もうすぐ年度末。大学1年生は今年度の成績と、次の年度に取る授業について考えていることでしょう。おや、先日フランス語と英語について質問していた学生が、フランス語の先生の部屋にやってきましたよ。
学生:先生、1年間楽しい授業をありがとうございました。フランス語が面白いから、来年も履修することにしました。
先生:中級になると、たくさんの単語や語法が出てきて大変だけれど、新しい発見があって、ますます面白くなるよ。
学生:本当ですね。たとえば、前にも質問したことですが、フランス語には、英語に似た単語が本当にたくさんあると気がつきました。
先生:僕が説明したのは、英語からフランス語ではなく、フランス語から英語に入った単語が多いということだった。バイキングの一派であるノルマン人は、フランス北西に土着してノルマンディー公国を打ち立てたが、その継承者であるギヨーム2世がノルマン・コンクエスト(1066年)でイギリスを征服して、国王ウィリアム1世としてノルマン朝を打ち立てた結果、すでにフランス化していたノルマン人がノルマンディーとイギリスを同時に支配することになった。この結果、14世紀の半ばまで、政治、裁判、教会などの公的な場面で、支配者の言語として使われていたフランス語が、英語に入ったということだったよね[注1]。
学生:そうでした。その後も注意していたのですが、英語に似たフランス語は本当にたくさんありますね[注2]。「部屋」を意味する chambre (フランス語)と chamber (英語)とか。 chance は、フランス語も英語も同じ綴りですが、発音は [ʃɑ̃ːs] と [tʃɑ́ːns] ですよね。
先生:他にも、「弓」や「アーチ」を表す arche(フランス語)と arch(英語)とか、「鎖」を表す chaîne(フランス語)と chaine(英語)という例があるよ。さて、4つの例が出たところで、何か気がついたことがないかな?
学生:どれも、フランス語と英語がよく似ていますね。でも、フランス語では [ʃ]の音なのが、英語では [tʃ]の音になっています。
先生:そうだね。これは、古フランス語が英語に入った時の音と、フランス語の音のその後の変化によるんだよ。
学生:どういうことですか?
先生:[ʃ] と [tʃ] の音は、ラテン語の [k] という子音がフランス語に入ってから変化したものだよ。ラテン語の音節の冒頭に [ka] の音が置かれると、[k] の音は、7世紀に [tʃ]、13世紀に [ʃ] と変化する。「弓」を表す語の綴りは
arca(古典ラテン語、俗ラテン語) > arche
と変化するけれど、arca の -c- は [k] の音を表し、arche の -ch- は、最初、7世紀以降の [tʃ] という音を反映していたのが、13世紀に [ʃ] に変化するということだね[注3]。
学生:なるほど、ノルマン・コンクエストの時に用いられていた [tʃ] の音が、英語では [tʃ] のまま残ったのに対して、フランス語では後に [ʃ] に変わったということなんですね。
先生:その通り。じゃあ、「大工」はフランス語でどう言うか知ってるかい?
学生:わかりません。
先生:charpentier [ʃarpɑ̃tje] だよ。では、英語ならどう言うかは知ってるんじゃないかな?
学生:carpenter [kɑ́ːrpəntər] ですね。
先生:そうだね。charpentier(フランス語) と carpenter(英語)も似ていると思わない?
学生:似ていますね。でも、さっきの話だと、英語は、*charpenter [tʃɑ́ːrpəntər]になりそうですが。
先生:本当だね。でもこれは、イギリスに渡ったノルマン人たちが話していた古フランス語のノルマンディー方言の影響によるんだよ。
学生:「方言」って、ノルマンディーの人たちが訛(なま)っていたということでしょうか?
先生:フランス革命以前のフランスでは中央集権化が進んでいなかったから、「訛る」というよりは、俗ラテン語が話されていたそれぞれの土地で、それぞれに俗ラテン語から音韻変化したフランス語が話されていたととらえる方がいいね。フランス語の歴史言語学では、歴代の王がいたパリを含むイル・ド・フランス地方で話されていた言葉であっても、「フランシアン方言」と呼ぶんだよ。
学生:なるほど、標準がないから、優劣はないのですね。
先生:そういうこと。ノルマンディー地方で話されていたノルマンディー方言や、フランス北東のピカルディー地方で話されていたピカルディー方言では、さきほど説明した 俗ラテン語の音節の冒頭に置かれた [ka] に内包される [k] の音は、[tʃ] から [ʃ] へとは変化しないで、[k] のまま留まった。だから、後期ラテン語の carpentārium は、古フランス語のノルマンディー方言だと、charpentier ではなく、carpentier となって、冒頭の c は [k] と発音された[注4]。英語では、このノルマンディー方言が借用された結果、「大工」carpenter [kɑ́ːrpəntər] の冒頭の子音は、今日に至るまで [k] のまま残っているということだ[注5]。
学生:フランス語では、その [k] の音が [tʃ] から [ʃ] へと変化して、charpentier [ʃarpɑ̃tje] になったということですね。他にも例はありますか?
先生:たとえば、英語の car がそうだね。
学生:あれ、フランス語では「自動車」は voiture だから、英語の car は、フランス語起源ではないように思えますが。
先生:現代フランス語には、「山車(だし)」とか「荷車」を意味する char という語がある。この語は古フランス語では「4輪の荷車」を意味したんだけれど、そのノルマンディー方言における carre という形が、英語の car の語源になったんだよ[注6]。
学生:自動車が発明された時、フランス語では char ではなく、別の単語をあてたということですか?
