1917年11月6日、山下たち日本帝国政府特派財政経済委員会は、セントルイスに着きました。セントルイスでも、委員会一行は大歓迎を受けました。聞くところによれば、1904年のセントルイス万国博覧会(オリンピック併催)以来、セントルイスでは大規模な日本人会が組織されていて、委員会一行の到着を待ち構えていたのです。この日の晩餐会での目賀田の発言を、地元紙の『Daily National Live Stock Reporter』は、翌日11月7日の紙面でこう伝えています。
日本はアメリカとの協同を熱望しています。財政面や政治面だけでなく、双方の国における将来あらゆる面での互恵を熱望しています。そして、連合国とともに、我々の共通の敵であるドイツ皇帝を叩き潰すことを熱望しています。
その同じ紙面で、『Daily National Live Stock Reporter』は、日本の全権大使である石井菊次郎と、アメリカ国務長官のランシング(Robert Lancing)の共同声明を、以下のように伝えていました。
昨日ランシング国務長官は、アメリカ合衆国と日本との間で締結された協定を発表した。協定は多岐の分野にまたがっており、実質的な内容の検討が進むにつれ、その重要性がますます増大している。
この協定は、ウィルソン大統領の外交手腕の賜物だとみなされるのみならず、現在の世界大戦が歴史となってしまった遠い未来において、我が国に恒久的な利益をもたらす世界平和への大きな一歩と解されるだろう。
この協定は中国に関連しており、実際問題として、中国の領土における日本の特殊権益を、我が政府に承認させることを目的としている。同時にこの協定は、アメリカはいうまでもなく日本に対して、「門戸開放」の原則を明確化している。協定の文言を借りるなら、「中国における商業および貿易の機会均等」である。
しかし、これらの点を越え、この協定は、中国の独立あるいはその領土保全を、アメリカと日本に誓約させている。東京とワシントンの政府の間には、いかなる同盟関係も結ばれていない。他の国々から中国を守るために武力行使をおこなうか否か、その点に関する協定も結ばれていない。
それと同時に、この協定は、中国への侵略行為に反対することを謳っている。この協定は、故ヘイ(John Milton Hay)国務長官が17年前、義和団の乱に際し、苦難の中で撒いた種の果実である。この協定は、中国が政治的主体であり、領土を持つ主体であることを、世界に知らしめるものである。
日本の主張する「中国の領土における日本の特殊権益」と、アメリカの主張する「中国における商業および貿易の機会均等」。この2つが混ざった形での、いわゆる石井・ランシング協定(1917年11月2日締結)を、山下たちはセントルイスで読むことになりました。日本帝国政府特派財政経済委員会の目的は、そもそもはアメリカ視察だったはずなのですが、ここにきて大きくその性格を変えざるを得なくなったのです。
(山下芳太郎(29)に続く)