歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第73回 Somebody To Love(1967/全米No.5)/ ジェファーソン・エアプレイン(1965-1972)

2013年3月13日
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●歌詞はこちら
//www.azlyrics.com/lyrics/jeffersonairplane/somebodytolove.html

曲のエピソード

アメリカ西海岸のサンフランシスコは、ヒッピーの聖地にも等しい土地である。ヒッピー文化に多大な影響を与えたファンク・バンドのスライ&ザ・ファミリー・ストーンが同地出身であることも、実に象徴的だ。筆者はそのことを、時代が欲した必然と考えている。ヒッピー文化が勃興した1960年代半ば、そして絶頂に達した1960年代後期、その文化に強烈な痕跡を残したグループがいた。それが、今回のターゲットであるジェファーソン・エアプレイン。彼らもまた、サンフランシスコ出身だ。グループ名の所有権の関係などもあり、その後、幾度かの改名――Jefferson Airplane→Jefferson Starship→Starship――を余儀なくされたが、基本的にグループの母体は同じである。もうひとつの必然は、ジェファーソン・エアプレインが、激動の1960年代を締め括るウッドストック(1969年8月15〜17日に開催)に出演したことだった。

彼らは、3日間の開催期間の2日目の最後にステージ上に登場したのだが、その時点で、とっくに夜が明けていた(つまり3日目のトップバッター)。リード・ヴォーカルのグレイス・スリック(Grace Slick/1939-)が、夥しい数の観衆に向かって“Good morning, people!”と叫んでいるのはそのため。洋楽アーティストが“動く”ところを目にする機会が滅多になかった筆者の幼少時代、同音楽祭の様子をフィルムに収めた映画『WOODSTOCK(邦題:ウッドストック/愛と平和の音楽の三日間)』(1970)は、まさに千載一遇の嬉しい贈り物だった。筆者は数年遅れで八戸市内の小さな映画館で同映画が上映された際、独りで観に行った記憶があるのだが、その時、この「Somebody To Love」のライヴ・ヴァージョンを初めて聴いた(観た)。夜明けと共に始まったパフォーマンスだったせいか、特に印象に残っている。

元ヒッピー in ヨーロッパの家人の話によれば、1970年代初期、神奈川県三浦市の三浦海岸では、夏になると決まって砂浜に設置されたスピーカーから、この曲が大音量で流れていたそうである。そしてビーチでは、この曲に合わせて踊る人々もいたらしい。前回の本連載で採り上げたリトル・エヴァ「The Loco-Motion」では、“若い世代の心を捉えたダンスの振り付けやステップが、一体どういった場所で大流行していたのか、知る由もない”と記したが、今回、「Somebody To Love」を採り上げると家人に教えたところ、おもむろに私物の2枚組CD『THE ESSENTIAL JEFFERSON AIRPLANE』(2005)を取り出して貸してくれた。そして、問わず語りに三浦海岸での思い出話になだれ込んだというわけ。青空の下、ビーチで聴く「Somebody To Love」――筆者には、どうしてもその光景が想像できない。というのも、この曲は、見当違いも甚だしい邦題「あなただけを」とはかけ離れた内容だからだ。個人的な見識を言えば、“青空”の清々しいイメージには全くもってそぐわない。ましてや、単純なラヴ・ソングと勘違いしてしまいそうな、今でも使われている邦題「あなただけを」は、誤訳の範疇を通り越して奇天烈邦題の部類に入る。なお、今現在、三浦海岸では、設置してあるスピーカーから大音量の音楽は流れていない(昨夏、家人と友人との3人で三浦海岸に出掛けた際にそのことを確認済み)。

実はこの曲は、ジェファーソン・エアプレインのオリジナルではない。ご存じの方も多いと思うが、グレイスが同グループに加入する前に籍を置いていた、アメリカのフォーク/ロック・バンド:ザ・グレイト・ソサエティ(The Great Society)のメンバーで、彼女の最初の夫の兄もしくは弟が書き下ろした曲である。ザ・グレイト・ソサエティ名義でもレコーディングされており、その際もリード・ヴォーカルがグレイスだったのだが、ジェファーソン・エアプレインのヴァージョンに較べてテンポが遅く、曲のアレンジもフォーク寄りで生ぬるい。ご興味のある方は、動画サイトなどで双方のヴァージョンの聴き較べをぜひ。

