戸籍には、役人(戸籍係)による、楷書ですらない筆跡も残っており、はなはだしくは毛筆の先から墨が垂れて「・」(丶)が加わってこの字体となったという話も複数聞く。届け人の個性がにじみ出たものもある。1枚の戸籍でも、同一人物が欄によって、あるいは親子の間で、名字の字体が異なるというものさえも生じた。よく語られる字体へのこだわりには、後付けのものがけっこう多い。明治初期に起こったこうした些細なできごとは、一般に記録も残されず、伝承もされなかったようだ。そこにも画数が運勢を動かす特別な力を発揮するという大正期から広まった信仰が関わり始めている。
官報にも、その神経質ともいえる区別が再現されている。
前回扱ったワタナベ姓は、そもそも何件あるのだろうか。そういう実態を知りたいと願う様々な人々が名簿や電話帳などを駆使して推計を出している。人生を費やした男性もいたという。そうした成果によれば、ワタナベ氏は日本のベストテンの第5位に入っているそうだ。こういうことは、アメリカや中国、韓国などのように、国が集計して発表すれば良いのだろうが、日本にはそういうものを社会や文化を知るための情報として考える風土が育たないままに、個人情報というものを拡大解釈してしまい、今や技術的にも予算的にもさほど問題はないはずだが、統計を出すことさえ敬遠する傾向が生じた。
日本では姓名が何通りあるのかという全体像も、いくら民間の努力があってもサンプリング調査では見えない。誤字・略字を解消しよとする電子化戸籍と、総務省の住民基本台帳との字体上の不整合も、一部で目に付く。悉皆調査があってはじめて漢字コードの検討も可能だったはずであり、そうしていれば自身の姓が、字体レベルではなく字種レベルであっても、コンピューターで打てないというあちこちで起こった悲劇も回避できたように思われる。
字体レベルの話に戻ろう。「齋(斎)藤」「齊(斉)藤」の1字目には、異体字が目立ち、種々の公私のリストには数十種は確認できる。それ以上に存在している。ある近しい齊藤家の歴代の戸籍をご厚意で見せていただいたことがあった。すると、手書きの時代には、当人たちも意識しないうちに、字体が役所内で変転を重ねていたことが分かった。
結婚式の席次表は、前に述べたとおり、とても気をつかって姓名のフォーマルな字体が再現される。「齋」だけでなく、次のような字体が出現している。「崎」「吉」が出てこなかったのが不思議なくらいで、後は現実の縮図とも言える。
「絋」という字体も見られたが、年齢から見て、「紘」だったのかもしれない。後者の字を用いた学生は、よく間違って書かれると言っていた。無理もない、よく知っている「広」という字から類推が働くためだ。
披露宴会場をもつ都内の大手ホテルでは、部屋の名前がゴシック体で、「蓬莢」と表示されていた。恐らく「蓬萊」を入力しようとしたときに、「蓬莱」しか候補に出なかった。そこで懸命に探して、「人人」が含まれたものを見つけた、という書字(打字)の過程が浮かんでくる。田舎の旅館(第99回 山梨)とはまた異なる字体の現れ方ではないか。
引き出物には、「壽」の異体字、「御」の異体字が、ともに筆写字形だけに辞書に載りにくい字体が印刷されている。とくに、前者は正月以外で、これほど目にする機会はなく、珍しい。披露宴の出欠の返事に用いられるハガキでも、欠席などの字を「寿」を上から書いて消すという、少しくどくも感じられかねない手法が日本で今でも行われることがある。これも、通常の辞書に載ったことはなさそうだが、日本人が編み出し、一部で喜ばれてきた文字の運用法といえるであろう。そこでは、簡易な字体の「寿」が好まれているようだ。