激しい雨だった。これから高知に出発する。大きな傘は移動の邪魔になる。黒のはき慣れた革靴は、さすがに穴はまだ空いていないが、すぐに浸水する。足下を見ればその人が分かる、という人がテレビに出ていたが、私などはどうなってしまうのだろう。
いきなりは濡れないように、奮発してタクシーを停める。こういう時には、たいてい向こうの車線を通り過ぎる。やっと拾えたタクシーで運転士の名などを書いた紙には、おや、国字交じりの「纐纈」さんとあり、さい先が良い。「こうけつさん」ですか、と聞くと、
「よく読めましたね、お知り合いに?」
「まあ…… 愛知か岐阜ですか?」
「そう、最近はテレビによくこの名字の人が出る。地震研究者にもいる」
とのこと。高知に行くんだというと、「モミジがきれいらしいですね」と。モミジものどかでいいけれど、もっと見たいものがある。
羽田は便利だ。そして1時間ちょっとのフライトで着いてしまう。10月下旬だが、さすが南国土佐だ、東京よりも少し温かい。
降り立ったのは、高知龍馬空港。もはや正式名称のように表示されている。
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の余韻は、放送期間終了から1年近く経ってもさめやらぬ様子だ。奈良に行ったときには、10年以上前の放映になおも頼る店があることに学生が驚いていた。「龍馬伝」幕末志士社中入場引換券が、帰宅後にバッグから出てきた。寄っておけば、思わぬ収穫もあったかもしれない。
街じゅうが龍馬だらけだ。
龍馬会館
これは分かる。メニューやのぼりなどで見かけた下の例は、どういうものだったのだろう。
龍馬珈琲
龍馬弁当
「龍馬歴史館」の看板のロゴに出てくる「龍」は、筆字風で右下の二本を続け字にしたように見える。「龍馬ふるさと博」の筆字風のロゴも、そこがはっきりしなかった。そもそもこの部分は狭いのでしかたないか。「」という字体は、都内でもよく見かける共通誤字ともいえそうな字体であるが、やはりここでも見受けられる。土産物にさえ、「」ではっきりと印刷された手書きのロゴがあった。
地元でも、こういう字体があるのかといったんは驚いたが、無意識な誤字体は、本場でも生じる。新潟でだって「潟」の「臼」を1画多く書く例もあれば、鹿児島でだって「鹿」の横線を多く書く例だって見つかる。出現頻度や割合に差がありそうだということである。地元でよく使われる字の接触頻度や使用頻度の違いによる使用字体の地域差はどのくらいあるのか、もしかしたらそれほどないのかどうか、いずれじっくりと調べてみたい。
「龍」の右下の「三」が「テ」のようになっている字体()も、あちらこちらでよく使われている。この字を書き慣れただけあって、古い形が伝承されている面があるようだ。
店名や人名には龍馬以外でも「龍」の使用が目立つが、実際に使用頻度や割合が高いのか、調べてみたい衝動に駆られる。「龍河洞」「龍河温泉」などは、たまたま重なっただけだろうか。「一」(第80回参照)も、土佐の出身だった。
「龍馬伝」による龍馬人気をこの地が逃すはずはなく、観光素材として推さないはずがない。先に触れたとおり放送期間が過ぎても、地元に熱は残っている。そうした余波も現実の文字生活とかかわる実勢であり、その時でないとなかなか観察できない一回性を伴っており、時空の制約の中で、こうして観察できる偶然の機会に感謝しなくてはと思う。
竜馬不動産
この坂本龍馬(龍・良馬)自身は書かなかったといわれる字体による「竜馬」は、ほかに日本酒の銘柄などにあったが、高知では圧倒的に少なかった。
そういえば、中国もベトナムも龍を好んでいる。韓国も、世宗がハングルを創製してまず編まれたのが「龍飛御天歌」であった。龍馬の母も瑞夢をもとにその名を付けたものだったそうだが、王権の象徴、治水の神などとして龍を、官民挙げて崇め、好む東アジアの中で、日本での独自の展開がそこここに垣間見える気がした。