ゴールデン・ウィークが過ぎた5月のある日、大学のラウンジでひとりの学生がノートを広げています。おや、何かうまくいっていないようですね。そこにフランス語の先生が通りかかりました。
学生:あぁ、また間違えてしまった。おっと、ここも間違えてる……。うーん、なんだか微妙だなぁ。
先生:ずいぶん苦戦しているようだけど、どうしたんだい?
学生:あっ、先生こんにちは。今度のフランス語の検定試験を受けようと思って勉強しているのですが、どうも集中できなくて、細かなミスが多いんですよ……。最近は授業にも身が入らないし、ぼんやりしている時間が増えている気がします。
先生:世にいう「五月病」というやつかな。5月の連休明けになると、何となく気分が優れないことがあるよね。
学生:そうなんですよ。ゴールデン・ウィークが明けてしまうと、次は7月まで祝日がありませんしね。無性に祝日が恋しくなります。
先生:祝日といえば、今年の5月18日(木)はフランスの「昇天祭」の日になっているね。この日は休日だから、金曜日に有休をとれば、木曜日から日曜日の4日間を連休にすることができるんだ。
学生:えっ、フランスは5月18日が祝日なんですか!? それは羨ましい……。ますます祝日が恋しくなります。
先生:「5月18日が祝日」というのは、厳密には正しくない。昇天祭は「移動祝日」といって、復活祭(3月末〜4月末)の日曜日から数えて5週目の木曜日、すなわち復活祭から40日後にあたる日が祝日になるから、同じく移動祝日である復活祭に応じて毎年日程が変化するんだよ。
学生:移動祝日? 復活祭? なんだか耳慣れない用語がいろいろと出てきて、ちょっと頭が混乱してきました…… どういうことなんでしょうか?
先生:それなら今日は、フランスの祝祭日について少し勉強してみようか。どういった祝祭日が、どういった理由で設けられているのかを知っておくことは、フランスの人々の生活や文化を理解することにも繋がるしね。
学生:はい、ぜひよろしくお願いします。
【元日】le jour de l’an(1月1日)
先生:わかりやすく、時系列に沿って説明していくことにしよう。1年のうち、フランスで最初にめぐってくる祝祭日は、何かわかるかな?
学生:日本と同じく「元日」でしょうか?
先生:正解。フランス語では元日を « Le jour de l’an » と言うんだけど、これは « Le premier jour de l’an» の略なんだ[注1]。「1年」を意味する « an » は、ラテン語の annus に由来するよ。元日のフランスでは、みんなが « Bonne année! »(新年あけましておめでとう!)と口にして新しい年の幕開けを喜ぶんだけど、休日扱いなのは元日のみなんだ。日本みたいな初詣の文化もないし、三が日も存在しない。1月2日には、あっさりと普段通りの生活に戻るんだよ。
学生:日本だと、お正月の時期といえばおおいに賑わいますが、フランスはそうでもないのですね。
先生:元々キリスト教国であるフランスでは、お正月よりもクリスマスの時期の方が賑わっているよ。そうそう、キリスト教といえば、フランスにおける祝祭日はキリスト教の行事に関わるものが比較的多いんだ。元日の次の祝祭日も、「公現祭」というキリスト教関連のものだしね。
【公現祭】Épiphanie(1月6日)
学生:公現祭って何ですか? 初めて聞きました。
先生:公現祭は、1月6日にめぐってくるキリスト教の祭日だよ[注2]。現世に降誕したイエスを礼拝するために、東方からベツレヘムへとやってきた3人の博士の前にイエスが「顕現(けんげん)」したことを祝福しているんだ[注3]。「顕現」というのは、「イエスが人の形をとって現れたこと」を意味する用語だね。フランス語では公現祭を « épiphanie » と言うんだけど、これはギリシャ語で「顕現、出現」を意味する epiphania に由来するよ[注4]。ラテン語でも epiphania だね。
