出典
晋書(しんじょ)・車胤(しゃいん)伝―蒙求(もうぎゅう)・注
意味
学問に専心すること。特に、貧困に耐えて学問に励むこと。現在では、教育を受けることを指すことも多い。
原文
〈晋書(しんじょ)〉
胤挙勤不レ倦、博学多通。家貧不二常得一レ油。夏月則練囊盛二数十蛍火一、以照レ書、以レ夜継レ日焉。
〔胤(いん)、挙勤にして倦(う)まず、博学多通なり。家貧しく常には油を得ず。夏月(かげつ)になれば則(すなわ)ち練囊(れんのう)に数十の蛍火を盛(も)り、以(もっ)て書を照らし、夜(よ)を以て日に継ぐ。〕
訳文
晋の車胤(しゃいん)は、慎み深く勤勉で、学問に倦(う)むことがなく、あらゆる文献に広く通じていた。家は貧しく、灯油をいつもは買い求められなかった。夏になると練り絹の袋に蛍を数十匹入れて、その明かりで書物を照らし、昼夜兼行で勉強した。
原文
〈蒙求(もうぎゅう)〉
孫氏世録曰、康、家貧無レ油。常映レ雪読レ書。少小清介、交遊不レ雑。後至二御史大夫一。
〔孫氏(そんし)世録(せいろく)に曰(いわ)く、康(こう)、家貧しくして油無し。常に雪に映(て)らして書を読む。少小にして清介、交遊雑ならず。後に御史(ぎょし)大夫(たいふ)に至る。〕
訳文
『孫氏(そんし)世録(せいろく)』にはこう書いてある。(晋(しん)の)孫康(そんこう)は家が貧乏で、灯油がなかった。いつも雪明かりに照らして読書した。若いときから清廉潔白で、つきあう友もよい人を選んでいた。のちに御史(ぎょし)大夫(たいふ)(=検察長官)となった。
解説
車胤(しゃいん)と孫康(そんこう)を苦学力行の人として並称しているのは、唐(とう)の李翰(りかん)の童児用教訓書『蒙求(もうぎゅう)』である。それには、「孫康映ジレ雪ニ、車胤聚(あつ)ムレ蛍ヲ」という句で出てくる。車胤も、のちに吏部尚書(りぶしょうしょ)(=人事院総裁)になった。
類句
◆壁(かべ)を穿(うが)ちて、書(しょ)を読(よ)む◇蛍安(けいあん)◇蛍雪(けいせつ)◇蛍窓雪案(けいそうせつあん)