前回に続いて文章と道の関係が論じられます。読んでみましょう。
Literature たるものは道、卽ち學術に大に關係するものなれは、箇條ニ依て人を撰はさるへからす。古來漢に於ては詩文章に就て人を枚擧せり。後宋の時代に至り其議論も起れりと雖も、尚ホ文事に依て人撰なすに至れり。
(「百學連環」第26段落第7~9文)
Literatureの左側には「文章」という言葉が添えられています。訳してみます。
「文章(Literature)」というものは、道、つまり学術と大変関係が深いものだ。だから、書き並べたものによって人を選ぶべきだということになる。古来中国では、詩と文章について人を数え上げている。宋の後期になって、このことについて議論が持ち上がったものの、それでも文事によって人を選ぶことになった。
ここでも欧文脈と漢文脈が交差していますね。英語と漢語をつきあわせるところから、日本語の意味を生じさせるという一種のアクロバットが演じられているといってもよいでしょう。つくづく現代にまで至る「日本語」の不可思議さ――英語と漢語のあわいにあって、日本語はどこにあるのか――を感じさせる議論です。
前回読んだ箇所に続いて「文章」と「道」の関係が説かれているわけですが、ここで西先生の脳裏では、周濂溪(1017-1073)が『通書』文辞に記した「文所以載道也」、つまり「文は道を載せる所以なり」や、『朱子語類』に見える「道者文之根本。文者道之枝葉」、つまり「道は文の根本なり。文は道の枝葉なり」といった文章論が連想されていたかもしれません。
私は、三浦國雄氏の『「朱子語類」抄』(講談社学術文庫、2008)に周濂溪や朱子の文章論を教えられて、上記のような文章を「百学連環」の隣に並べてみようと思ったのでした。同書によれば、朱子は『通書解』において、「文所以載道也」とそれに続く文をこう説いているといいます。西先生の議論を理解するための補助線になりそうなので、引いてみます。
「文とは道を載せるものだ。ちょうど車が物を載せるように。だから車をつくる人は必らず輪や轅を装飾し、文をつくる人は必らず言葉を立派にする。すべて人々が愛好して使ってほしいと願ってのことである。しかし自分が装飾しても人が使ってくれなければ、あだな飾りであって何の役にも立たない。まして物を載せない車、道を載せない文に至ってはいうまでもない。美しく飾り立ててもいったい何になるというのか。」
(『通書解』訳文、三浦國雄『「朱子語類」抄』、講談社学術文庫、p.518)
文を車に譬えていますね。文という車をこしらえて、それに道という物を載せて進んでゆくという次第。文(車)がなければ道(物)を運んで進むことはできない。この譬えを借りると、文と道の密接な関係が腑に落ちます。また、いま読んでいる「百学連環」の議論には直接関係しませんが、車(文)をいくら美しくしても、物(道)を載せないのでは詮無いという指摘も面白いところ。
実は、こう書いてきてはたと思い至ったことがあります。
西先生が筆でしたためた講義メモの「百學連環覺書」には、前回と今回のくだりに関係ある書き付けが見えます。二行あるうちの一方は、前回読んだ「文者貫道之器也」なのですが、その「貫道」の下に四つの文字が並べられているのです。
私は不勉強でこれがよく読み取れずにいたのですが、『「朱子語類」抄』を読み、まさに三段落上の文章を書いているうちに、「あ!」と思って「百學連環覺書」の該当箇所を見直しました。
そう、直前までどう読めばいいのか見て取れなかった文字が、「載道程カ」(最後の「カ」はおそらくカタカナの「カ」)と見えるではありませんか。それ以上のことは記されていないため、推測の範囲を出ませんが、「貫道」の意味を「載道」という程の意味か、と読み替えているのだろうと思われます。
偶然といえば偶然なのですが、別の方面から掘り進めたトンネルが、思わぬところで通じたようなうれしさを感じた次第です。本来ならこんな経緯はお示しせず、結果的に分かったことを記せばよかりそうなものですが、テキストを精読してゆく過程をお見せするこの連載では、そうした試行錯誤の痕跡も表にしてみたいと考えてのことでありました。