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地域語の経済と社会 第346回 ちょっとお休み

2016年 1月 30日 土曜日 筆者: 田中 宣廣

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第346回 ちょっとお休み

 皆さんにお知らせです。この連載は今回を含めて5回の第350回までで少しお休みを戴くこととなりました。それで今回のテーマは「お休み」です。地域の中の『休憩』に関する方言拡張活用を2例取り上げます。

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【写真1】九戸村「んだ…なす」(クリックで全体を表示)
【写真1】九戸村「んだ…なす」

 まず,岩手県九戸村(くのへむら)伊保内(いぼない)地区の,飲食店兼フリー休憩スペース「お休み処 んだ…なす」〔(お休み処)そうです(ね)〕です【写真1】。この地区を代表する方言による方言ネーミングです。前半の「んだ」は,東北弁によくある「そうだ」の意の方言です。後半の「なす」は,岩手県で文末に用いられて丁寧の意を表す方言です。元は「―なもし」だと言われています。岩手県内では,この変異形が実に豊富で,それだけで岩手県内のどの場所か分かるほどです。九戸村など内陸部では「―ナス」が多く聞かれます。沿岸部の宮古市では中心部で「―ナス」,市の南端の津軽石地区では「―ネース」,その隣の山田町では「―ナース」です。この3地点は南北約30kmの範囲に位置しています。文末のことばを聞いて出身地が分かります。「―ナムシ」(山田町船越地区や洋野町中野地区など)と元の形に近い語形が残っているところもあります。[注]

 この例では,使われている方言の意味より,地元の方言であること,それ自体に重要な意味があることが分かります。方言が地域の人々を集める力の大きさがよく理解できます。このお店は個人営業の飲食店です。お客の中心は地域の皆さんです。時間帯によっては地元の岩手県立伊保内高校の生徒さんで席が埋まります。そういう高校生のなかには,進学や就職により村を離れる人もいます。でも,自分を育ててくれたふるさとを,方言を軸に一生忘れないでいてほしいものです。

【写真2】宮古市「おやすめんせ」(クリックで全体を表示)
【写真2】宮古市「おやすめんせ」

 もう一つは,岩手県宮古市の自動車用品販売店の駐車場にある休憩~喫煙スペース「おやすめんせ」〔休憩してください〕です【写真2】。語構成は,この連載の第1回「岩手の酒っこ ひゃっこぐしておあげんせ」で紹介した方言ネーミングのお酒「岩手の酒っこ ひゃっこくして おあげんせ」の「おあげんせ」,また,商店街のいすの方言メッセージ「おすわれんせ」と同じです。江戸時代に近畿地方で優勢だった敬語法[お+(動詞連用形)+ある]に,東北地方の方言で丁寧の意を表す「―す」の命令形「―せ」が付いた構成です。「おやすめんせ」のもとは「お+休み+ある+せ」です。この店舗は全国チェーンの支店ですが,お客は地域の人なので,地域の方言で親しみやすさを考えているものです。

 今回の2例,お店に種々相違点があるものの,心と体を休めるためには,方言のなかでも優しく語りかけることばが適切だとの共通点を見出すことができます。読者の皆さん,この連載のお休みの間も,そういう方言の役割や力について考えていただけると幸いです。

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[注解]「―なもし」が元の方言の敬語は日本全体にあります。橘正一(昭和初期の岩手の方言研究者)が「ナモシの分布」(1930年『方言』五2)で整理しています。

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『魅せる方言 地域語の底力』『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』田中宣廣(たなか・のぶひろ)
 岩手県立大学 宮古短期大学部 図書館長 経営情報学科長 教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『魅せる方言 地域語の底力』(共著,三省堂)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。2008年から長きにわたって、方言研究の第一線でご活躍中の先生方からリレー連載をしていただいておりました。350回にて休載となります。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

2016年 1月 30日