学生:その話は聞いたことがあります。3人の博士は「マギ」と呼ばれていて、それぞれの名前は確か「メルキオール、バルタザール、カスパー」っていうんですよね。
先生:「マギ」magi というのは、ラテン語で「博士、賢者」を意味する magus の複数形で、ギリシャ語の「マゴス」magos の複数形「マゴイ」magoi に由来している。フランス語の « magie »[注5]、英語の « magic »[注6]も同様だよ。ちなみに、君が挙げた3人の博士の名前は6世紀ごろに付与されたもので、聖書に具体的に書かれている固有名詞ではないから、使う時には注意が必要だね。
学生:わかりました、気をつけます。
先生:あと、この3人の博士について、フランス語では「三賢王」les rois mages と表現されるんだ。現代のフランスでは、公現祭の日に「王様たちのお菓子」を意味する「ガレット・デ・ロワ」galette des rois という円形のパイを食べる習慣があるんだけど、ここでいう王様たちとは、3人の博士のことを指すといわれているよ。
学生:ガレット・デ・ロワは知っています、先輩たちと一緒に食べたことがあるので。des rois というのは、てっきり歴代のフランス国王のことかと思っていたのですが、全く違うのですね(笑)。たしかガレットの中には、小さな人形が入っているんですよね。切り分けた際、その人形が入っている部分を食べ当てた人が、紙でできた王冠をかぶっていた気がします。
先生:陶製の小さな人形「フェーヴ」fève が入っているね。フランス語で « fève » は「そら豆」という意味で、かつては人形ではなく、そら豆がガレットの中に入っていたんだ[注7]。そら豆は独特な形状が胎児を連想させることから受胎や恩恵の象徴となっていて、元々はイエスを表すものとしてガレットの中に入れられていたらしい[注8]。ところが、18世紀にこの行為が神への冒涜であると批判されたことから、そら豆の代わりに陶製の人形が入れられるようになったんだ。今では人形に限らず、魚とか、動物とか、王冠などといった様々な形のフェーヴがあって、これをコツコツ集めている人もいるんだよ。僕の家にも、何個か飾ってあるしね。
学生:先輩たちと何気なく食べていたガレット・デ・ロワですが、こうして由来を知ると、様々な意味が込められたお菓子として食べられていることがわかりますね。
【聖燭祭】Chandeleur(2月2日)
先生:次に紹介する「聖燭祭(せいしょくさい)」も、お菓子が関係している祝祭日だよ。2月2日にめぐってくるキリスト教の祭日で、降誕40日後のイエスが母マリアと夫ヨセフによって神殿に連れて来られた際の神殿奉献を祝福しているんだ[注9]。フランス語では聖燭祭を « chandeleur » と言うんだけど、これは「ろうそくの祝祭日」を意味するラテン語の festa candelarum に由来しているね[注10]。
学生:これも初めて聞きました。ちなみに、イエスの神殿奉献とろうそくは何か関係があるのですか?
先生:良いところに気がついたね。ろうそくは、この日に行われるミサに関係しているんだ。新約聖書の中に、イエスのことを「異邦人を照らす啓示の光」(『ルカによる福音書』第2章32節)と呼んだエルサレムのシメオンという人物が登場するんだけど、彼の言葉に基づいて、この日のミサに参加する信徒たちは、各々が火をともしたろうそくを持って教会の中に入るんだよ[注11]。だから、聖燭祭の日は英語で「キャンドルマス」Candlemas と呼ばれたりもするね。
学生:なるほど、だから「聖燭」なのですね! 祝祭日の由来は、とてもよくわかりました。それで、この聖燭祭の日にも、何かお菓子を食べるんですよね?
