昭和32年2月22日、琉球政府は人名用漢字表を告示しました。この人名用漢字表は「𦁪」(糸へんに坴)を含む92字を収録していました。本土復帰前の沖縄では、「𦁪」を子供の名づけに使ってOKだったのです。
その9年前、昭和23年1月1日におこなわれた戸籍法改正は、しかし、沖縄にはその効力が及んでいませんでした。当時、沖縄はアメリカ軍の軍政下にあり、しかもほとんどの市町村で戸籍簿が滅失してしまっていたのです。本土では、子供の名づけに当用漢字しか認めないという漢字制限が始まっていたのですが、沖縄では戸籍制度そのものが崩壊しており、漢字制限どころではなかったのです。昭和26年5月25日に人名用漢字別表が内閣告示され、「綾」を含む92字が人名用漢字になりましたが、その効力も沖縄には及びませんでした。
昭和29年3月1日、琉球政府は戸籍整備法を施行し、失われた沖縄県戸籍の再製に乗り出しました。当時、琉球政府の公文書では、「沖縄県」も「昭和」も一切使用を許されていなかったのですが、再製された戸籍に限っては、本土と同じく元号表記を使用し、「沖縄県」を本籍地としたのです。沖縄にとって、本土と全く同じ形式の戸籍は、本土復帰への大きな一歩でした。
さらに琉球政府は、昭和32年1月1日、戸籍法を施行しました。その第46条には以下の条文がありました。
第四十六条 子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。 2 常用平易な文字の範囲は、規則で定める。
沖縄での出生届の漢字制限は、本土から9年遅れで始まったのです。しかし琉球政府は、当用漢字表すら告示していませんでした。アメリカとの関係を考えると、琉球政府にとって当用漢字表の告示は、まず不可能だったのです。それに代えて琉球政府は、7週間後の2月22日、人名用漢字表を告示しました。人名用漢字表は92字を収録していましたが、本土の人名用漢字別表とは微妙に違っていました。違いの一つは、「綾」の代わりに「𦁪」(糸へんに坴)が収録されていたことです。しかも、琉球政府の人名用漢字表の前文は以下のようになっていました。
「当用漢字表」(1952年告示第63号「文書作成規程」第5条)に掲げる漢字以外に人名に用いてさしつかえない漢字を次の表とおり定める。
実は、文書作成規程(昭和27年12月8日琉球政府告示)第5条には「漢字は、当用漢字表・同音訓表によらなければならない。」とあるだけで、当用漢字表そのものは掲載されていなかったのです。しかし、これが琉球政府としては精一杯でした。
昭和47年5月15日、沖縄は日本に復帰しました。同時に琉球政府の人名用漢字表は無効となり、本土の人名用漢字別表が適用されることになりました。「𦁪」(糸へんに坴)も子供の名づけに使えなくなり、本土と同じく「綾」が出生届に書いてOKとなったのです。