「百学連環」を読む

第100回 「陰表」を天文学で譬えると

筆者:
2013年3月15日

2011年4月8日に始めたこの連載も、そろそろ丸2年になろうかというところで、第100回を迎えました。これもひとえにみなさまのおかげです。

ご案内のように本連載は、普通に読み流せば1時間もかからず目を通し終わる、たった27ページほどの文章を、できるだけ丁寧に、ゆっくり読もうという目論見であります。

このような連載に場所を与えてくださっている三省堂やスタッフのみなさんに、改めて感謝申し上げたいと思います。また、ここまでお読みいただいている読者のみなさんにも篤く御礼申し上げます。どうもありがとうございます。

いえ、だからどうしたというわけではないのですが、なにしろ「百学連環」という具合に、100という数字にゆかりがあるものですから、ご挨拶申し上げようと思った次第です。

さて、それでは続けて参りましょう。前回は、真理を知る二つの道として、positive result と negative result という言葉が現れました。西先生は、例によって具体例で補足します。

譬へは天文學に於て銀河の傍に■の如き、星にもあらす、世界にもあらす、細かなる霧斑と云ふあり。こは恒星の如き用を助くるものにあらされは、是を知る卽ち陰表なり。

(「百學連環」第41段落第2文~第3文)

 

一旦ここで区切りましょう。■には、下のような図が描かれています。訳してみます。

例えば、天文学では、銀河のそばに■のようなものがある。星でもなければ世界でもなく、細かい霧斑である。これは、恒星のようになにかの役に立つものではない。つまり、このようなもの〔役に立たないものについて〕知ることが、「消極(negative)」ということである。

ご覧のように、具体例として天文学が取り上げられています。率直に申せば、このくだりを読んで、よく分からないことが二つありました。一つは、「世界」という言葉の意味です。もう一つは「霧斑」です。順番にもう少し詳しく述べてみます。

まず「世界」から。ここでは宇宙観察で見られる或る対象(霧斑)が論じられています。言葉だけでは足りないと思ったのでしょう。西先生は、図を示したようです。この図は、筆先で点を打って描かれているのではないかと思います。宇宙を見ると、なにかは分からないけれど、銀河の近くに点々としたものが見えるというわけです。

では、これはなにか。「銀河の傍に」というのですから、銀河ではないのでしょう。それから「星にもあらす」ですが、これもひとまずはよいですね。なにを言っているのかは分かります。問題は次です。西先生は「世界にもあらす」と言うのです。単に私の言葉の使い方(経験)にないというだけなのですが、いったい先生がなにを言わんとしているのか、分かりかねました。

もちろん「世界」という言葉の意味は分かります。人が住んでいる場所、宇宙、地球など、いろいろな意味で使われてきた言葉です。ただ、ここでの文脈に照らすと、「宇宙」ではないでしょう。また、西先生は「地球」という言葉も別の場所で使っていますから、Earth のことでもないと思われます。

こういう場合、この言葉を西先生が、他にどんなふうに使っているかを見てみるとよいかもしれません。そこで、「百学連環」講義では、「世界」という言葉がどのように使われているのか、確認してみます。ここでヒントになりそうなのは、「百学連環」本編に見える次のようなくだりです。

有疆は無疆の中にありとは、譬へは家は國の中にあり、國は世界の中にあり、世界は地球の中にあり、地球は宇宙の中にありと知るか如く、都て限りあるものは疆りなき中にあるものなり。

(「百学連環 第二編上」、『西周全集』第四巻、154頁)

 

宇宙から家までが入れ子のようになっている様子が描かれています。ちょっと図式的に書き直すとこうなります。大なり記号は、左にあるものが、その右にあるものを含む、という意味で使っています。

宇宙 > 地球 > 世界 > 国 > 家

この中に「世界」という言葉が見えますが、置かれている位置を見る限りでは、私たちが普段使っている意味と同様に捉えてよいでしょう。

もう一つ例を挙げると、第74回から第75回にかけて読んだくだりに、博物館などのことを「凡そ世界中ありとあらゆる物を集めて」「世界中古今の貨幣を集め置けり」「世界中ある限り鳥獸草木を集め置き」と説明していました。これも、上記と同じような用法です。

もし「世界」という言葉を、このように読んでよいとしたら、「星にもあらす、世界にもあらす」とは、素直にそのまま受け取ればよいのかもしれません。つまり、「星ではないし、〔そうした星のなかにある〕世界でもない」というふうに。

ただ、そうはいっても一抹の違和感は残ります。なぜだろうと考えてみると、やはりここでは宇宙を見上げたときに目に入る天文現象の話をしているからです。ですから、「銀河」や「星」や「太陽」といったものが並ぶのであればすんなり読めるのですが、そこにひょっこり「世界」という言葉が現れると、ちょっとびっくりしてしまいます。一種のカテゴリー・ミステイク、つまり分類基準が異なるものを同じ分類に属するものとして並べているような感じがするのですね。

そこで、もう一つの解釈の可能性としては、「世界」という言葉をもっと抽象的に捉えられるかもしれません。例えば、「世界」を仏教用語として見た場合、「世」は時間を、「界」は空間を指しています。その先で、どんなものを想定するかは別にして、なにかしらの時空間を構成する場や環境のようなものを「世界」と呼ぶわけです。

しかし、我ながらこう考えてみて思ったのですが、もし西先生が「世界」をこのような意味で使うとしたら、いつものように別の譬えや言い換えで補足するとも思われます。

こんな具合で、この文脈において「世界」という言葉がどういう意味で用いられているのか、分からずにいるのでした。

最後にもう一つ可能性があるとすれば、当時の天文学(星学)の用語に「世界」という言葉があったとも考えてみました。

すっきりせず申し訳ありませんが、「世界」の意味は分からないまま、次回はもう一つの不明点である「霧斑」について検討してみたいと思います

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
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