先生:聖燭祭の日には、「クレープ」 crêpe を食べることが習慣になっているよ。クレープを食べる理由については、諸説あるんだ。「クレープの丸い形と黄金色が、光の源である太陽に似ているから」とか、「教皇ゲラシウス1世(在位:492-496年)が、キャンドルマスに参加すべく教会にやってきた信徒たちに、小麦粉と卵を使ったケーキ(後にクレープに変化)を用意したから」とか、「キャンドルマスの日にクレープを作らなければ翌年の小麦が不作になるという迷信があって、春の訪れを前にクレープを焼いたから」といったところかな[注12]。
学生:ガレット・デ・ロワだけでなく、クレープにもこういった文化的な背景があるのですね。宗教行事とお菓子が毎回セットになっているのは、何だか興味深いです。
【謝肉の火曜日】Mardi gras(復活祭の47日前の火曜日)
先生:宗教行事とお菓子のセットは、まだまだ続くよ。次に紹介する「謝肉の火曜日」でも、お菓子を食べるしね。これもキリスト教の祭日で、火曜日であることは決まっているんだけど、日付に関しては、毎年同じわけではないんだ。3月末から4月末の期間に「復活祭」というキリスト教会において特に重要な行事があるんだけど、謝肉の火曜日は「復活祭の日付を基点として、その日から遡ること47日前」とされている。復活祭の日付は、月の満ち欠けという自然現象によって決定されるから、これも毎年同じ日付になるわけではない。だからこそ、復活祭の日付に応じて、謝肉の火曜日の日付も同様に変化するというわけ。こんな風に、年によって日付が異なる祝日のことを「移動祝日」というんだよ。
学生:さっきお話しなさっていた移動祝日というのは、このことだったのですね。なかなか日本では馴染みのないタイプの祝日なので、新鮮な感じがします。
先生:そんな移動祝日である謝肉の火曜日が、一体どんな祝祭日なのかを説明しておこう。謝肉の火曜日は、四旬節(しじゅんせつ)に先立って「肉食ができる最終日」にあたるんだ。四旬節というのは、復活祭の日まで肉抜きの食事をして自らの身を清める禊(みそぎ)の断食期間のことで、この期間に人々は様々な欲求を抑制することを学ぶ。その期間に入る直前の日には、肉を与えてくれたことを神さまに感謝しつつ、家庭内にある全ての動物性食品を食べ尽くすという習慣があったんだよ[注13]。フランス語では謝肉の火曜日を « mardi gras » と言うんだけど、これは読んでそのまま「肥沃な火曜日、肉の火曜日」だから、人々がたくさん食べる日であることを示唆しているね。あと、謝肉の火曜日は「謝肉祭」carnaval とも言われていて、どちらかといえばキリスト教世界ではこちらの名称の方で知られている。この語源はラテン語の carnem levare で「肉を取り除く」という意味、すなわち「四旬節に入る準備をする」ということなんだ[注14]。日本でも「カーニバル」という表現を使ったりするよね。
学生:カーニバルと聞くと、何だか賑やかで、楽しそうですね(笑)。
先生:断食中は肉が食べられなくて辛いから、そんな辛い時期に突入する前に、みんなで大いに飲んで、食べて、踊って…… という風に騒いでいたんだろうね。実際、ニースのカーニバルはフランス国内最大規模で有名だよ。ちなみに、隣国イタリアでは、独特な衣装と仮面を身に着けた人々が街を闊歩するヴェネツィアの「カルネヴァーレ」 Carnevale が有名だよね。これは11世紀に、仮面をつけることでお互いの顔をわからなくし、貴族も、平民も、身分を気にすることなく断食直前の日を楽しんだことに由来するんだ[注15]。
学生:いろんな形でカーニバルを楽しんでいるんですね。では、そんなカーニバルの日に、みんなが口にしていたお菓子とは、一体何なのでしょうか?
先生:謝肉の火曜日に食べるお菓子は、クレープのほかに「ベニエ・ド・カルナヴァル」beignet de carnaval が挙げられるよ。これらは特に宗教的な意味があるわけではなく、クレープやベニエは余っている卵や牛乳を小麦粉や砂糖と一緒に使い切れる上、油で揚げれば断食期間前に栄養や脂肪も身につけられて一石二鳥というわけなんだ。
学生:全てのお菓子に、宗教行事と結びついた意味合いが込められているわけではないのですね。てっきり何か由来があるのかと思いました。
先生:これまでの流れからすると、そう思うのも無理はないね。さて、大変申し訳ないんだけど、今日のミニ講義はここまでにしてもらってもいいかな? この後に会議が入っていて、今から会議室に行かないといけないんだ。
学生:えっ! 昇天祭も、復活祭も、まだ説明していただいていませんよ? その状態でおあずけとなると、すごく気になってしまうのですが……。
先生:では、昇天祭と復活祭の2つは君に調べてきてもらうことにしよう。自分で調べることで、よりよく理解できることは、もう体験済みだろうからね。もちろん、僕の方で補足できる情報があれば説明するし、どうかな?
学生:わかりました、では昇天祭と復活祭について、自分なりに調べてみます!
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