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//www.mp3lyrics.org/t/the-stylistics/cant-give-you-anything/
曲のエピソード
1970年代に一世を風靡した、いわゆるフィラデルフィア・ソウルの立役者的グループのうちのひとつ。日本では今でも人気があり、クリスマスの時期になると、毎年、ライヴやディナー・ショウのために来日公演を行っている。とりわけこの「Can’t Give You Anything (But My Love)」(邦題:愛がすべて)は人気が高く、筆者も何度か彼らの来日公演を観たことがあるが、あの印象的なイントロが流れるだけで、観客が異様に盛り上がったことを思い出す。2006年、SMAPの木村拓哉さんが出演した某社の男性用整髪料のTVコマーシャルにこの曲が起用されたことで(但し、歌詞の一部を商品名に変えてレコーディングし直している)、スタイリスティックスのことを知らない若い世代の人々にとっても、耳に馴染みのある曲となった。
不思議なことに、本国アメリカでは全くヒットしなかったものの(但し、R&Bチャートでは辛うじてNo.18を記録)、何と全英チャートではNo.1の座に就き、3週間にわたって首位をキープした。また、当時、ここ日本にも欧米のディスコ・ブームが飛び火しており、この曲の日本盤シングルのジャケット・スリーヴの裏面には、1970年代に大流行したダンスのステップ“ハッスル”の踊り方がイラスト入りで紹介されていた。また、1970年代半ばにヨーロッパ各国を放浪していた知人は、ディスコ(今でいうところのクラブ)へ行くと、必ずと言っていいほどこの曲がダンス・フロアで流れていたという。
曲の要旨
もし僕がお金持ちだったら、君に高級な服をプレゼントしたり、うんと贅沢をさせてあげあれるのに、僕にはそんなお金がないし、それどころか、一文無し同然の男だよ。だから、君には何も贈ってあげることができないけれど、これだけは言える。生涯、僕は君に尽くすつもりだし、僕の愛は、僕が生きている限り、一生、君のものだと――。そう君に誓うよ。
1975年の主な出来事
アメリカ: | ウォーターゲート事件の裁判で判決が下る。 |
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日本: | 沖縄県の本土復帰を記念する沖縄国際海洋博覧会が開幕。 |
世界: | イギリス保守党がマーガレット・サッチャーを同党初の女性党首に選出。 |
1975年の主なヒット曲
Mandy/バリー・マニロウ
Fire/オハイオ・プレイヤーズ
Shining Star/アース・ウィンド&ファイアー
Fame/デイヴィッド・ボウイ
That’s The Way (I Like It)/KC&ザ・サンシャイン・バンド
Can’t Give You Anything (But My Love) のキーワード&フレーズ
(a) someone’s pockets are empty
(b) I can’t give you anything but my love
(c) promise someone the world
筆者が小学校高学年の頃、何とスタイリスティックスが八戸公会堂で来日公演を行った。今は亡き父に「ぜひ、コンサートを観に行きたいからチケットを買ってちょうだい」と懇願したところ、「子供のくせに夜に音楽会(←ホントにこう言った/苦笑)を観に行くとは何事だ! 絶対に許さん!」と一蹴されてしまった。当時、外人タレント(略して外タレ)が八戸市で来日公演を行うなんて全くと言っていいほどなかったため、筆者は千載一遇のチャンスが巡ってきたと狂喜乱舞し、頑固一徹の父にひざまずかんばかりに頼み込んだのだった。そして呆気なく玉砕。泣く泣くコンサートに行くのは諦め、仕方なくこの「Can’t Give You Anything (But My Love)」のシングル盤(今も大切に保存)を買って、毎日のように聴いていたものだ。彼らのコンサートを晴れて目にすることができたのは、それから約10年後の大学生時代のことである。場所は後楽園ホール。チケット代は、何と格安のたったの2500円(!)だった。信じられないほどの安値である。もちろん、この曲を彼らがパフォーマンスした際の観客の盛り上がりぶりは凄まじく、会場内が揺れんばかりであった。そして今でも、来日公演で最も盛り上がるのがこの曲なのである。
それほど難解な歌詞ではない。“僕にはお金はないけれど、愛だけはタップリある”ということが全体のテーマ。面白いと思ったのは、これがアフリカン・アメリカン特有の英語=エボニクスではなく、正規の英語で歌われている点だ。例えば、タイトル部分が歌われているコーラスをエボニクス風に書き換えると、以下のようになる。
♪I can’t give you nothing but my love.(二重否定による否定の強調)
ところがスタイリスティックスは、きちんと教科書英語通りにその部分を歌っているのだ。そのためか、小学生の筆者にも覚え易い歌詞だった。
(a)は直訳すると「ポケットの中身は空っぽ」だが、それだと誤訳になってしまう。“pocket”には「金入れ=財布」という意味もあるが、この場合は、「僕のポケットは空っぽだけど」とするよりも、「僕のふところは淋しいけれど」とした方が、日本語として詩的なのではないだろうか。いずれにしても、この曲の主人公である男性は、大金とは縁遠い暮らしをしているようだ。尚、(a)は今でも洋楽ナンバーの歌詞でたまに見掛ける表現である。
そして、タイトル部分が組み込まれたコーラス部分のフレーズ(b)。一見、学校英語で習う原形不定詞を用いた慣用的表現の“can’t (もしくは cannot) help but +原形不定詞=~せざるを得ない”の省略形(?)と勘違いしそうだが、それと(b)のフレーズのニュアンスは微妙に違う。試しに(b)を以下のように書き換えてみる。
♪I can’t give you anything but the only thing I can give you is my love.
端的に言えば、「(高級品や高額なアクセサリーなど)何も僕は君にプレゼントできないけれど、たったひとつだけ、君にあげられるものがある。それは僕の愛だ」ということ。例えば、タイトルを次のように解釈してもいい。
♪I can only give you my love.
「僕が君にあげられるのは愛だけ」――何と切ない男心だろうか。
“the world”には、「この世、世間、(~にとっての)すべて」という意味の他に、「安定、安泰」という意味もあり、それを意訳すると「安定した生活、贅沢な暮らし」となるだろうか。そしてふところの淋しい主人公の男性は、愛する女性に向かってこう言うのだ。「僕は君に、将来、贅沢な暮らしをさせてあげられないけれど、君に対する愛情と献身的な気持ちは誰にも負けない。僕は死ぬまで、君に尽くして、君を愛し抜くよ」と。
愛さえあればお金がなくても……というのは昔の話。大不況から抜け出せずにいる今の世の中では、この曲は空々しく聞こえてしまうかも知れないが、大金持ちでも自分の恋人や妻をないがしろにする男性と、収入が少なくても恋人や妻に献身的に尽くし、とことん愛してくれる男性と、貴女ならどちらを選びますか?