社会言語学者の雑記帳

3-1 社会言語学者になるまで(1)

2008年8月10日

これまでいきなり自己紹介もなしにディープなフィールドワーク話を書いてきてしまいました。ちょっと順序に問題アリですね<m(__)m>。そこで今回は、そもそも自分がどうして社会言語学者になってしまったのか、というオハナシをしてみましょう。

本気で言語学をやろうと思ったのはやはり大学の英文科時代、それも4年で卒論を書きだしてからと、かなり遅めです。英語には中学以来ずっと興味があり、また構造主義にも関心があったので、それとなく入門書は読んでおりました。しかーし! 第2外国語のドイツ語でC、そして英文科必修科目であった「英語史」でもCというあまりに悲惨な成績。将来の進路で相談に行った高校時代の恩師には、「言語学をやるなら少なくとも3か国語はできないと……」という厳しいおことばをいただく始末(´Д`)ハァ… 言語学は面白そう、でも将来それで喰っていくのは無理無理無理。ワタシはそう諦めておりました。

その頃「言語学史」という授業で、ワタシは構造主義の入門書で知っていた「プラーグ学派構造主義言語学」について発表することになり、うらうらと文献を調べておりました。ある日、そうした文献の一つである興津達朗著『言語学史』を読んでいたワタシは、突然自分の一生を変えた次のような一節に出会ったのでした。

「[プラーグ学派の言語変化論は] … 言語は、不断の変化、修正、合体、排除にもかかわらず、つねにひとつの音韻体系を維持しようとする調和的傾向を、それ自体の中に内蔵しているという考え方である」

(興津達朗, 『言語学史』 (太田朗(編)『英語学大系 第14巻』),
東京:大修館, 1976: 101)

えっ、嘘だろ? 言語変化にこんな法則性があるなんて? これって……ほんと?

ワタシはこの主張にいたく魂を揺さぶられ、これについて見極めたい、と思いました。こんな理論がすでに1920年代にあったなんて。うぅ、これは知りたい、いや、知ろう。そう、ワタシはまさにこの一節で人生を決めてしまったのです。怖いですねぇ。

調べていくにつれ、当時同じことを別なところで考えていた言語学者(Edward Sapir)がいたことがわかり、ならそれらを比較しよう、ということでとんとん拍子に卒論テーマが決定。舞い上がったワタシは英語の論文はおろかフランス語論文にまで手を出し、他の大学図書館にまで足を伸ばして資料を漁るに至りました。やっぱり怖いですねぇ。

卒論を書いているうちに分かったこと、その1。周囲にはあまりこのテーマについて詳しい人はいない。サピアに詳しい人、プラーグ学派に詳しい人はいる。でも、両者の言語変化理論を共に知っている人はいないみたい。その2。どうやら今こういうことをやるなら、Labov なる学者がやっている社会言語学がいいらしい。少なくとも最後に読んだ英語文献はそう言っていた。よし、ならこれで行こう。このオッサンのやっている社会言語学で言語変化を研究してみよう。

しかししかし。周りを見回しても「社会言語学」の看板を出している大学院は当時見当たりませんでした。またあったとしても、私が考えていたような社会言語学ではありませんでした。当時英語学で大学院に行くなら、生成文法か応用言語学か歴史言語学。うーん、困った。学部からやり直すことも考えて某大学の学士入学も試みましたが、サクラチル(´Д`)ハァ… で、結局当時通っていた大学の大学院に進学しました。

さてこの大学院が意外な展開。その1。生成文法万歳!なところだったので、社会言語学志望だったくせに生成文法を一生懸命学ぶことになった。その2。先輩から誘われて、突然ですが沖縄に敬語調査に行くことになった\(~o~)/ その3。ちょっと上の先輩がLabovのところで勉強していた ヮ(゚д゚)ォ!

当時は正直生成文法をシャカリキに学ばねばならなかったことを恨んでいました。おまけに周囲は生成文法ピープルが多数派であったので、たま~に喧嘩を吹っかけられることもあり、私としてはショボーンなところもアリ。さらに授業ではほとんど社会言語学はなかったので、もっぱら論文を自分で探してきては読むばかり。でも、結局これが良かったのかもしれません。Labovのところで研究していた先輩と知り合いになったおかげで、日本では入手できなかったディープな論文が続々と入手できるようになり、私はそれらを次々と読んでいきました。今でもあの頃のようには論文を読んでいないと思います。誰もやっていないからこそ周囲を気にせず没頭できる。まさにそういう状況でした。

そして修士論文。沖縄で敬語調査をやっていたので、どうせなら沖縄で言語調査をして論文を書きたいと思っていました。調査の傍ら言語地図を見ると調査地点はちょうどハ行音が「ファ」である(らしい)地域。これは本土方言のハ行転呼現象を考える上でも興味深い方言であるし、言語変化を実際に観察することもできるだろうということで、これをテーマにすることに。一応英語専攻だったので、当然周囲の反応は「???」。それでも理解してくださった国語学の先生に指導をお願いして、いざ!フィールドワーク@沖縄へ。

自作の調査票を使った調査は面白く、地元の人々はとても親切。しかも睨んだ通りに「ファ」の音は「ハ」の音へと変化しつつある! 嬉々として毎日調査を進める私は、間もなく進路を沖縄方言から大きく変える大悲劇が起きようとは、夢にも思っていなかったのでした……。つづく。

筆者プロフィール

松田 謙次郎 ( まつだ・けんじろう)

神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

編集部から

「社会言語学者の雑記帳」は、「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」者・松田謙次郎先生から キワキワな話をたくさん盛り込んで、身のまわりの言語現象やそれをめぐるあんなことやこんなことを展開していただいております。