1932年10月、ロイヤル・タイプライター社は「Royal Signet」の発売を記念して、「5000ドルを現金で163名様に」という1ヶ月間限定のキャンペーンを打ちました。
お近くのロイヤル・タイプライター社の代理店で、「Royal Signet」をお試し下さい。その上で、簡単な御意見を、たったの50ワード、代理店の準備した用紙に打ち込んで下さい。期限は10月31日のミッドナイトです。一等賞は1名様に1000ドル、二等賞は1名様に500ドル、三等賞は1名様に250ドル、四等賞は10名様に100ドルずつ、五等賞は50名様に25ドルずつ、六等賞は100名様に10ドルずつ、現金で差し上げます。一二三等賞が引き分けの場合は、双方に1000・500・250ドルを差し上げます。審査は、御意見の面白さのクオリティでおこない、受賞者には、遅くとも12月15日には通知いたします。
「Royal Signet」は、44キーのフロントストライク式タイプライターで、小型軽量を売りにしていました。ただし、シフト機構が無く、大文字しか印字できなかったのです。キー配列は、最上段が123456789-?$、上段がQWERTYUIOP’、中段がASDFGHJKL;:、下段がZXCVBNM,./のQWERTY配列でした。数字の0は、大文字のOで代用することが想定されていました。44本の活字棒(type arm)の先端には、等幅のスラント体(斜体)活字が埋め込まれていました。また、インクリボンは黒一色のみで、紙幅の設定も出来なければ、バックスペースも無い、という、当時としても、かなりシンプルすぎるタイプライターだったのです。
ロイヤル・タイプライター社は、「Royal Signet」を入門機として位置づけていました。タイプライターというものに触れたことがない学生や一般の人々に、初めてのタイプライターとして「Royal Signet」を使ってもらい、ゆくゆくは、大文字小文字が打てるタイプライターへとステップアップしていく、というプランだったのです。ただ、このプランは、代理店には不評でした。「Royal Signet」は、定価29ドル50セントという低価格に設定されていたため、代理店にはほとんどマージンが無かったのです。マージンが無いのに、1ヶ月限定とはいえキャンペーンを手伝わされ、しかも、現実のステップアップがいつになるのか、よくわからないプランでした。また、仮にステップアップが起こったとしても、その際にロイヤル・タイプライター社を選ぶとは限りません。大文字小文字が打てる他社のタイプライターに乗り換える可能性だって、十分に考えられるのです。実際、ロイヤル・タイプライター社は、1934年には「Royal Signet」の生産を終了し、大文字小文字が打てる他のモデルに、注力していったようです。