでたい女』(小学館)。

 

編集部から

『新明解国語辞典』の略称は「新明国」。実際に三省堂社内では長くそのように呼び慣わしています。しかし、1996年に刊行されベストセラーとなった赤瀬川原平さんの『新解さんの謎』(文藝春秋刊)以来、世の中では「新解さん」という呼び名が大きく広まりました。その『新解さんの謎』に「SM君」として登場し、この本の誕生のきっかけとなったのが、鈴木マキコさん。鈴木さんは中学生の時に出会って以来、長く『新明解国語辞典』を引き続け、夏石鈴子として『新解さんの読み方』『新解さんリターンズ』を執筆、また「新解さん友の会」会長としての活動も続け、第八版が出た直後には早速「文春オンライン」に記事を書いてくださいました。読者と版元というそれぞれの立場から、これまでなかなかお話しする機会が持ちづらいことがありましたが、ぜひ一度お話しをうかがいたく、このたびお声掛けし、対談を引き受けていただきました。「新解さん」誕生のきっかけ、その読み方のコツ、楽しみ方、「新解さん友の会」とは何か、赤瀬川原平さんとの出会い等々、3回に分けて対談を掲載いたします。また、その後は、鈴木さん自身による「新解さん」の解説記事を予定しています。どうぞお楽しみください。