グレイスがジェファーソン・エアプレインに新加入した際、この曲と、やはり同グループによる、ヒッピー文化を象徴するヒット曲「White Rabbit」(1968/全米No.8/グレイスの作詞作曲によるこの曲も、ウッドストックでパフォーマンス)を引っ提げて(早い話が“持ち去って”)きたという。新グループ=ジェファーソン・エアプレインにグレイスが加入したことによって、「Somebody To Love」も「White Rabbit」も見事に蘇ったのだった。ちなみに、「White Rabbit」は“白い粉”(お判りですね?)の礼賛ソングである。

曲の要旨

この世に存在する真実も悦びも、何もかもが上辺だけのものだと判って不信感を募らせた時、側に愛する人がいればいいのにって思わない? 失意のどん底に沈んだままでいるぐらいなら、そういう相手を早いとこ見つけた方が身のためよ。朝が訪れて、周りに死体がゴロゴロ転がっているのを目の当たりにした時、この世にはあなたとあたしのふたりきり。そんな時、あなたの頭の中は反戦への強い思いで爆発しそうになるのよ。そういう時、誰かを愛したいと思わない? 愛する相手を心から欲しいと思わない? わけもなく悲しみに沈んでいるあなたは、止めどもなく涙を流すのね。そういう時になって、初めてあなたは孤立無援に陥っている自分の置かれた立場に気付くのよ。愛する相手が欲しいでしょ? そんな時は、愛する相手が必要なの。身も心も委ねられる相手を早く見つけた方がいいわ。

1967年の主な出来事

アメリカ: デトロイトを始めとする数都市で大規模な黒人暴動が発生。
日本: 「オールナイトニッポン」の放送が開始され、ラジオの深夜放送の人気番組に。
世界: Association of Southeast Asian Nations(ASEAN/東南アジア諸国連合)成立。

1967年の主なヒット曲

Ruby Tuesday/ローリング・ストーンズ
I Was Made To Love Her/スティーヴィー・ワンダー
Somethin’ Stupid/ナンシー・シナトラ&フランク・シナトラ
(Your Love Keeps Lifting Me) Higher And Higher/ジャッキー・ウィルソン
All You Need Is Love/ビートルズ

Somebody To Loveのキーワード&フレーズ

(a) somebody to love
(b) red
(c) treat someone like a guest

最初に、奇天烈邦題のことを説明したい。タイトル「Somebody To Love」を直訳すると「愛する対象となる誰か」だが、そこから「あなただけを」なる珍妙な邦題を考え出したセンスを疑う。邦題が酷似している、ソウルの女王ことアレサ・フランクリン(Aretha Franklin/1942-)の大ヒット曲「I Never Loved A Man (The Way I Love You)(邦題:貴方だけを愛して)」(1967/全米No.9)とはわけが違うのである。アレサのそれは、タイトルを見ても判るように、「私は今まであなたほど愛した人はいない」という意味。であるから、「貴方だけを愛して」という邦題も理に適っているのである。ところが、ジェファーソン・エアプレインの「あなただけを」は、誤訳と切って捨てることさえ憚られるほど奇妙奇天烈、支離滅裂なのだ。そもそも、歌詞に登場する“you”は、本連載第67回でも触れたように、“不特定代名詞”を指すのであって、目の前にいる特定のひとりの相手を指しているのではない。端的に言えば、メッセージ・ソングの一種だ。これがヒッピー文化勃興期に生まれたヒット曲であることに思いを馳せれば、すぐさまそのことに思い至るはずなのに、当時の日本の担当ディレクター氏は、恐らく原題を目にしただけで「あなただけを」という噴飯モノの邦題を付けてしまったのだろう。今からでも遅くはない。この赤面モノの邦題を、せめてカタカナ起こしに変えて欲しいと切に願う。

