出典
史記(しき)・蘇秦(そしん)列伝
意味
強い勢力のあるものにつき従うより、たとえ小さくても独立したものの頭(かしら)となれということ。「鶏口」は、鶏のくち、頭(あたま)のこと。「牛後」は、牛の尻(しり)。一説に、「後」は「后(=尻の穴とする字源説がある)」に通じるので、肛門(こうもん)ともいう。
原文
以二有レ尽之地一、而逆二無レ已之求一。此所謂市レ怨結レ禍者也。不レ戦而地已削矣。臣聞、鄙諺曰、寧為二鶏口一、無レ為二牛後一。
〔尽くる有るの地を以(もっ)て、已(や)む無きの求めを逆(むか)う。これ所謂(いわゆる)、怨(うら)みを市(か)い禍(わざわ)いを結ぶ者なり。戦わずして地已(すで)に削られん。臣聞く、鄙諺(ひげん)に曰(いわ)く、寧(むし)ろ鶏口(けいこう)と為(な)るとも牛後として為る無(なか)れ、と。〕
訳文
(戦国(せんごく)時代、蘇秦(そしん)は各国をまわって、それぞれの国が同盟すべきだという政策を説いた。韓(かん)の国へ行き、宣恵王(せんけいおう)に、韓は強国で、王は賢者なのだから、西の強国秦(しん)に屈従していてはならない。秦は韓に対して、年々土地の割譲を要求するだろうと説いて、さらにこう言った。)「限りのある国土で、飽くなき秦の要求に応じていれば、民の恨みを買い、災いの種となることになります。戦わないうちにすでに秦に土地を削り取られてしまうでしょう。聞くところによれば、世間の言い伝えに、『鶏の口になっても、牛の尻(しり)にはなるな』と言います。(いつまでも秦に従属していては、牛の尻になっているのと同じで、残念ではありませんか。」そこで韓は趙(ちょう)など六国(りっこく)と同盟し、合従(がっしょう)の策に従った。のちに蘇秦は同盟の長になった。)
解説
合従(がっしょう)は連衡(れんこう)と対比して用いる。秦(しん)に対して、縦(たて)(=従)に六国(りっこく)が同盟して対抗する政策を合縦(がっしょう)(=合従)といい、秦と和を結ぶやり方を、横(よこ)(=衡)に連盟するという意味で連横(れんこう)(=連衡)といった。
類句
◆鶏口(けいこう)牛後(ぎゅうご)◆寧(むし)ろ鶏口(けいこう)となるとも牛後(ぎゅうご)となるなかれ