先生:その通り。フランス語の voiture は、13世紀に陸路や水路で荷物を運搬する手段を表す名詞として使われるようになったんだけれど、陸路の運搬手段を表すのに、17世紀まで char と共に使われた。18世紀になると、char が表すものが、田舎で農具や畜産に使う荷車や、軍事に使う車に限定されていったのに対して、19世紀に鉄道や車が発明されると、voiture は「車両」や「自動車」を表す語になったんだ[注7]。
学生:なるほど。char という語は初めて聞きましたが、確かに car と似ていますね。
先生:さらに言うと、英語の carry は、古フランス語 charriier のノルマンディー方言 carier に由来する[注8]。古フランス語の形を見ればわかるように、char が語幹にある。「荷車に乗せて運ぶ」ということを意味していたよ。
学生:古フランス語の charriier は、現代フランス語にも残っていますか?
先生:charrier という語があるけれど、古フランス語と同様、「荷車に乗せて運ぶ」という意味に限定されているよ。
学生:英語に伝わった carry は、「運ぶ」という行為一般を表すようになったのに、フランス語では当時のままなんですね。
先生:そういうこと。ところで、char はもともと、ガリアのケルト人が話していたゴール語が起源なんだよ。現在のフランスにあたる土地は、ローマ帝国に征服される前には「ガリア」Gallia と呼ばれていたんだ。ケルト人は、馬車や戦車を戦闘のために使っていたんだけれど、対するローマ軍は、カエサルの時代には、車両を戦闘に使うことはなかった。ローマ人にとっては未知の技術だったから、ゴール語で「車両」を指す単語がラテン語に入って carrus という形になった。それが、俗ラテン語を介してフランス語に入って char になった、というわけだ[注9]。
学生:それが、英語では car になるのですね。ケルトの馬車や戦車が、ラテン語とフランス語を介して、英語の car になったんですね。
先生:それだけじゃない。ラテン語の carrus は、さっき話した charpentier「大工」の語源でもあるんだよ。古フランス語には charpenter「組み立てる」という動詞があって、「組み立てる人」が「大工」というわけだけど、charpenter はラテン語の carpentum「2輪の荷車」に由来する語で、これはもちろん char と同じ語源を持つということになる。この2輪の荷車が、たくさんの木材の組み合わせでできていたことから、charpenter は、それらを「組み立てる」という意味になった[注10]。荷車という全体を材料という部分によって言い表す比喩的な表現だけれど、このような比喩を修辞学や言語学では「提喩(シネクドキ)」というよ。
学生:「2輪の荷車の部品を組み立てる」で、「組み立てる」ですか。言語って面白いですね。
先生:そう言ってもらえれば、僕も嬉しいよ。では、今日説明したことと関連して、もう1つ。英語で、「捕まえる」は catch、「追いかける」は chase だけれど、これらは同じ古フランス語の語に由来しているんだよ。
学生:どういうことですか?
先生:まず、chase から説明しよう。この語は、古フランス語の chacier に由来して、1250年頃に英語に入った[注11]。chacier は、現代フランス語では、chasser「狩りをする、追いかける」という意味になっているよ。
学生:なるほど、英語の chase は、「カーチェイス」の [tʃéis] ですね。現代フランス語の chasser は、[ʃase] ですが、冒頭の [ʃ] の音は、英語に入った時は [tʃ] だったということですね。
先生:その通り。この語は、俗ラテン語の *captiare に由来するから[注12]、フランシアン方言をはじめとする古フランス語一般では、冒頭の ca- [ka] にみられる c [k] は、7世紀に [tʃ] になったというわけだね。さらに言うと、-ti- が表す [tj] の音は12世紀には、破裂音の [t] と 摩擦音の [s] が結びついた破擦音の [ts] と発音された。この音が、その後、英語でもフランス語でも [s] になったということだね[注13]。
学生:なるほど。では、英語の catch についてはどうですか?
先生:古フランス語の chacier は、ノルマンディー方言では cachier という形になる。これが英語の catch の語源だよ[注14]。cachier の語頭の ca- [ka] については、これまでに説明した通り。次の子音を表す綴りの -ch- だけれど、ここには、俗ラテン語の *captiare の、-ti- が表す [tj] の音が、ノルマンディー方言では、[ts] でなく [tʃ] になったことが表現されている。英語の catch の語末の子音は、その音を受け継いでいる、ということだよ[注15]。
学生:なんだか複雑ですけど、古フランス語の同じ語の2つの方言の形が、英語に入って、かたや chase になり、かたや catch になったということですね。でも、意味は「追いかける」と「捕まえる」で、違うようですが。
先生:このように、語形と意味は異なるが語源が同じ一組の語を、言語学では「二重語(doublet)」というよ[注16]。現代フランス語の chasser と同様に「狩りをする」ということだったのが、別々の方言に由来する2つの形があるばかりに、それぞれ、狩りの過程と、その結果に意味が絞られたということだろうね。
学生:中世には、イギリスを征服したノルマン人が話していたノルマン方言だけでなく、イル・ド・フランスをはじめとした他の地域で話されていたフランス語の方言も英語の語彙に取り込まれたのですね。また、その語源もラテン語だけでなく、ケルト起源の言葉があるということがわかりました。
先生:加えて、古フランス語から英語に入ってから、現在に至るまでそれぞれで変化した結果が、それぞれの今の語の形になっているというわけだ。
[注]