日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第34回 首のカクッについて

筆者:
2013年5月12日

「さまざまなしぐさの,どんなところに,どんなキャラクタっぽさが感じられるのか?」を調べる実験では,さまざまなしぐさは,何者とも判断のつかない人物におこなってもらうのが(現実には叶わないにせよ)理想である。たとえばヒゲモジャのおっさんがいくら『乙女』っぽいしぐさをしたところで,それを見せられた被験者が『乙女』と判断できるかどうかは疑問だから,という話は前回述べた。卒業論文がまだ書けていなかった学生のKさんにこの話をしたところ,人間,切羽詰まるとおそろしいもので,アッという間に「人物の身体をできるだけ隠した」動画が幾つも作成されてしまった。「人間の身体をできるだけ隠した」とはどういうことか? こういうことである。例を3つ,次に挙げておく。


動画1


動画2


動画3

これらの動画では,帽子・サングラス・白衣で身を隠した同じ一人の人物が,「ドアを開けて部屋に入り,持っていたかばんを傍らに置いて椅子に座り,卓上のお茶を飲んで(飲むフリをして)部屋から出る」という一連の動作を,指定されたキャラクタ(『老人』『子ども』『男』『女』『善良な⼈』『ずるがしこそうな⼈』のいずれか)でおこなっている。

しかし,これらの動画を見れば,この人物が若い男性であることは,誰でもすぐわかってしまうだろう。つまりこれらの動画には「帽子・サングラス・白衣という道具は,この人物の身体をどれだけ隠しおおせたと言えるのか?」という大きな問題がある。他にも「『子ども』がサングラスに白衣とは,かえって違和感を生むのではないか?」など,さまざまな問題をこれらの動画ははらんでいる。だが,このような動画を被験者に呈示し,それが何者かを判断させてみるという実験を,Kさんはさっさとやってしまった。

何という蛮勇! だが,こういう蛮勇は私は決して嫌いではない。やっちまったものは仕方がないではないか。そう思って動画を見直すと,この動画の人物の或る不思議な挙動が目に留まった。

動画1でも動画2でも,この人物は,飲み干した茶碗を卓上に戻してから正面に向き直る僅かの間に,首をカクッと,左側に傾けてすぐ戻している。このカクッは動画3には現れていないので,この人が与えられた指示を誤解して「ここで首をカクッとしなければ」と思ってカクッとやっているというわけではなさそうだ。また,「ボクって昔から,前傾姿勢から正面に向き直ろうとすると,なぜか首がカクッとなってしまうんです」といったわけでもなさそうだ。

しかし,動画によって現れたり現れなかったりするからといって,この首のカクッがキャラクタの演じ分け(動画1は『子ども』,動画2は『善良な人』,動画3は『ずるがしこそうな人』)と関係するのかというと,そうでもなさそうである。

というのは,前後の動作と切り離して,特にこの首カクッだけについて周囲の学生たちの印象を確かめてみると,皆,口をそろえて「男,それもどちらかというと若い男のやること」と言うからである。そのうち一人の男子学生は,さらに踏み込んで「これはあんまり品はよくないです」とも言っていた。その学生自身がこれをやるところを私は何度か見ていたので何とも返事のしようがなかったが,たしかに女性が首のカクッをやるのは見覚えがない。

首のカクッは,前傾姿勢から正面に向き直る時,首が凝っている人に「よく出るクセ」なのかもしれない。だが,これが特定の人物像,それも首が凝りそうな働き盛りの『年輩』ではなく『若い男』に結びつくといったことは,どう考えればいいのだろう。頭部を体の中心線から勢いよくブレさせるのが「品」に欠けるということなのか,どうなのか。

といったことを考えるにつけても,改めてしみじみ思い返されるのは,かつての私のネーミングのまずさである。たとえば「男はニタリとほくそ笑んだ」と言えば,笑っている男は『悪党』と相場は決まっているように,言葉が動作(笑い)だけでなく動作の主(笑い手)の人物像をも暗に表す場合に関して,その人物像を,私は昔の拙論「ことばと発話キャラクタ」(『文学』第7巻第6号(岩波書店,2006年)所収)の中で浅はかにも「動作キャラクタ」と呼んでしまった。その後,「これはいかにもややこしく,読者の誤解を招く!」と悟ってこの連載本編(第47回)で「表現キャラクタ」と呼び改め,以後は「表現キャラクタ」で通しているが,「動作キャラクタ」という用語をもし使うなら,それは何よりも,我々のさまざまな動作挙動姿勢(たとえば首のカクッ)と結びつく人物像(『若い男』か)を指す用語として使うべきだった。発話とはもちろん,この動作挙動姿勢の一つである。「動作キャラクタ」とは,「発話キャラクタ」(話し手の人物像)を内包する,より上位の人物像を指す用語であるべきだった。この点,読者に混乱していただかぬよう,改めて注意を喚起しておきたい。

ということで,「発話キャラクタ」,そしてそれ以外の「動作キャラクタ」を長く論じてきたが,そろそろ「表現キャラクタ」についても述べてみよう。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。