タイプライターに魅せられた男たち・第1回

クリストファー・レイサム・ショールズ(1)

筆者:
2011年8月25日
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タイプライターの父、ショールズ(Christopher Latham Sholes)は、1819年2月14日、ペンシルバニア州のムーアズバーグに生まれました。18歳の時に、兄のチャールズ(Charles Clark Sholes)を頼って、ウィスコンシン準州のグリーンベイに移り住み、兄のもとで新聞編集に携わりました。21歳になったショールズは、サウスポート(1850年4月ケノーシャ市に昇格)に移り住み、1840年6月16日にサウスポート・テレグラフ紙を創刊、みずから編集長となります。翌1841年2月4日に結婚、生涯に少なくとも11人の子をもうけました。29歳の時には、兄チャールズともどもウィスコンシン州議会議員に立候補し、見事当選、その後は新聞編集者と議員を兼任しています。

1853年10月、ショールズは、オシュコシュの新聞経営者デンスモア(James Densmore)と共に、奴隷制廃止・黒人参政権を軸とする政治色の強い新聞の発刊を計画しましたが、経済的理由で頓挫、代わりにショールズは、ケノーシャ・テレグラフ紙(1850年4月にサウスポート・テレグラフ紙が名称変更)の経営にデンスモアを招き入れました。実は、ケノーシャ・テレグラフ紙の経営も火の車だったのです。デンスモアは、ライバルのケノーシャ・トリビューン紙との合併を画策し、2紙は1855年1月にケノーシャ・トリビューン・アンド・テレグラフ紙となりました。しかし、ケノーシャ・トリビューン紙出身の編集者たちと、ショールズは反りが合わず、1857年4月にショールズは同紙を辞職、ミルウォーキーに移り住みました。

ショールズが発明に目覚めたのは、シンシナティから来たソレー(Samuel Willard Soulé)との出会いがきっかけでした。ソレーが自分の発明品『新聞に宛先を印字する機械』を、ミルウォーキー・ニュース紙に売り込みに行ったところ、同紙のゴッドフリー(George Godfrey)が、ソレーをショールズに引き合わせたのです。1860年10月のことでした。ショールズはソレーの発明品に惚れ込み、その権利を買い取ると同時に、ソレーと共に新たな発明に取りかかりました。

ところが、1860年11月にリンカーン(Abraham Lincoln)が大統領になると、ショールズの周辺は急にあわただしくなりました。奴隷制廃止論者の共和党員だったショールズは、ウィスコンシン州の要職をまかされるようになったのです。ポトマック戦線の視察官、ミルウォーキー郵便局長、ミルウォーキー港の収税官など、多忙な職務の中、ショールズの発明熱はますます高くなっていきました。

(クリストファー・レイサム・ショールズ(2)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。