アナウンサーの大木優紀さんが司馬遼太郎の小説に出会ったのは、中学生のころでした。友だちに、初期の作品『燃えよ剣』(1964年)を紹介されて読んでみたそうです。
〈土方〔歳三〕が沖田総司と話す場面で、司馬さんが「男」を「漢」と書いてあって、この「漢」の字にしびれましたね。〉(『週刊朝日』2006.9.29 p.107)
「漢」という文字が、いかにも力強い感じを与えたのでしょう。原文に当たってみると、たしかに、土方と病床の沖田との会話に出てきます。〈新選組はこの先、どうなるのでしょう〉と尋ねる沖田に対し、土方が次のように答えます。
〈「どうなる、とは漢(おとこ)の思案ではない。婦女子のいうことだ。おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ」〉(新潮文庫 下巻47刷 p.75)
なかなかマッチョ(男性的)なせりふです。「漢」の字は、「熱血漢」「硬骨漢」のように、大人のおとこの意味で使われ、ときに力強さを感じさせます。「痴漢」「酔漢」などもありますが、これも大人のおとこです。一方、「男」は、「男児」「男声」「男優」などと使われますが、これらの場合は、単に性別のおとこを示しています。
「漢」を「おとこ」と読ませる例は昔からありますが、力強い・頼もしいなどの属性を強調して使うようになったのは、比較的最近でしょう。笹原宏之氏は〈近年では「漢」と書いて「おとこ」と読ませる例が流行(はや)っているようで、そこには熱血漢のニュアンスが強く打ち出されている。〉(『訓読みのはなし』光文社新書p.211)と述べています。
「漢=おとこ」が定着したことは、次のように読み仮名なしで使われている例のあることからも分かります。
〈当時、ムネオ〔鈴木宗男〕の〔選挙〕応援を買って出た“漢”は松山千春とポール〔牧〕、そして私〔高須基仁〕の3人しかいなかった。〉(『週刊朝日』2006.12.29 p.141)
ここは「かん」ではなく、「おとこ」と読ませているのでしょう。
『三省堂国語辞典 第六版』では、このような例から、「漢=おとこ」を現代の表記であると認めました。これまで、「おとこ」の項目の4番目に、〈からだや気持ちが強い、〔略〕男らしいとされる性質を特に強く持った人。〉という意味が記されていましたが、ここに新しく[▽漢]の表示を加えたのです。