【発言者】瀬沼文彰
次に、「キャラかぶり」の問題についての回答をしてみます。まずは、同じ番組に同じキャラは複数いらないと言われるバラエティ番組を例に考えてみましょう。出演する芸人やタレントたちは、多種多様なエピソードを語り、それぞれに強烈なキャラがあるように思えます。しかし、見る角度を変えると、司会者はリーダーキャラ、ツッコミキャラで、まとめ役や話の進行をし、ひな壇の複数のタレントや芸人たちは、全員が、ボケキャラやいじられキャラだと考えることもできます。
キャラは、どのように見るかによって、かぶることもあれば、かぶっていないと考えることもできる性質がありそうです。とはいえ、司会者のキャラかぶりは、お互いに場を仕切ろうとすれば対立をまねく恐れがあります。だからこそ、大物司会者同士は、同一番組で共演を避ける傾向があるのかもしれません。
前回も述べたように、現代の若者たちの人間関係は、バラエティ番組に酷似しています。若者たちのグループは一見、対等に映りますが、まとめ役のリーダーキャラがいることが多いです。むろん、リーダーキャラは複数は不要です。複数いるとグループ内の対立の火種になりかねないからです。グループの他のメンバーは、広く見ればいじられキャラになりますが、バラエティ番組と同様に、いじる者・いじられる者は変化しますし、状況に応じて、それぞれの個別のキャラが活かされ、コミュニケーションを盛り上げることもあります。
若者たちは、皆で協力して、その場が盛り上がることに努めます。その方法は多様ですが、キャラの括り方、見る角度もその1つのはずです。そのため、彼/彼女たちにとっては、キャラかぶりは、状況によって容認したり、嫌がったりする問題だと考えられます。
では、若者たち自身は、キャラかぶりをどのように考えているのでしょうか。個性が重視される彼/彼女たちにとっては、キャラが友人と同じだということは嫌がられる考え方だと思われます。しかし、どのように異なっているのかはいまいち定かではありません。だとすれば、若者たちにとっては、キャラは、かぶっていないものと信じる程度のものなのかもしれません。あるいは、共感が主体の若者たちのコミュニケーションのなかで、キャラかぶりを嫌う傾向は、他者との「違い」の主張ととらえることもできそうです。キャラかぶりについては、観察者としてみるか、当事者としてみるかによって、もう一歩、深く問題に潜れるように思います。