「百學連環」講義は、まさにそのタイトルに冠された言葉である「百學連環」の由来とその意味を説くことから始まりました。それは、同書の表記に従えば、Ενκυκλιος παιδειαという古典ギリシア語に由来するEncyclopediaという英語を、漢語に訳した言葉だったわけです。今回は、この言葉の意味について、もう少し詳しく検討しておくことにしましょう。なにしろ、講義の総タイトルでもありますから疎かにできません。
予め申しあげると、今回はギリシア文字が頻出します。この文字に馴染みのない方も、文字の姿形を眺めるつもりでお読みいただければ幸いです。かつて西先生たちが、初めてギリシア文字に接したとき、どのような思いが心中に去来したかを空想しつつ。
まず、改めて「百學連環」の語源となっている古典ギリシア語に注目してみましょう。それはこんな言葉でした。
Ενκυκλιος παιδεια
これを仮に「エンキュクリオス・パイデイア」と音読することにしましょう。
さて、語の冒頭にご注目ください。「Ενκυκλιος」となっています。これは英語風のローマ字に写せば「Enkuklios」となるところでしょうか。先ほど、カタカナとして「エンキュクリオス」と音写してみたことと合わせると、合点がいくかもしれません。
しかし、古典ギリシア語として見た場合、「おや?」と思う点があります。「Ενκυκλιος」という言葉は、いくつかの辞書で見てみると「Εγκυκλιος」と出ています。比較しやすいように二つを並べてみます。
Ενκυκλιος(「百學連環」甲本)
Εγκυκλιος(辞書の表記)
この二つの言葉をよく見比べてみましょう。すると、冒頭から二つ目の文字が違っていることが分かります。「百學連環」では「ν(ニュー)」ですが、辞書では「γ(ガンマ)」になっています。この「γ」という文字は、ローマ字表記では「g」に写される文字ですので、先ほどのようにこれをもしそのままローマ字に転写すると「Egkuklios」となって、それこそ変な気がするかもしれません。
実は、古典ギリシア語ではκの前のγは「ン」と読むという規則があります。ですから、実際には「Εγκυκλιος」と書いて、「エンキュクリオス」と読むわけです。「Ενκυκλιος」という書き方は、いわば「エンキュクリオス」という音を、そのまま素直に文字に写した表記と言えるでしょう。
この表記を、「百學連環」の二つのヴァージョン「甲本」と「乙本」で比べてみると、さらに面白いことが分かります。ここでは基本的に「甲本」を見ているのですが、その甲本に手を入れたと推測される「乙本」では、このエンキュクリオスという語の綴りが次のように変化しているのです。
Εγκυλοςπαιδεια
いかがでしょうか。どこに違いがあったでしょう。再び比較のために並べてみます。じっくり見比べてみましょう。
Ενκυκλιος παιδεια(甲本)
Εγκυλοςπαιδεια(乙本)
そう、「甲本」では「Εν」と始まっている語頭が、「乙本」では「Εγ」に改められています。さらに、語頭から五文字目も違う綴りです。「甲本」が「エンキュクリオス」だとすれば、「乙本」は「エンキュロス」となっています。
また、「甲本」では、「Ενκυκλιος」と「παιδεια」という二つの語が並べられていて、間にスペースが置かれています。でも、「乙本」では、この二つの語はつなげて書かれています。ついでながら、さらにややこしいことを申せば、上記は活字に起こされたものです。永見裕が「乙本」の筆写した文書を見ると、「Εγκυλος」で改行して次の行頭に「παιδεια」が続いています。
もし「乙本」(活字版)のように、二つの語を続けて書くのであれば、「Εγκυλοσπαιδεια」と綴りたくなるところでもあります。というのも、「乙本」の前半は「Εγκυλος」と綴られていますが、ここに見える「ς(シグマ)」という文字は、「σ(シグマ)」という文字が語末に置かれる場合の形です。後ろにすぐ「παιδεια」と別の文字が続くのであれば、「σ」と記したくなります。
さらに混乱に拍車をかける材料があります。実は「全集」第4巻に収められた西周自身の手による「百學連環覚書」という手帖(全集では手書きそのままに掲載してあります)を見ると、西先生はこう書いているのです。
Εγκυκλοςπαιδεια
これまた、「甲本」とも「乙本」とも微妙に違う形です。
Ενκυκλιος παιδεια(甲本)
Εγκυλοςπαιδεια(乙本)
Εγκυκλοςπαιδεια(覚書)
「覚書」の綴りは、語頭が「Εγ」と始まる点で「乙本」と同じです。しかし「κυ」の後ろに来る文字は、「甲本」とも「乙本」とも違います。その異同については、詳しく述べないでおきますので、ぜひじっくりと見比べてみてください。
頭がこんがらがってきました。なんだか重箱の隅をつつくような話でもあります。しかし、どの綴りが正しくて、どれが間違えているといった話をしたいわけではありません(それはそれとして大事なことではありますが)。この表記の揺らぎから、140年前に行われた講義の痕跡のようなものが垣間見えるような気がして興味深いのです。ライヴ感とでも言いましょうか。どういうことか、次回お話しすることにしましょう。