今週のことわざ

君子(くんし)は庖厨(ほうちゅう)を遠(とお)ざく

2008年2月25日

出典

孟子(もうし)・梁恵王(りょうけいおう)・上

意味

男子たる者は台所に入り込んで、料理・家事のような女子のする仕事に口を出すべきではない、という意味で使われることが多い。「庖厨(ほうちゅう)」は、台所・炊事場のこと。現在、日本では右のような意味に用いられているが、本来の用法とはかなり異なっている。本来は、君子は生あるものを哀れむ気持ちが強いから、生き物を殺す料理場に近づくことは、とうてい忍び得ないという意味である。「君子は庖厨を遠ざかる」という読み方もある。ここでは一般に出典とされている『孟子(もうし)』による。

原文

曰、無傷也。是乃仁術也。見牛未羊也。君子之於禽獣也、見其生、不其死。聞其声、不其肉。是以君子遠庖厨也。
〔曰(いわ)く、傷むこと無(なか)れ。これ及(すなわ)ち仁術なり。牛を見るも未(いま)だ羊を見ざればなり。君子の禽獣(きんじゅう)に於(お)けるや、その生を見てはその死を見るに忍びず。その声を聞きては、その肉を食らうに忍びず。是(ここ)を以(もっ)て君子は庖厨(ほうちゅう)を遠ざくるなり、と。〕

訳文

(斉(せい)の宣王(せんおう)は、祭りの犠牲(いけにえ)にする牛が哀れで見ていられないので、代わりに羊を使うことにした。人民は、王がけちなので、小さな羊にするのだと悪口を言った。王はそのことを残念に思い、孟子(もうし)に尋ねた。孟子は、王が真に生き物を哀れむなら、牛も羊も哀れなことには区別がないはずだと言った。王がそれを肯定すると、孟子は次のように)言った。「王はご心配なさるに及びません。犠牲になる獣を哀れむ心こそ仁への道筋です。今までは牛の哀れなようすは目に留められましたが、羊には目を留められなかったからです。君子が禽獣(きんじゅう)に対するとき、生きているのを見ると、その死ぬのを見るのは堪えられないものです。その死ぬときの声を聞いては、とうていその肉を食べる気にはなれません。ですから、君子は生き物を殺す料理場には近寄らないものです。」

解説

「忍びざるの心」は、『孟子(もうし)』の仁という道徳の基本である。この「忍びざるの心(=哀れなものをじっと見ていられない心)」を拡大すれば仁になる。これを「惻隠(そくいん)の心(こころ)」といい、『孟子(もうし)』の性善説の基本となっている。

類句

◆惻隠(そくいん)の心(こころ)

筆者プロフィール

三省堂辞書編集部