(前回からのつづき)
新解さんが約束の時間に遅れて、「あー、ごめんね」と言った側ではないことが伝わる。
あ、そう言えばいいのね。
そうですね、ほめ言葉を小声で言う場合・人はあまりない。だいたい不平だろうし、それもわざと聞こえるように言うのかもしれなくて、それを新解さんに聞こえて、こう描写した。
この言葉は、瞳以外に使われる時ってあるのでしょうか。つぶらな団子虫というのも聞かない。
ああ、これもね人間ではなくて「妖怪しらずー」になっているのでしょう。「平気でする様子」というのが大きな特徴です。
そうですね、洋服の場合あまり「はだける」ことは無いように思います。着物は簡単に言うと、布を自分の体に添うように巻きつけ、腰ひもを結んで着るのです。定位置に何か印がある訳ではなく、全部自分の感覚で上前・下前の位置を決め腰ひもを使います。着付けを習っていますが、うまく着られないと、ぐずぐずと前がはだけてしまいます。なかなか上手に着られませんが、もしかしたら、簡単ではないから着物を着たいのかもしれません。
尾辻克彦は '79年『肌ざわり』で中央公論新人賞、'81年に『父が消えた』で芥川賞、'83年に野間文芸新人賞を受賞しています。
みんなで拍手しましょう。
新解さんは言葉の説明のために、ミミズを含めて毎日いろいろな物を見ている。
わたしが、新解さんの( )の使い方を「うまいなー」と実感したのは、「のろける」を引いた時でした。これまで何度も書きましたが、今回も最後に「のろける」をご紹介して、すてきな( )物件を終りにします。用例もちゃんと見て下さい。新解さんの気持が見事に表現されています。新解さんは、『他人にうれしそうに話す』と冷静に描写していますが、苦しい顔でのろける人は変態だと思うので、のろけとしてはこれはこれで正しいと思います。
(「その3 すてきな( )物件」おわり。その4につづく)