浜松町と羽田空港を繋ぐ東京モノレールは便利で、継ぎ目がない線路(?)でスーーッと移動していく。あたかも安全なジェットコースターのようだ。ネット上では、わざわざ「モルーノレ」と、「モノレール」の字をバラバラにして表記する人たちもいる。
駅名には、「天空橋」、命名のセンスに感心する。「昭和島」、この車体もかつては明るい未来に向けて輝いていたに違いない。「大井競馬場前」では、馬が眼下にゆっくりと歩く。
座席から、いつも目に入るのは車内の端にある「自重24.5瓲」の掲示である。
対向車にも、同じ「瓲」が見えた。車両によってはこれがないようで、下車後、写真を改めて撮ろうと近寄った先頭車両には貼られていなかったようだ。
この「瓲」という字は、日本人が作った漢字、つまり国字だ。作られてからまだ100年に満たないようだ。当用漢字表によって否定されてからも、根強くあちこちで消されずに使われている。モノレールに乗るたびに、まだあるか、と確かめてみている。
私たちは、日々、日常の生活を送っている。たとえば食生活はその一部をなしている。言語生活も同様であり、その中で文字生活というものが主要な一角をなしている。ときに文字は、ことに日本では言語を超えた運用も見られるが(例:読み不明の熟語、絵文字:お茶どーぞ旦~)、おおむねその中に収まっている。
文字生活には、一人ずつ独自の個性がある。一人として自分と同じ文字生活を送る人はいない。全く同じ本を読み、全て同じテレビを視るといった行為は、家族、双子であっても考えがたい。文字生活には個々人が偏りをもっているのだ。
ことに私の文字生活は、大いに偏っているものと自覚している。各種レベルの文字をメタレベルで扱うことが多いので、一般の趨勢を内省によって考えようとする際にはあまり参考にならない。暮らしぶりは意外にも、(優雅とはほど遠い)江分利満氏的であったとしても、この部分では、明らかに平均的ではありえない。しかし、誰も知らないような古典の文字を、いつも穿鑿しているわけではない。一般の人々が触れる可能性のある文字について、客体視の俎上に乗せて観察・考察に腐心し、記述しようと努めることがある。
羽田が世界の玄関だった頃、海外への希望を乗せて光り輝く車体の内側に、この字はあり続けたのだろう。この字は、私にとって懐かしい字だ。昭和40年代末ころ、小学生のときにトラックの車体にも、このような国字が記されていた記憶が微かにある。集団登校のときに、停車中の荷物を積んだトラックの車体後ろの下部に、たしかこの、当時謎の文字が記されていた。
それが中央気象台が作りだした一群の国字から派生した末裔であることを知るのは、だいぶ後になってからのことである。謎の解明まで、相当の時間を要した。「瓦」がガランマ・グラムの音訳の一字目として選ばれ、それを応用して「瓩」などを生み出す。明治期に中央気象台がスペースの節約を目指して創造した苦心作だ。「粁」「竏」、「粍」「竓」なども同種で、音義が効果的に利用され、きわめて体系的にできている。ただ、システマチックすぎて、使用の需要の乏しいものまで辞書に載り続けている。
小金井にある江戸東京たてもの園に展示されていた、古い自動車の車体にも、やはりその字が記されてあったのだ。子供は小さいせいか、振っても関心も示さない。それはそうだろう。
「t」のほか、音訳漢字の「屯」は、まだ一部の機械工業の業界では健在だそうだ。横書きの書類では「t」に変わってきた、と教えてくれた方もいた。大学生たちには、実地ではなく、漢字検定の勉強の中で覚えたという人がいる。
メートル法のトンとは異なる単位としてのトンには、それを表す「噸」が作られているのだが、それが中国製か日本製か、判断が難しい。清朝後期の資料と、江戸時代末の資料とで、ほぼ同じ頃に登場するためだ。それぞれで生み出されたという可能性さえもある。あるいは中国で、「磅」(ポンド)という音訳や「碼」(ヤード)という訳の字がこれに先だって生じており、それを踏まえ、音声に対する純粋な形声であることや音訳であることを表す「口偏」とあいまって、生み出されたものと考えられる。「呎」「吋」「哩」なども、早く出生国の秘密を明らかにして、現状の辞書類でのレッテル貼りの混乱を解決したいと願っている一群の字だ。