漢字は、言うまでもなく、中国の文字、言い換えれば、外国の文字である。現代ならば、ローマ字に相当する。本来の日本語の文字ではないので、日本語の表現には、必ずしもふさわしくない場合も起きる。それを克服して、漢字を日本語の文字として最大限に使いこなしてきた。しかし、問題もある。その一つが、漢字には音および訓が存在することであろう。
音は、中国語としての発音を、日本語化したものである。さまざまな中国語音を日本語化すると、同音異義の語が増える。同じ事が、韓国語にも見られる。本来ある中国語のアクセントが、日本語化するために識別が困難になるのである。たとえば、キコウと発音する語が、『岩波国語辞典 第七版新版』に20語余もあげられている。おまけに、たとえば、「寄港」「寄航」、「帰港」「帰航」などのように意味のよく似た語もいくつも存在する。また、同じ「礼拝」という表記であっても、キリスト教などでは、レイハイと読み、仏教ではライハイと読む。「レイ」は、「礼」の比較的新しい時代に伝えられた、漢音といい、「ライ」は、かなり古い時代に伝えられた呉音と呼ばれるものである。
記録によると、日本における、仏教の公伝は538年とされ、朝鮮半島に当時存在していた百済の国王、聖明王により、日本の朝廷に伝えられたという。この時、仏像と経論とが日本にもたらされた。同時に大量の漢字がもたらされたことになる。経論がどのようなものであったかは別として、大量に漢字がもたらされた結果、中国から見れば大変な遅れであったが、日本でも文字による時代が始まることになる。漢字の発音を日本語化するとともに、個々の漢字について、その字義、語義に当たるものを定着させねばならないことになる。これが訓と呼ばれるものになる。
もちろん、日本における最古の漢字資料は、さらに古くまでさかのぼる。埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した、「稲荷山古墳鉄剣銘」は現存最古の漢字資料であり、471年のものとされる。字数は僅かではあるが、ここには、「獲加多支鹵大王」(ワカタケル大王)、「辛亥年七月中」といった文字が見られる。また熊本県の菊水町江田船山古墳出土の太刀の銘には、「獲□□□鹵大王」とある。実際にはこの二つの表記は同一であったのであろう。このワカタケル大王というのは、倭の武王、紀紀における雄略天皇に当たると推測されている。
また、日本最古の歴史書である、『古事記』『日本書紀』には、百済からさまざまな漢字資料たるものの伝来について記載がある。また『論語』『千字文』などの名も見える。これらについては、岩波新書中の、大島正二著『漢字伝来』などに説明がある。いずれにしても、漢字で記されている、種々の書物が中国から朝鮮半島を経て伝えられているのである。同時に、外国の文字である、漢字を用いて日本語を記す方法などが考案され、後には日本最古の和歌集である『万葉集』なども編纂される。
歴史書の表記は、漢文に準ずるものであるから、中国において行われたものに合わせて書くことができるが、和歌集となると、原則として、一字一音であるゆえ、漢字を用いて日本語の一音一音を写さなければならなかった。大変な苦労をしたことであろうと想像される。しかし中国人は、これよりも遙か以前に、古代インドの言語である、梵語(サンスクリット語)の発音を漢字を使って、表記した、「音訳」の経験を持つ。たとえば、広く知られている、仏像名などはその典型である。たとえば、「釈迦」「阿弥陀」「阿修羅」(サンスクリット語表記は略。)などである。従って、日本語の音を漢字で写すことも比較的容易であったろう。この時の漢字には、当時の中国語の発音が見られる。ここに記した事柄に関わる漢字の音は、古くから日本に伝わっていたと思われる、「呉音」と呼ばれるものである。この音は、中国の揚子江下流域地域の江南地方の発音と言われる。仏教伝来とともに朝鮮半島を経て、日本に伝えられた。
呉音のほか、漢音、唐音と呼ばれるものもある。漢音は、唐の時代の長安付近の発音といわれる。また、唐音は、宋時代以降、清の時代頃までに伝えられた中国語音の総称でもある。鎌倉時代に中国に留学した僧が日本に伝えたとも言う。宋音と言うこともある。なお、唐とは国名の唐でもあるが、日本人が広く中国を指す語としても用いた。「から」「もろこし」などとも言う。これらは、漢字とともに、古くから伝えられた中国語音の日本語化音である。
中国からの伝来の経路は、遣隋使・遣唐使による東シナ海経由があるが、島国である日本では、様々な経路により外国の文化・物産が伝えられた。台湾・沖縄(南西諸島)をへて鹿児島にいたる経路もある。ジャガイモ、サツマイモなどはその証である。
また、朝鮮半島から対馬海峡を渡り、北九州や山陰地方の海岸などにも到達したようである。