正月になった。この時期に接触する、つまり私たちが目にする頻度が急激に高まるのが、「寿」という字であろう。「ことぶき」「ジュ」など、その読みは熟語や場面、さらに人によっても様々だろうが、めでたい意味には変わりがない。
年賀状、お飾り、商店の貼り紙などで見かける「寿」には、「壽」という旧字体も目にするであろう。「壽」の草書体に基づく新しい「寿」よりも、「壽」という旧字体の方に、より伝統を感じる、という向きも多いようだ。「昔の人は難しい字をよく知っていた」、などといわれるが、覚えるためには「士(さむらい)のフエは一吋(いちインチ)」などと、字を形でバラバラにした、日本独特の方法が流布していた。ヤード・ポンド法の「吋」が、別の字を覚えるための要素になっていたこと自体が隔世の感がある。
正月料理にも「壽」の字は見受けられる(*1)。和菓子のような赤い料理に白字で書かれたものや、料理の上にプラスチック製の「壽」という字が刺さっていることもある。それをヒョイと取り除いて、綺麗な料理を食べるのが小さいころからの習慣だった。
この「寿」と「壽」のほかに、中間部分の「工」の辺りが「中」のようになった異体字「」も結構使われている。これは、筆運びを自然にし、字画を省き、形も整えるために生まれたもので、聖徳太子が書いたともいわれる「法華義疏」にも記されていた。これは正しくないと思われがちだが、「壽」も実は篆書体とは相当かけ離れた字体である。「百寿図」のたぐいが作られるほど、バリエーションの多い字であった。
この「寿」は、「ひさ-し」(ひさしい)という訓の中でも、特に「命(寿命)が長い」という意味を持つため、1字で「いのちなが-し」と読まれることがある。孔子のことばの、「仁者は寿(いのちなが)し」など漢文訓読の際だけでなく、俳句を詠む時などでも一般性を帯びた訓読みである。しかし、「いのちながし」という訓は、漢和辞典には収められていないことが多い。この「いのちながし」は、『大言海』などは立項していたが『日本国語大辞典』には見出しとして立てられていないなど、国語辞典にも単語として収められることが稀なようで、和語としては1語といえるのかどうか、微妙なところである。
和語の1単語と、漢字の1字というそれぞれの単位が一致しないことは、むろん稀ではない。ただ、漢字1字に対して和語が2語以上となると、「ことほぐ」(寿ぐ:言祝ぐ)、「こころよい」(快い:心良い)のように、通常はそれを1単語と認定するようになる。そうでない場合は、意味を説明するフレーズとなる。「」で「くちのくろいうま」(口の黒い馬)のように。「いのちながし」は、そういう例に入らない稀少例の一つといえる。
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