イントロとほぼ同時に、パワー全開で歌い出すグレイス。一度耳にしたら、決して忘れられない曲のひとつだ。翻って、ザ・グレイト・ソサエティによるオリジナル・ヴァージョンは、如何にも凡庸である。“イントロと同時に歌い出す”という意表を突くヴォーカル・アレンジは、オリジナル・ヴァージョンには施されていない。ために、原曲の良さを全く活かしきっていないと感じる。グレイスがジェファーソン・エアプレインに新加入する際、「この曲をどうにかして世に出したい」という思いに駆られたことにも得心が行く。そして最も耳に残るフレーズは、やはりタイトル(a)を含むコーラス部分だろう。“somebody to +動詞”という言い回しは洋楽ナンバーの歌詞に無数に登場し、様々な言い方ができる。例えば――

♪somebody to talk to(会話ができる誰か=話し相手)
♪somebody to depend on(頼れる誰か=頼れる相手)
♪somebody to call my own(自分だけのものと呼べる誰か=独占できる友人もしくは恋人)

…といった具合に。(a)は、1967年当時の社会状況に心身共に疲れ果てた不特定多数の人々(その対象は間違いなくヒッピーだろう)に向かって発信されたメッセージなのである。よって、くり返すが、決して「あなただけを」愛する内容のラヴ・ソングではない。

この曲の歌詞で最もヒッピー文化を象徴している箇所が(b)を含むフレーズ。歌詞サイトによっては、(b)が全て大文字の“RED”になっている場合も…。勘のいい人ならすぐにピンと来るだろうが、ここは文字通り「赤」、即ち「過激派(過激派的思想)」、「左翼派(左翼的思想)」のこと。その前に「バラ色の夜明けが訪れると、周りに死体が転がっている」という物騒なフレーズがあるため、ここは、「左翼的思想=反戦」だと推測できる。思い出して欲しい、ヒッピーたちが掲げていたスローガンを。“LOVE & PEACE”――そしてウッドストックのキャッチ・コピ―もそれに相通ずるものがあり、“3 DAYS of PEACE & MUSIC”だった(それが映画の邦題の副題にそのまま反映されている)。それらに共通する“PEACE”が指しているものは、時代背景を鑑みた場合、“平和(を希求する気持ち)=反ヴェトナム戦争”に外ならない。

ヒッピー同士なら同じ気持ちを分かち合うこともできようが、一般社会から見れば“異端”だった彼らは、どこかで必ずや(c)のような扱いを受けたことだろう。(c)の主語“they”は“your friends”の代名詞として用いられており、「(ある日突然)それまで友だちだと思ってた人々があなた(注:ここの“you”も不特定多数の人々を指す)をゲストのように扱う」ようになり、「あなたは涙が止まらない」と歌われている。解り易い日本語に訳すなら、「友だちだと思ってた人々が(あなたの振る舞いや思想を知って)急に他人行儀になる」といったところか。ここのフレーズから浮かび上がってくるのは、当時、ヒッピーの多くが、赤狩りの巻き添えを食っては自分が損だと思った友人から冷たくされたという事実。ちなみに、元ヒッピーの家人は、当時、日本での友人がほぼ皆無だったそうだ(苦笑)。そして今でも、年に一度の年賀状のやり取りとは言え、“ヒッピー仲間”とのつかず離れずの付き合いが続いている。あれから、もう40年以上も経っているのに!

曲のエピソードにも記したが、ジェファーソン・エアプレインは幾度となく改名している。改名してからもヒット曲を放っているが、最も売れたのは、シンプルに“スターシップ”を名乗っていた頃で、同グループ名義の全米No.1ヒットが3曲――1985年「We Built This City」、1986年「Sara」(本連載の第70回で採り上げたフリートウッド・マックの楽曲とは同名異曲)、1987年「Nothing’s Gonna Stop Us Now」――もある。近年のインタヴューで、当時のそうした“ポップス寄りの”大ヒット曲について訊ねられたグレイスは、「勘弁してよ!」といわんばかりに、自嘲気味に次のように語っていた。曰く「そりゃ、ああいう曲を歌えって言われたら歌えるわよ。でもねえ、歌詞がどうもその……まあ、歌いづらかったというか。何しろ内容がバカバカし過ぎて!(Because it’s such a whole shit!)」と一刀両断していた。彼女のその言葉を聞いて、筆者が快哉を叫んだのは言うまでもない。だからこそ、ありったけの思いを込めてこの曲を歌い上げた彼女に対して、「あなただけを」という甘っちょろい邦題は大変に失礼だと思うのだ。

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。