推理小説の女王アガサ・クリスリティーは、メアリ・ウェストマコットの名でふつうの小説も書いています。その一編『春にして君を離れ』を読んでいると、次のくだりがありました。主人公の主婦ジョーンが、友人の夫に忠告しようとした、という記述です。
〈せめてもあまり頻繁に酒場に足踏みしないようになさったら、とジョーンは思わず口に出しかけて思いとどまった。〉(クリスリティー、中村妙子訳『春にして君を離れ』ハヤカワ文庫 1973年初版 p.128)
「足踏みする」といえば、ふつうは「進まないで、その場で足を踏む」という意味です。ところが、ここでは「足を踏み入れる」という意味で使われています。入店しないのではなく、進んで入店するのです。この意味は、従来の『三省堂国語辞典』には載っていませんでした。また、分厚い辞書を含む多くの辞書にも載っていません。では、滅びた言い方かというと、1973年の翻訳で使われているのですから、そうとも言い切れません。
これと同時期か、またはやや古いと思われる例を、偶然、また翻訳で目にしました。
〈家主であるかれは、その後もとの家へは、ついぞ足踏みしたことがない。〉(ラフカディオ・ハーン、平井呈一訳『心』岩波文庫 1977年改版p.120。1964年の翻訳に基づく)
この言い方は、多くの人にとっては国語の教科書でおなじみだったと気づきました。芥川龍之介「羅生門」の冒頭部分にこうあります。
〈誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。〉(『羅生門・鼻』新潮文庫1985年改版 p.8。発表は1915年)
私が確認したかぎりでは、この意味の「足踏み」は、1960年代・70年代になっても使われています。『三国』の取り扱う現代語の範囲に入っているといえるでしょう。かくして、今回の第六版の「足踏み」には、以下の意味が加わりました。
〈3 足をふみ入れること。「酒場に―する」〉
「酒場に……」は、クリスティーの翻訳の例を踏まえたものです。ただ、否定形を肯定形に直してしまったのは反省しています。肯定形の例もありますが、「足踏みしない」と否定形になる例のほうが圧倒的に多いのです。そのことを例文で示すべきでした。