土電では「ごめん」と、車体の上部の行き先表示に大きめに出ている。何かで見ていたものだったが、地元で見れば違和感は少ない。「後免」方面だ。
土電の路線図には、ゴシック体で「小篭通」もあった。「籠」は凸版印刷での使用頻度などに従って、常用漢字表に2010年にこの複雑な字体のまま入ったのだが、この字を地名などで頻用する地域では、新潟を初め、各地で「篭」とよく書かれている。それでも、常用漢字表は「篭」には戻らないのではなかろうか。しかし、各地も「籠」を手書きで常用するとは思えない。
略字の使用は地名に限らない。「箋」の「」という拡張新字体を見かけた。筆字風で、土産物の便箋の表紙に、やはりあった。常用漢字表改定以前から、便箋や処方箋などで見かける字体だった。戦前には漢字政策の案に登場していたが、なかなか意識には残りにくいものだ。「戔」は「浅」などはあっても縦に冠などが来る類例があまりないせいだろうか。
時間が余ったので、高知駅周辺も歩いてみた。「新本町」は簡単な字で、意味もよくわかる。しかし、どう読むのか、初見では厳しい。
シンホンチョウ
シンホンまち
あらもとチョウ
あらもとまち
ほかにも、「にいもとチョウ」などもありえなくはない。「しんほんまち」とふりがなが添えられていた。やはり間違えそうだ。
お城は遠くからでも見えた。名所旧跡の類には展示物や説明書に面白いものがあるには違いない。だいぶ前だが、小田原城内でもいろいろと見つけた。江戸時代の日本での「囍」の使用まで記録できた記憶がある。が、そうした観光地にあるものは、大勢の眼に触れるからには誰かが記録したりどこかにアップしたりして報告される可能性がある。
東京の空気が実は合わないのか、しょっちゅう喉が赤く腫れて痛くなる。都内で生まれ育ち、勤め続けているのに、困ったことだ。学生たちがタバコを吸うのもよくない。喉さえ強ければ、もっと仕事ができるが、これも黄信号として捉えた方がよいのかもしれない。こういう地に来ると、喉の調子が良い。雑事を忘れ、ストレスから解放されるためということもあるのだろうか。
高知大学のそばを歩いていて、「咥内」という地名を見つけた。「咥」が作字の跡も生々しい看板もあった。「こうない」と読むのは、「かむ」や「くわえる」の訓からであろうか。
また、「廿代町」には「Nijudai Machi」とローマ字で読みが示してあった。夜中に通ったときには暗くて気付かなかった。「にじゅう」と読むのか。この「にじゅう」は語の発生からは音読みといえるが、字の読みとしては訓読みとなる。しかしさらに合字だと見れば音読みといえてしまう。「ネン」などが本来の音読みだったはずだから、これは慣用音ともいえよう。中国では古代は二音節だったのだろうか。用語のラベル貼りは、座標軸を決めてしまわないとできない。漢語起源の訓読みは、「図書館」の合字などでも見られるが、語としてはやはり字音語と区分される。
ディーゼル列車に乗る。
「襟野乃」?
「襟野々」駅の機械設備の金属の箱に、ナール体のような書体で、一瞬こう書かれていたように見えた。帰りに確認するチャンスがあったが、速度が意外に落ちず、油断して見逃してしまった。一期一会とはいわないが、WEBにもさすがにこういう写真は載っていないようで、無念が残る。そういえば、福島の「橲原」(じさはら・など)の道路脇に埋められた石の字も、車内から一瞬しか見えず、気に掛かったままだ。
「須崎方面」、車内放送では「すさき」。濁らないのか。さすが西日本という例か。さらに南西へと降りる。