人名用漢字の新字旧字

第34回 「歩」と「步」

筆者:
2009年4月23日

新字の「歩」は常用漢字なので、子供の名づけに使うことができます。旧字の「」は人名用漢字なので、やはり、子供の名づけに使うことができます。つまり、新字の「歩」も旧字の「」も、どちらも出生届に書いてOK。でも、新字の方が旧字より画数が多いなんて、めずらしいですね。

昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表には、旧字の「」が収録されていました。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。教科書に用いる活字字体を整理すると同時に、一般社会で用いられる活字字体をも整理しようともくろんだのです。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。

活字字体整理案の目的は、当用漢字の部分字体の統一にありました。たとえば、「面」と同じ部分字体にするために、「回」を「」に、「高」を「髙」に整理することが提案されました。あるいは、「凍」と同じ部分字体にするために、「」を「錬」に、「」を「欄」に整理することが提案されました。同様に、「劣」や「省」と同じ部分字体にするために、「」を「歩」に整理することが提案されました。活字字体整理案は、部分字体の統一が主眼であって、画数の増減には、あまりこだわっていなかったのです。

報告を受けた国語審議会では、昭和22年12月から昭和23年5月にかけて、字体整理に関する主査委員会を組織しました。主査委員会では、むしろ、当用漢字の画数を減らす方向で議論が進みました。活字字体整理案で画数が増えてしまっていた「」や「髙」は、「回」や「高」に戻すことになったのです。ただし、「歩」は違いました。「歩」は「」に較べてデザインのバランスがいいことから、そのまま「歩」で行くことになったのです。昭和23年6月1日、主査委員会は国語審議会に当用漢字字体表を報告し、当用漢字字体表はそのまま国語審議会答申となりました。

この間、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「」が収録されていたので、「」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。ところが、昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表には、新字の「歩」が収録されていました。これに対し、法務府民事局は昭和24年6月29日、「」も「歩」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました。

その後、常用漢字表の時代になって、新字の「歩」は常用漢字になりましたが、一方、旧字の「」はそれまで子の名に使えてきた経緯を踏まえて、人名用漢字となりました。この結果、現在に至っても、新字の「歩」と旧字の「」の両方が、子供の名づけに使えるのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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